2007年11月1日木曜日

東奥日報に見る明治三十四年の八戸及び八戸人

階上銀行楼上に開き年一割の配当を決しそれより臨時総会に移り取締役一名欠補選挙を行いたるに大久保平蔵氏当選せり今同行の報告に係ある昨年下半期営業の景況は左の如し
学生蓄金所謂郵便切手貯金励行あるを以って往々小口貯金は振り替え預けを為すあり其の人員に於いて前期より比較的増加せざるの異状を発せり殊に壱再の勧業債券募集に際し幾分かその景況を蒙りたるの感ありしも概して勧債貯蓄の美風発達せる結果にや当座預金は日を追うて増殖し今や本店にて一万六千余円に達し代理店中三戸にて壱千余円七戸は三千余円三本木は開設の日浅きと赤痢流行に遭遇し甚だしき支障を受けたるも五百余円の額を得たり普通銀行に於いても月を累ねて諸般の事務進暢しつつあるは全く世信を厚うせしによるならん而して優に前例に倣い一割以上の積立金と配当金を挙げるに至れり
五十九銀行支店の祝宴
第五十九銀行にては青森銀行と合併し且つ青森支店改築工事も竣工せしを以って来る二十七日午後一時より同支店に於いて祝賀の式を挙行し終わりて午後四時より金森楼に於いて宴会を催す由
八戸だより
既に通信ありたることとなるべく重複の嫌い可有之候得共見るまま聞くまま申し上げ候先ずは教育品展覧会に候是は本月十三日より十六日まで開きし次第にて三戸郡教育会の事業として本年は八戸郡会是が選にあたり八戸尋常高等小学校を会場に充てたるを以って出品の誘導寄付金の募集内外の装飾陳列配置監督に至るまで専ら八戸小学校の教員諸氏労をとられ候由門を入りて右方に地理模型を造り宛然三戸郡の地形に象り名久井岳階上岳鮫蕪島市街村落より岬角灯台隋道電信より山川湖水森林田畑に至るまで悉く数坪の中に具備せしめ左方は御慶事記念の為植えたる竹林を利用し孟宗雪中の筍堀りを作り前には大灯篭大額面外国旗数百の球燈を掲げ外部の装飾のため一層景気を添えたる様見事に出来候校内を十一区に別ち第一区教授器械乃ち八戸小学中学校理化学機械及び博物標本地図統計表の類頗る有益のものを認め申候第二区は古器室にて旧藩主南部公の出品武具文房具画幅類にして朱沈金机梨地蒔絵の書棚の牡丹に探幽の官公など世に得難き宝物のみ又八戸青年会の物も陳列。(中略)
次に八戸お祭りさわぎ 八戸警察署より禁止の命令に接したるより消防組一同激昂し総辞職を決議し夫々調印済みになりたるを遠山町長仲裁の労をとり結果思いとどまる事になりたれども届け書は未だ其の手元にありとの事、市中の混雑群集は申し分なく殊に当時は農家も閑暇季節方々遠近在よりの入り込みたるもの非常に多く市中の夜宮は軒提灯は勿論種々の飾りつけ等有之長者山にては神楽打球の催しあり旧藩主南部子の来八中なるを幸い招待して一層賑やかその他神明社内相応の賑わい盆踊りにて徹夜せしもの多く警察署の見込みにては例祭(即ち市中を行列して神輿その他山車挽き廻る)を禁止すれば他国よりいり込みなく宮祭りにて氏子ばかりの参拝にとまると思いたるに予想外多数人の入り込みたるには一驚し例祭を禁止したる功能少しもみえず賑わいは警察において宮祭例祭との区別なく例祭禁止については市中の風説種々あり中にも消防連はやぶれかぶれに神輿をかつぎ警察に一泡ふかせんとの説を聞き警察は大にあわてて各消防小頭に巡査を派し其の景況を探らしめ一方には宮総代人を呼び出し説諭しに一同は寝耳に水と更にそれらの計画なき事なればその旨答えたるに警察もやや安心したるげに尤も石黒署長不在にて次席野呂警部の意見なるべくも警察はよほどあてにならず
八戸肥料製造会社開業式
