2007年12月1日土曜日

東奥日報に見る明治三十五年の八戸及び八戸人

八戸商業組合と営業税届
八戸商業組合にては去る二十三日午後五時より長横町記念会堂に会し各営業者が営業税届けのことにつき公平を欠く事あるため毎年税務署へ往復して相互の手数頻繁なるより之が公平の調査を遂げ税務署と交渉し円満なる局を結ばんとの商議を決し委員五名を選挙したるに山本勝次郎、石橋甚三郎、松本万吉、浦山政吉、苫米地政吉の諸氏当選したり而して委員は税務署へ交渉して着々調査する由
八戸商業銀行総会
一昨日午後三時より八戸商業銀行第九期定期総会を開き大岡頭取に代わり横沢取締役会長席につき年一割の配当に満場異議無く決議せり
八戸町長の再選
八戸町長遠山景三氏は満期に付き昨日後任の選挙を行いし再選せらる
八戸通信
三北同業組合創立総会 同組合にては北部一部の反対その他の紛議ありし為久しく愚痴愚痴の間にありしが規定の人員加入せることとて創立委員等はこの際多少の纏綿(てんめん・からみつくこと。まといつくこと)を排除し来る十五日を以って愈々町役場楼上に創立会を開く筈
肥料商の運送店 八戸及び港の同業者合併して資金三万円の株式組織を以って一大運送業を開始する予定にて去る一日協議会を開きたるが小田原評定((豊臣秀吉が小田原城を攻囲した時、小田原城中で北条氏直の腹心等の和戦の評定が長びいて決しなかったことから) 長びいてなか なか決定しない相談。小田原談合)にて遂に纏まりつかず結局港同業者は分離し双方対立することになれりと
劇場設立計画
二十八日町福田誠造及び十一日町類家鉄造の両人発起となり一心館を買い求め十一日町裏へ劇場を建築することに纏まりたりと
八戸穀物商組合設立の計画
同業者間に於いて数年来その計画有りたるも事情のため設立の運に到らざりしが今回有志等集合して去る八日をもって二十三日町石万商店委託部に於いて協議会を開きその結果愈々設立の事に確定し設立委員二十名を選定せるが本月十一日再び同所において委員会を開き定款起草方を二三の人に託しその脱稿を待って第二回委員会を開きて組合員を募集し創立総会を開く由なり組合員は百名以上に出つべき見込みなりと而して該創立事務所は石万商店委託部に置くと愈々その成立を見るに到らば地方輸出物産の改良売買の弊害を矯正し地方同業者の利益と信用蓋し少なかざるべし由来八戸は大豆出産地として各市場に知られ品質の如きも全国中の第二位を占め来れるが近来その出石を減じ品質又粗悪に流れ世評甚だ好ましからざるとなれば該組合たるもの亦この点に多大の用意を致すべし
織物会社の総会
八戸織物合資会社の定時株主総会は去る十四日を以って同社内において開会せられたるが本期は遂に無配当におわれり
八戸商業組合定時総会
去る二十六日午後一時より八戸十六日町天聖寺において前年度収支決算報告は異議なく認定次に役員の改選を行いたるに会長には工藤與五郎、幹部には山本勝次郎、松本萬吉、評議員には浦山政吉、近藤文五郎、関野重三郎、苫米地政吉、江口梅太郎、石橋甚三郎、工藤久兵衛の諸氏当選右了て浦山十五郎氏の発議にて皇太子殿下歓迎につき呉服屋組合その他の発起者と合同して当地の行啓を仰ぐの運動をなすこととなれり亦組合員の運賃割戻しの件は役員に一任せることに決せり因に記す同組合は現在積みたて金は三百余円あり本年中は一千円位に積み立て倶楽部敷地を購入する計画あるやに聞く
荷車に圧されて負傷す
去る二十三日三戸郡八戸町大字朔日町三十五番戸馬車業者岩岡七助(安政五年生)は荷車を牽き進行中牽き馬が道にて牝馬を見るや突然疾駆したるより馬車に圧倒せられ左大腿部骨に負傷せり
第二中学校春季運動会
県立第二中学校校友会は去る九日春季運動会を八戸公園長者山に於いて開きぬ三百五十余の健児は午前七時半隊伍を整えて会場に充てられる馬場の中央二ヶ所には大国旗を翻して之に各国の国旗連結せられその外賞品係席、記録係席、合図係席、来賓席等何れも幔幕を張り廻らして一層の好景を添えたり
やがて予定の時間に至や轟然たる砲声とともに運動は開始せられて続て各種の運動四五十回に渉り百石小学校及び本校卒業生職員競争等一回又一回愈々出でて○壮なりき
この日の来賓には同地の紳士紳商並びにその夫人令嬢殊に岩手県師範学校生徒、百石小学校生徒の来観はこの会をして一層盛んならしめたり(後略)
八戸養蚕模範所
逸見直行及び石橋万治両氏宅に設置しあり去る九日開所式を挙ぐ当日会員の来会せる者五十余名白戸同所技師の養蚕飼育の定義栽桑等に付き公演ありて盛会なりき尚翌日より直ちに講話を開始せるが同所にては天候不順のため桑葉の発芽遅延するを慮り去る十日より催青室に容れて二十三日已に収養せりと
八戸町呉服商人の準備
盛岡市の榊呉服店にては再び青森市へ出張し見切り反物の売り出すをなすや青森市同業者の反抗を受けたるため思わしき結果を見ざる由なるが帰途八戸町に立ち寄りて一働きせんとの計画ありと聞くや八戸の同業者は直に組合会を開きて之に対する方針を協議し愈々同町に入込むに於いては同業者挙げて競争せんとの意気込みにて其の準備なるが先ず青森市における売出しの実況視察として一昨日一番列車にて泉山商店及び淡三商店の両主人青森に到着し榊呉服店の本陣なる中島旅店に投宿せり
承陽大師六百五十回忌
三戸郡新井田村対泉院において曹洞宗宗祖承陽大師六百五十回大遠忌該当に付き八戸方面各寺院集合の上二十八日午後三時迎聖諷経四時御逮夜、二十九日午前八時献茶湯十一時報恩講式、同日午後一時大施餓鬼供養、同三時送聖諷経を行いしが二十八日は暴風雨二十九日は大風にて農家作物の被害のため多忙にも不抱参拝者多く殊に大施餓鬼には三陸津波溺死者の七回忌コレラ病死亡者の十七回忌並びに五連隊凍死者の供養を兼ねたる事とて善男善女群集し参拝者には丁寧なる供応ありたるため参拝者も満足の模様なりしと
棍棒にて老女の頭を割る
三戸郡島守村当時八戸町糠塚六番戸寄留中山よね(六十三)は再昨(さいさく・さきおととい)十日午前十時頃舘村字犬坂台と称する畑地に草取りに出稼ぎ中同町上総町東海林長吉(三十八)の為棍棒にて頭部を叩かれ重症を負い生命覚束なしとの事なるが殴打の原因などは未だ詳らかならず
八戸町三八城神社祭り
既報の三八城神社大祭は初日の五日は折悪しく雨天のため夜宮の賑わいもなかりしが翌六日は朝来快晴にて人手多く為に道路及び境内は勿論押しながら押されて歩行く有様で昼は旧藩主の景観に供する目的にて八戸青年会並びに旧家臣老年会の武芸試合にて一層の盛況なりしその他神楽見世物等例年の通り夜は花火を打ち上げ盆踊りは(後略)