2008年1月1日火曜日

風の旅   弐

風天弘坊
おわら風の盆を愉しむ 再考
何回かの連載で私の旅を紹介します。
風の旅と題し、風はどこへ吹くのか、行くのか分からぬものだ。風のように行程日程も順 序も前後するがご容赦願いたい。
以前に本紙で紹介をしたが再度、私的な「越中おわら風の盆」の行状となる。
此処、富山県富山市八尾町(やつおまち)は近年市町村合併で富山市になったが以前は富山県婦負郡八尾町であった。人口は二万人ほどであり日頃はとても静かな町である。毎年の九月一日から三日に(越中八尾 おわら風の盆)開催されるが外来者が多くなりすぎ八月二十日から前夜祭と称してとり行われている。地元主催のひと達が楽しむためのその前夜祭も「最近では外来者が多く騒々しくなってしまった」と主催の人達はなげく。
案内では三百年の歴史をもち叙情豊かで気品高く、綿々としてつきぬ哀調のなかに優雅さを失わぬ詩的な唄と踊りとある。
その魅力を以前に本紙で詳細を紹介したが今回はその裏側のようなところをのべてみよう。これから風の盆のすばらしい体験をしてみたいと考えている方には水を差すような行為で、いささか気がひけるが真髄を知っているのと知らぬとは雲泥の違いである。例えてみると高級な料理の味を付け合わせの刺身のツマを食ってみて分かろうか?と言うものだ。
この祭、数多くクの著書が出版され、テレビ映画が創られた。そのおかげで全国に名が売れすぎて観光客がどっと増えた。何事に於いても度が過ぎると悪くなる。此処も例に漏れず悪くなった。私が行き始めた数年前にもすでに三〇万人の来訪者が小さな町に押しかけた。町の人口の十倍以上にも膨れ上がってしまっては何もかもが身動き出来ない。今年の来訪者は五〇万人にもなったであろうか、そんな混雑であった。
五年前、町へ観光バスの乗り入れの申し込みは五千台であったが町ではとても受け入れられず千五百台に限定した。今年はそんなものではなかったようだ。大型バスだけでも三千台以上も入ったか?この町に。
風の盆の雅(みやび)を楽しもうとしても簡単には叶わぬもの。雅の裏にはどうやら落とし穴がある。
私はまだ数回のリピーターでノウハウはあまり持ってないのだが、二五回というベテランもいた。私達の楽しみ方は前夜祭からだ。本祭の三日間は観光客が(我ーもそーだ)団子?状態になっているで客が引けてしまう深夜の見物となる。
先に前夜祭は八月二十日からと述べたがそれでは十三日間どの日でも観る事ができるか?と言うと、そうはいかない。
まず雨が降ったら中止する。なぜか?
お天気は自然まかせ。風の盆は二百十日の風鎮祭、荒れぬはずはない。一週間のうち三日は雨に見舞われて当然だ。今回も外に置いた履物が流れまわるほどの豪雨があった。「お天道さまには逆らえぬ」ことだ。
踊子の衣装は男女問わずに高価だ。濡らしたら補修にウン拾万円だそうな。またお囃子の地方(じかたと呼ぶ)が抱える三味線や胡弓もそして太鼓も雨に濡らしたらまともな音色が出なくなるばかりか傷んだら修理費が目玉の飛び出すほどになるのだ。
そんな訳で小雨であっても徹底して中止となる。また、八月三〇日本祭の前日は休養の日となり町中の商店も徹底して閉店だ。踊りも囃子もスピーカーから流すメロディもパタリと止んでしまう。もし、運悪くこの日に行ったとしたら一切を諦めた方が賢明だろう。
それでも観たいときはどうするか。事前にインターネットのHPで調べるか町の商工会や富山市の観光課に聞くと分かるが、観光会館のステージなどで観賞できる日程と時刻がある。入場料は千五百円。全国のローソン系のコンビニエンスストアで購入できる。

