2007年7月1日日曜日

東奥日報に見る明治三十一年の八戸及び八戸人

逃亡兵士の逮捕
岩手県八幡村生まれ第八師団歩兵第三十一連隊第三中隊陸軍歩兵二等卒田中佐次郎(二十三)は去る十一日紀元節休暇にて午前八時頃外出の際逃亡し当地栄町一番戸旅人宿工藤元方へ潜伏し居りたるを昨日朝熊憲兵上等兵の為に認められ取調べたるに逃亡したるのみならず官給の外套一枚を博労町大阪金助方に質入したることをも自白せしに付逮捕せられたるが右は本日仙台陸軍軍法会議に護送する由
銃盗兵士の処分
本県平民にして花○港守備隊付二等卒福島太郎というもの混成第一旅団軍法会議において左の如き処分を受けたる由実に本県軍人の面汚しと言うべし
土人に売却し酒食の費用を得んとし(第一)明治三十年十一月十七日夜所属大隊の兵器庫の錠前を壊し倉庫内へ忍び入り官の村田単発銃を窃取せり(第二)は花○港に於いて中隊転送荷物監視衛兵勤務中同三十一年一月六日夜衛兵宿舎用天幕内にありたる同隊二等卒遠藤福蔵へ官給の価格五円以上に相当する村田単発銃を一丁を窃取せり
第一の窃盗罪により重禁固二月六日に第二の罪により重禁固二年三ヶ月に処し第一の刑を執行す
八戸貯蓄銀行第一期通常総会
十三日午後二時より階上銀行楼上において開き創業費及びその他の費用悉皆消却無配当に決議せりとなお八戸地方の昨今は降雪更になく道路砂塵を飛ばし殆ど三四月頃の気候にして寒暖計は日中五十度内外なりと
八戸の実弟殺し事件
去る二十日の紙上に記載せし彼の実兄安太郎の為に殺害されたる三戸郡湊村大字浜通り小島岩次郎(三十四)なるものの死体に関し一昨日予審判事江頭範貞氏は書記溝江三千雄氏を従え医師逸見良作奥秋確の両氏と共に出張し湊村駐在巡査及び同村長等立会いの上発掘して解剖をなせりと
巡査雪中に凍死す
八戸警察署在勤巡査部長一戸佑三郎氏は去る四日午前七時三戸郡是川島守の両方面の選挙取締方々巡視として出張のところ六日に至るも何等の報告もなく又帰署せざるより同署にては更に巡査を出張せしめ其の行方を捜索せしめたるに是川村駐在所へは四日の午前九時巡視あるも島守村駐在所へは巡視なきにより爾来署員を出張せし又人夫を雇い諸所を探索せしめたるに去る九日に至り漸く是川村を隔てたる南方一里の山間字地獄沢と称する沢間に凍死しあるを発見せり右は是川村駐在所を出て島守村を指して一里余りなる餓坂と称する所に至りしに折柄吹雪の為本道を失い字花山と称する山道に足跡あるを認め其の山道に入ること三町にして足跡なきに至りしを以って当方を指し山中積雪を踏み該山より十間余の地獄沢へ陥り沢合跋渉中極寒の為遂に凍死を遂げたるならんと
本社社員暴行にあう
我社員太田左馬吉氏は今回の総選挙に付き政況視察として南部地方に赴き居りしが昨八戸に於いて反対派の壮丁氏を路に要して暴行を加えんとしたるも氏の抵抗にあい遂に連れ去りし為氏の身上は無事なりしと
変死
上北郡六ヶ所村大字泊の古川久冶、種市福松、吉岡岩次郎、山田伝兵衛、中村岩吉等は三月一日カレイ網並びに米買い入れのため八戸町に赴き去る十二日帰漕の際尾鮫沖合いにて大風激浪に遭い乗船破損の為久冶、福松、岩太郎の三名は溺死をとげたりと
奈須川代議士の当選祝宴
去る三日午後三時より八戸町大字堀端町接待方に於いて開催せしに来会者は南部三郡の有権者有志者無慮二百名に近く場内立錐の地を余さず非常の盛況を極めたる由にて奈須川代議士及び徳差鉄三郎、本社の花田節、浦山助太郎氏等の演説及び出町甫氏の祝辞ありしと言う
八戸酔遊記抜粋
やがて汽車は尻内に着しぬ之より八戸支線に乗り換えざるべからず時間を検すれば発車前尚も四十分即ち一行午餐を停車場内の待合室に喫す汽車は暫時にして八戸に着すこの日降り積もれる春雪○街を装いて景殊に佳なり只道路泥濘行歩甚だ難なりしは一行の大いに苦しむところ恰も二時をすぐ一行即ち相謀りて会場に赴きぬ
祝宴会
場は堀端町接待氏の宅なり堀端町は所謂士族屋敷の在る所広壮なる大門高く日章旗を交差し左右に「増進自由」と大書せる角灯を掲げ来往の人をして先ずこの日の祝宴会場なるを予想せしむ