農業の生産力を増加せしむるは適当なる肥料によらざるべからず近時海外輸入肥料の数量驚くべく増加したるは即ちこれがためなり而して農業経済上肥料は其の成分の良好なると共に其の価格の廉なるを要す是れ今回同地有志者の興したる所為なり何となれば同社の肥料は牛馬骨及び魚骨その他の廃物を利用したるにして原料は極めて廉にして且つ豊富なれば同社の創設は県下有志の賛同を得予定の資本額を増加すべきまでに好況を呈したるも製造の時期に切迫したるを以って先ず最初の予定額を以って組織することとなり工場を舘村に設け諸般の設備既に全く完成せるを以って去る四日午後二時より湊の北越亭において開業式を挙行せり今其の光景を略記せんに式場は緑門を作り国旗を交叉し楼上めぐらせる幔幕を以ってし尚屋上より数条の縄を張りて数多の彩旗を翻し場外の光景人をしてこの日の盛況を予想しむ式場は楼上をもってこれに当て正面には演壇を築き一方には幔幕を張りて舞台を設け余興の準備をなし定刻よりは来賓続々として場に満ちぬ県庁よりは岡書記官、中村技師、清水、中村二県属、松野技師らを初めとし各銀行会社長、県議会議員、郡会議員その他の有志百余名午後二時社長石橋萬治氏は式辞朗読
明治三十四年三月四日
石橋萬治、岡書記官の発声にて明治天皇万歳を三唱し式を終え舞台には三番叟及び多数の手踊りあり後略
明治三十四年七月二十七日付け
自転車の旅行
八戸の橋本八右衛門氏は昨朝七時自転車にて八戸出発野辺地一泊昨朝七時同地出発浅虫に立ち寄り入浴の上昨日午前十時当地着昨日弘前一泊其れより能代秋田山形仙台を経て来月一日八戸へ帰着する予定という
八戸の浮浪の徒の頭領なる福田祐英を初めとして三戸郡湊村大字浜通川村留吉(四一)同七太郎(四四)三重県伊賀郡美の波多村字東田原福田誠造(四十)の四名は恐喝にて八戸より青森へ一昨日廻される
八月十一日
一昨夜来の地震
南部地方 八戸、十日午前三時三十七分激震家屋破壊せり微震強震共前後七回あり
汽車不通尻内沼崎間は線路の破損少なからず橋梁落ち為に汽車は不通となれり又沼崎野辺地間所々に小破損を生じたる為に昨日は尻内野辺地間は汽車の運転を停止おれり
鉄道被害
尻内駅 機関車は大破壊し屋根落ち修繕の見込みなし機関車二台破損せり石炭庫も大破損したれども修繕の上再び使用するの見込みありと社宅の破壊最も甚だしく中にも合宿所は棟梁等落ちたれども死傷なし
八戸町の被害
八戸町に於ける被害の概況は前号に記せしが尚各戸の壁及び戸障子は多少の破損を来さざるはなく瓦屋根は概ね破損せり而して被害の箇所は当時亀裂と思いし所は破損を増し、今回の損害は主に土蔵に多きを以って左官人夫の欠乏夥しなお警察署にても硝子洋灯門灯に破損あり月館末太郎方住家倒壊の際は末太郎母及び妻の両名は潰家の下に圧せられたるを警察署員直ちに駆けつけ之を救助したる為無事なるを得たりと
八戸地方 八戸にては男一名女二名は打撲傷を負いしも何れも軽症なり家屋破壊は五棟にして外火災に罹りし工場(煉瓦製造場)一棟、破損家屋は三十九棟にて同じく土蔵は二三八棟の多きに達したり
八戸における大隈氏
東京専門学校の大隈英麿氏一行は過日野辺地より八戸に立ち寄られしが八戸に於いても第二中学校に於いて講話会を開き終わりて懇親会を開く計画にて夫々準備中のところ折悪しく震災のため中学校も破損して混雑を来たし且つ市中一般に損害多しと言う騒ぎなれば大隈氏も遠慮して氏の方より講話及び懇親会を断りたり只若松旅店にて発起人たりし人々及び主立ちたる人々来訪者に一席の談話をなして帰京せりと当日その席にありしは階上銀行頭取大久保平蔵、同取締役関野市十郎、泉山銀行頭取泉山吉兵衛、商業銀行取締役横沢新太郎、富豪橋本八右衛門、北村益、奈須川代議士、遠山町長、浅水郡会議長、重野第二中学校長、高野八戸高等小学校長、白井郡参事会員、各村長、町会議員、出発の際には南部家令諸氏も停車場まで見送りたる由
八戸の大祭と汽車
八戸にては例年の通り来る九月二日より三日間三社大祭執行の筈なるが昨年は流行病のため同祭りは中止となりしのみならず本年は世界一般に不景気の声喧しきも八戸地方の浜方は鰮の大漁にて漁民の景気一方ならず水陸とも豊作なれば是までの不景気を回復し商業を振るい起こすべき目的にて同町及び近村は非常の発奮にて例外の大祭行い大いに市中を賑わす筈なるが参観者の便利を計り来る九月一日より四日まで四日間青森より八戸盛岡より八戸までの両駅間における汽車賃割引のことを日鉄会社へ請願せりと
八戸郷友会
在青森八戸郷友会秋期第二回茶話会を来る六日午前九時より当市浜町山崎旅店にて開会するよしなるが委員長は浦山助太郎、委員は岩泉亀松、八重畑勝蔵、永田隆三、菊池寿輿、野田秀二の諸氏なりと在青森現在会員は四十二名