2007年3月1日木曜日

悪ガキばんざい

新制中学校一年生特別教科

「修と弘、二人出てきなさーい!」モンペ先生の声はいつもより、大きく教室に響きわたる。牛乳ビンのような分厚い眼鏡の中からにらまれては、これぁ蛇と蛙の関係だ。教壇に上げられるのは叱られるか?褒められるかどちらかだが、どうも、褒められる雰囲気ではない。顔をお互いに見合せ「なにしたっけ?」だが、どちらも憶えはない。教壇にのせられ同級生に向かせられて、さらし者。

 この名物の男先生は日頃モンペと作務衣そして日和下駄だった。春夏秋冬、大雨以外は頑固にこの姿で通した大尽であった。

これは戦後、児童の教育も六三三制になってから四年が過ぎたころの風景になる。経済も高度成長期とやらで、なんとか究極の空腹からは逃れるようになったが、満足するまでにはなっていない。

「このふたりーーっ!ゆうべ、湊座にストリップショーを観に行ってたーっ」えーっと級友たちの声と奇異な視線を感じて躰を小さくする二人、学校で毎日行われる朝礼の風景の一場面だ。弘は「まーさか?」修「あっしまった見られていたか?」

「だが?なぜ」あんなに苦労をしてやっと潜りこんだのに。「手ぬぐいで頬かむりして分からぬはずだ」言ってみれば子供の浅智恵だった。変装が完全とおもっていたがバレていたのか。

先生は追い討ちの言葉を続ける「コイツ等、口笛まで飛ばして喜んでいた」「しょっしがんねー」(はずかしくないのか)同級の女生徒達が囁いた。

「なに?そこまで言う先生も行ってたべな」修が弘に耳打ちした。ちょっと気が楽になったが・・・それでもドキドキしている。

終戦前には先生は聖職と言われていたが。「先生こそそんな処に行くのは考えられない」とおもっていたふしがあった。性職だべナ?

わんどぁ悪ガキのレッテルは充分に承知していたが、さらに安くなる評価のシールの重ね貼りは嫌だ。子供だってそれなりのプライドがある。仲間に爪弾きにされたり、いじめられる原因になるのはこの現代でもおなじだ。

悪いことをしたときの、この先生の「仕置き」は必殺業がある、方法はこうだ。大きな手で後ろから首を掴む。細い首には指の長さはまだ余る。素直に謝るか反省の態度を見せれば軽く済むのだが・・・・強烈だ。いつも頑固なわんどぁだって簡単に言うことを聞くわけがない。指をグッと締めれば息ができない。柔道も達人の先生は失神する直前までの頃合は知り尽くしている。この方法は下手をすれば窒息し死ぬこともある危険なものだが現代の教育の現場ではとても実行できないものだろう。喉を絞ったあげくに腕を持ち上げる、苦しくなりつま先で立つが間に合わない。目玉が白黒になるってこのことだ。

仕置きを覚悟した。首を締められ酸欠「星空の世界?」を見れて恍惚状態になってしまうが、それを期待しての変態の趣味はまだ?ない。

我が町は昔から漁業が盛んで、それに纏わるひとの出入りが多く繁栄を極めた。その業種は、商店ばかりではなく、娯楽の面でも数多くあって、遊興でも栄えた。そのなか芝居小屋は時代とともに映画舘になり時としてほかの興行を兼ねて営業したものだ。ストリップショーもそのひとつ。

漁業の街は繁栄を重ね遊興の場所は不夜城だった。今おもえば決して経済的に恵まれていたわけでもないが頑張れば、頑張っただけ楽しめた。

横丁の屯所の向かいに湊座はあった。

浜が時化(しけ)て漁に出れない日は漁師の一時の休養になる。魚の群れを追いかけ昼夜を問わず働く。チャンスを逃せば大きな銭を拾えない。そして板子一枚下は地獄の世界。何もかもが命懸け。明日の命を望むより、今生きている喜びをと、江戸っ子のセリフではないが「宵越しの銭は欲しくもない」とその気にさせてしまうのだ。

毎年、何隻かの遭難があり海神への人身御供(いけにえ)のように多くの漁師が死ぬ。明日はわが身と刹那的な感があった。

この頃、浦町、新地はまさしく生きていた。

漁があり、懐が温かい者はこちらへ繰り出すが、漁が外れの者もいる。外れは、街はずれの屋台の支那ソバ屋で酒を呑んでクダを巻くか3本立ての映画を観るかだが、この時代も銭の「分捕り合戦」だった。こんなシケた野郎からも財布の底まで掻きさらってしまおうとした興行師もいたものだ。

女の裸を見世物に高い入場料をとる。まあ、色街の座敷に揚ることからみれば代用食?までいかぬが馬鹿な男の欲情をかきたてるひとつの手段だ。

現代ではこんな岡場所もなくなり興奮できる場所はパチンコ屋にとって代わったようだ。進歩もなくみなINポか?(笑)

入場券はどうした?買ったのか?このガキ達。

現代では、ヌードショウーと呼ばれるが当時はストリップショーと呼ばれていた。 修の家では知り合いの興行師から度々映画や特別興行の入場券を貰うがそれを修は二枚掠めとってきた。

現代の価格にすれば映画舘の入場料の数倍にもなろうか?当然、子供料金はない。

でも、ふたりの悪ガキはどうしてそこへ入ることができたか? 十八歳未満入場お断り と大きく書いてある。まだ、五年早い。そのままの姿で入ろうとしたが子供こどもしていてバレた。「ダメ」と追い出されてしまったが好奇心の旺盛なふたりは、それで諦めるはずはない。