それでは、回を重ねて通い続けた、いわゆる「通」と言われる観賞の仕方を述べてみよう。
自家用車を転がして全国から熱狂的な気違い(フアンとも言う)が集まる。長い期間の滞在はこの町の宿は満杯、利用は不可能に近い。近隣の温泉地も同じ一年前の予約でいっぱいだ。金沢市や高山市、宇奈月温泉のホテルも満員と聞く。
祭のメインとなる石畳の風情ある旧町は高い場所にあるが、私共はその下に流れる井田川の河川敷に陣取る。流れは速く石に砕け散る。その川音が子守唄、川風はまた気持ちよく、熟睡ができるのだ。
また、頭ほどの大きさの川石を累々と積み上げた町を作る断崖は他では見られない風景であり壮観そのものだ。
私は自嘲的に自分を「カワラこじき」と呼ぶ。キャンパー同志に食材や酒、肴を差し上げたり頂いたりするからだ。それがまた愉しいのである。自炊も普段は手も出さないが「男の料理」だ。女達は町に見物に、男は酒に酔っ払いながら仕度する。飯は黒焦げ、野菜は生煮「なーに牛馬になったつもり食えばいい」ひッひ―んといな鳴きながらだ。
ここの旧町には大きな食品スーパーが一軒だけあったが商売にならず昨年廃業した。コンビニでさえないので食品の入手も難しい。贅沢はできない。「ゼイタクは敵ダ」は戦時中。現代は「ゼイタクはステキだ」になってしまった。古いか?(笑)
数年前は河原でキャンプの車は二千台もあったろうか。今年はそれを締め出した。ゴミを散らかす、深夜まで騒ぎ、付近の住人に迷惑をかけたなどの苦情が寄せられた。そんな理由でほとんどの河川敷や空き地が閉鎖になってしまった。
富山県や富山市が介入し事情が複雑になってしまったようだ。合併以前は八尾町の裁量(自分の意見により裁断処置すること)で大らかに受け入れられていた。そんな心情をまともに受けたキャンピングカーで全国から駆けつけたフアンは前夜祭も楽しめずに諦めて立ち去ってしまった。最終日まで河川敷には十数台のみ。私はキャンピングカーならぬ屋根のついた貨物自動車、カタカナではボックスカーと言うのだそうな。荷台にコンパネ(ベニヤ板)を貼って寝床にしている。
軽自動車で鹿児島から来ている年配のご夫婦もおられた。もちろん車中泊。
河川敷のニワカ駐車場を管理している九十二歳の元気なお爺さんが花畑にしている所に毎回駐車をお願いしているので安心だ。数年前に知人の森田保夫氏が開拓したところである。利用料金はとらない。それぞれにお土産を差し上げて、ワンじゃなかった「ウン」と言わせる。ワン公も人間もエサには弱い。
一般の観光客は本祭の九月一日から三日までが多い。旅行会社で募集したツアーでの見物は五千人以上入る広大な町民広場の舞台で演じ踊るのを観る。特にバスツアーでは時間の制限があり二、三時間ばかりの滞在となる。たったこれだけの時間では町中での流し踊りや輪踊りは、ほとんど観れない。
町民広場の人々をみて、観光旅行会社の宣伝に惑わされ、こんなに大勢が「引き回しの刑」?に遭っているのだ。「お気の毒に」と思わずにおれない。
広大な町民広場のステージで三十分毎にくりかえされる舞台が終わると年寄りの迷子が大勢発生する。●○さーんどこでーすかー?の呼び声があっちでもこっちでもだ。幼児であればワーワーと泣き叫べば誰かが迷子の案内係へ連れてってくれるが爺さん、婆さん、うば桜、では誰も知らん顔。
こんな事もあった。会場で四人連れのおばちゃんがいきなり私の顔面にケイタイを突き出した。「これに出て話して下さい」
不審であったが今にも泣き出しそうな面持。
「そこはどこですか?」ケイタイから男性の声「町民広場です」「私は今×△○駐車場にいるのですがそこまでどのようにして行けばいいのか教えて下さい」時間によって町の中に車の乗り入れを制限している。「ああそこから3キロほど距離がありますが徒歩しかないでしょう」
四十分ほどして観光会社の腕章をつけ旗を持った若い男性の添乗員が全身汗びっしょりでよろよろとたどり着いた「有難うございました。助かりました」聞くところでは青森市の旅行会社で市内のお客を募集して来たとのこと。「集合時間までにバスの駐車場にたどり着かなくちゃ」とあたふた。「我ーも八戸せー」「えーっ何時来たのか?」「一週間前から前夜祭観てる」「へー」「ところであの高い方には何があるんだが?」と四人のおばちゃん達は指をさした。「古い町並みがある。行かれなかったですか?そっちの方が祭のメインですよ、見てらっしゃい」と添乗員よろしく説明。
「ああーもう時間がない、十時にここを出てバスで宇奈月のホテルに戻らなければ」と心はすでに風の盆ならぬ風のよう。以前には無かったこの町民広場には何百ものテント張りの食堂とお土産や。これを買わされ、食わされ、ステージの踊りを遠くから眺め地方(じかた)の囃子と歌がスピーカーから鳴り響いているがなにか空々しくどうも嘘っぽい。
さて、話しは戻る
十一町内でそれぞれの踊りの振り付けと地方の囃子も異なる。これも食べ物と同じで好き嫌いがあるのでどこそこが一番いいなどと先入観念を植えつけてはいけないのでここでは述べるのを避けよう。
地方の囃子唄のひとつを紹介しよう。

越中で立山 加賀では白山
駿河の富士山 三国一だよ
囃子 
唄われよ わしゃ囃す

おわら踊りの 笠きてござれ
忍ぶ夜道は オワラ月明り
囃子
キタサノサ ドッコイサノサ
この(じかた)地方の囃子と唄で踊る。
踊子は涼しげな揃いの浴衣に編み笠の間からすこし顔を覗かせたその姿は実に幻想的で優美だ。「こんな雅を味わうのも今回で卒業か」としっかりと目に焼き付ける。
数年前、この町の心優しく温かい「持て成し」は何処かに消し飛んでしまったのか?
町中でおみやげ店を経営する女主人に聞いてみた。「富山市に合併になってなにが良かったですか」「なーんにもない、唯、税金が高くなっただけや」としゃがれ声が返って来た。時代の変遷と言ってしまえばそれまでだが三百年の歴史ある、「風の盆」も衰退するのか?そんな寂しい思いに駆られる。
旅は続く