会場に至れば奈須川代議士を初めその他の有志予輩が遠来の労を謝し先ず導きて席を与え歓待至らざるはなし見渡せばこの日会する南部三郡の主なる有力者二百余名流石に広き接待氏の邸も為に立錐の余地も残さぬほど
やがて席の定まるや奈須川氏は場の中央に設けたる演壇に向かいて先ず来会者の労を謝しそれより現内閣の財政計画を当を失して治跡の見るべきものなく徒に国民を増税の上に苦しめんとするは不可なり我が党は絶対的に反対するものにあらざるも増税の前尚為すべき事業ありとて行政整理、政費節減の断行せざるべからずを論じ更に論鋒を違て現内閣の外交方針を難じ極東における近時を詳述して現内閣は殆ど無外交なりと断じたる時の如きは満場の拍手暫し鳴りもやまざりき氏は尚も論点を転じて将来取るべき方針を述べ再び起これる拍手に送られ静かに壇を下る
中略
之より宴に移れり酒間を斡旋する者は八戸及び湊の大小妓二十余名南部独特の金山踊り数名の舞妓と三四の来会者との連合にて演ぜらる予はかつて「ふたば」君がわが社の創刊十年記念会の祝宴に於いてこれをしたるを以って僅かにその状を知れりしかも今や専門の芸妓によって演ぜらるるを見て更にその面白さの倍加するものあり名妓「かよ」の紹介歳まさに十五歳敢えて閉花羞月の美ありと言わずこの日一曲の舞踊を演じぬ又服装を度々変え筒袖から長袖にと白粉は斑点となり演芸を休まず繰り返す、衆皆その労を言えば「奈須川さんのお祝いでございますもの」といいこれより「かよ」を「我が党」と呼びたり
海岸に沿うて漫歩鮫港に向かう青森の海岸は波浪の岸を洗うの外この趣味を感ぜずその海岸を見飽きたる予は南部に来てこの海岸を見るに及んで実にその多趣多味なるを賞せずんばあらず殊に鮫港に至る沿岸一方は小高き山に沿い他の一方は岩礁露出波浪これを打ちて白波を挙げ幾多の漁船はるかに油の如き海面を点綴(てんてい・あちこちにほどよく散らばってまとまりをなしている)すこの山この海風景実に絶景なり(中略)鮫港は一小漁村人馬の往来繁なるにあらず鮫港に於いて最も不釣合いなものを発見せりそは石田旅店なり其の構造必ずしも広壮なりというにあらずしかも海岸に面するや眼眸悉くこれ緑波其の波浪の激して岸を打つや白波躍りて柱礎を洗わんばかりなり爽快言わんかたなし況や其の室の清潔にして些かの塵埃にも止めざるに於いてや予は未だ多く其の如きの旅店を見ずなり盛夏の候に至れば隣県の人の所用ありて八戸に行くもの多く八戸に宿さずこの石田に投ず況や八戸支線の落成して湊に通ずるに於いておや(中略)帰途前夜宿泊せし湊に休憩し麦酒数本を傾け金沢君は所用で辞し三人は車を命じて八戸に帰り若松旅店に投じぬ後略
八戸織機製作所
八戸番町石原梯山氏は客年京阪地方漫遊の際ふと伊勢津市に立ち寄り松田繁次郎氏の発明専売特許に係る一日四反織りの機械を一見し其の至便なるを嘆賞し我が地方に必適の事業なることを知り帰来苦心経営の末先ず其の第一台を取り寄せ且つ教師を聘し妹子に伝習せしめたるに三十余日にして其の奥義を極めたるを以って当春以来八戸町有志家伊東喜平、田名部保寿、工藤七太郎、岡本次郎の諸氏と謀り織機製作事務所を石原氏の自宅に創立し同氏出京の上東京市外十四県分権所有東洋機械製作所主辻頼母氏と交渉し三戸上北南部の分権を予約する所ありしが今回又又上京愈々製作販売の権利を譲り受け特約確定したるを以って右製作所を八戸十六日町工藤七太郎氏の宅に設け又販売所を同十八日町伊藤喜平氏宅へ設け目下頻りに製作中にてすでに二十余台の注文ある由右織機は弘前市に於いて従来製造し来るものに大改良を加えたるものにして昨今宮城県一台入りこみたる外東北地方に未だ其の類なしとのことにて価格は本紙広告欄にある如く一台三十円なりという福島県以北は石原氏を以って嚆矢とす 後略
八戸だより
運動会 八戸高等尋常小学校にては去る八日大運動会を催したるが翌九日も引き続き男女生徒の諸種の競技ありしが天気も前日に劣らぬ快晴にて中々の盛況なりき
八戸美人花くらべ 夢々山人とか言う人題号の如き書を編せんとて材料を蒐集中のよしなるか右は八戸町に於ける二十歳以下の婦人にして容貌秀麗、和洋裁、香茶、活花、養蚕、製糸、機織、その他一般婦人の心得べき学問、礼式等に熟練せし婦人の履歴を記するものにして来る二十五日出版の予定