さあ、どうしようか?入場券のモギリのおばちゃんが交代するのを待った。「またの失敗を恐れて?」と考えた。

弘は中学生になったが成長が遅れて躰が小さい。クラスで並んだら前から2番目の背丈で口の悪い教師は「小学生が混じっている」と嘲笑する。未熟児でもなく、ましてや栄養不足でもないがこんなのもいるのが世の中だよ。ウドの大木と言う言葉も知らぬかこのセン公、ねずみだって噛むぞ。

一日四回の好演?がもう、最終回。諦めるのか、いやいや。

大人の恰好を作るのに大きなジャンパーに古新聞紙を丸めてアンコにする。躰を大きく見せる方法だが・・・・どうやら出来上がったのは貧弱な漁師風だが、まだ背丈は足りぬ、大きなゴム長ぐつの底に新聞紙の詰め物。なんと涙ぐましい努力だろう、ここに、小さな大人?ができあがった。

躰の大きな修は顔に炭を塗り手ぬぐいで頬かむりし軍手をはめて、ゴム合羽で完成?した。おお、どう見ても立派な大人の漁師だ。そりゃそうだ、小学生のころからイカ釣り船に乗っていたからなー、漁師は板についていた。

ここまで草した文字を眼にして「なんと貧困な」とおもうだろうが、此処の栄華な時代は現代の町並みや人を見ても、とても想像はつくまい。

新井田川を挟み商店の数々があり、そしてあらゆる業種があったものだ。

年を通じて何かにと漁がある。春は鰊船が北海道から生積みしてくる。他県船も数多く入港する。

季節の移り変わりにより揚る魚種も異なるが此処の沖には潮目と言う「宝の山」があった。イワシ、サバ、イカ、マグロ、タラ、キンキン、サガ、サメ、鰈などが大量に揚る。昔は鯨も獲れた。

北の魚の旨さに惹かれて九州あたりからの船団もくる。そのヤン衆(アイヌ語で倭人の悪の呼び名らしい)達から銭を奪いとるにはあの手この手、奥の手だ。

話しはまたどこかに曲っていった。戻そう。

まだ、十三歳のガキは成熟した女の裸を見ても興奮の種類はまた、別のものだろう。つい最近まで母親と風呂に一緒に入っていたのだから、それをちょっと思い出すほどではなかったろうか。

苦心?惨憺しやっと潜ったのがぎゅうぎゅう詰の野郎たちの世界、そのなかにガキが二人紛れ込んだ。薄暗いなかにキョトキョトと落ち着かず。目立たないわけがない。先生はそれを見てた。

現代のヌードショーとやらは初等性学科?を卒業して以来、学ぶ機会がなく知らぬが風の噂では品格もなにもなくなってしまった感がある。なにもかもモロ出しのようで人体解剖図?を想像してしまうようだ。あの時代はオケケは出てはダメとバタフライを貼りつけ、乳首さえそのままではダメと金銀の星型の切り抜きを貼っていた。「なーんだ、なんにも見るとこないんじゃん」と今の若者だったら言うだろう。「嗚呼なんと奥ゆかしい時代であったか」と口にしたら笑われるだろうか?

教壇に上げられた二人はすっかり仕置きを覚悟して戦国時代の武将の心境になった。首をさすりながら断首の覚悟。

先生、黙って黒板になにやら描き出した。白墨(いまではチョークと呼ぶが・)を色交えて鮮やかに、巧みだ。当然だ、美術が専門で絵画から版画、陶器製作、木工では八幡馬の製作まで学校教育にとりいれた。「このふたり、いい機会を作ってくれた」先生はニコニコとしている。

「?????なんで褒められるのか・・・?」

さっぱり分からん。

黒板の図をみてた級友「なんでぇ?コミヤってのは?」「すらねぇーでぁ」子供でもこれだけの数のなかには大人のような知識があるものもいる。

そんな奴は只ニヤニヤしているだけだ。「卵の巣て?なんのことでぇ?」「コーガンて●玉のこどが」教室は俄かにインスタントおとな?ができあがった。

戦後アメリカ式の性教育の執り入れを盛んに謳っていたが短期間で実現できなかったもののようである。図に→子宮とある。至急も特急も同じかとこんがらかっているのもいる。男の躰の構造、女の躰の仕組み、精神性、ホルモンから病気の果てまで・・・延々と二時間もかけ、いわゆる性教育が始まったものだ。

好奇心の一番旺盛な成長期に、しかもいきなりである。一種のカルチャーショックだったろう。

別世界が開けたものもいれば、もう知り尽くしていると自認しているマセたものもいた。

昔は知識が遅れてこれほどのものか?と言うなかれ、聞いた話しだが大先輩には豪傑がいた。尋常小学校の五、六年生だったが毎日の通学路は遊郭街の真中を抜ける。キッカケは知らぬが途中の遊女と抜き差し?のできる(できないはあるが)仲になってしまった。「サツマノカミ」ただのりだ。ほぼ毎日、学校教育以前の課外授業を受けていた訳だ。少し早い時差登校だ。「羨ましい」と言うなかれ、“花は早く咲けば早く散る”このモサは成人して間もなく人生も卒業したと。嘘のような本当もあるもんだ。いやー話しが逸れた。

現代のヌードショーはすっかり様代わり 解禁、解禁といってどこまで行くのか行ったのか?
知らぬことである。大人の男たちの興奮を誘う立て看板を目にしても中学一年生の時に女の裸を見る学校?を卒業した昔の悪ガキは立ち止まることもなく無表情で通りすぎる。古稀のすぎた老爺のささやかでちょっぴり苦味のある想い出のひとこまである。    完