2008年3月1日土曜日

八戸小唄全国大会を市が開催しなければ公会堂は滅びる 終

 草津よいとこ、一度はおいで…の民謡に刺激され、往時の八戸芸者たちが八戸を宣伝する歌が欲しいと願い、それに神田市長が応援、法師浜直吉が作詞。その著作権を法師浜は八戸市に寄付し、その著作権料と、八戸市が拠出した一億円をもとに、運用利益を八戸市の文化事業に使おうと発足したのが、八戸公会堂なのだ。
 ところが、これがとんだ食わせ物で、八戸市職員の第二就職先と変えられ、当時の主旨はいかされずに今日まで来た。もっとも、変化を嫌う市役所としても、永遠に莫大な金を補充しなければならない八戸市公会堂にいささかならず嫌気がさして、指定管理者制度になった。
 第一回の指定は特段の計らいで、競争入札をさせず、八戸市公会堂という財団法人に決定された。その温情というか、体たらくというか、その指定も三年で、平成二十一年に切れる。大体、公会堂には原価意識がなく、歴代の館長は市役所退職者でタライ回し。
 そのいい加減のツケが廻ってきただけで、当然の報いなのだ。八戸市が公会堂を建設した時、今と同様に石油価格が上昇し、全ての物価が急上昇した。建設資材も高騰し、公会堂は全部が建てられず中途半端。それを解消すべく飛行騒音軽減のために防衛庁が住民対策のために防音設備改善資金が潤沢にあるのを聞き込み、この金に手を伸ばした。ところが、この金は公会堂には使えず公民館なら良いとなった。何でもいいから喉から手が出るほど欲しい八戸市は、毒饅頭にも手を伸ばした。そのため一つ屋根に二つの看板、公会堂と公民館が並び、混乱の原因を作った。
 本来、公民館は社会教育課の所管、八戸市公民館だけは文化課に所属。この八戸市公民館はホールを持ち五百人ほど収容できる。これはもとより公会堂は一杯にできない芸能観賞用のホール。ここの使用料収入は年間千五百万程度の実績あり。
 この使用料があるから、公会堂にここを管理させ、管理費として二千五百万を毎年くれた。公会堂は渡りに船で妙な管理費をデッチ上げて、いかにも正当のように見せかけ、文化課もそれで良しとしているが、不正使用にまちがいない。その理由は幾つもある。
 防衛庁から出させた金の書類が開示請求で出たので見てみよう。
上図に一億二千八百万円と記されているのが判読できようか。その交付根拠が笑う。
航空自衛隊八戸基地におけるジエット機等各種飛行機の離着陸のひんぱんな飛行訓練により生ずる爆騒音のため基地周辺に居住する住民の日常生活が著しく阻害されるため、これらの障害を緩和し地域住民福利向上をはかるため八戸基地から南西四・五キロの地点に八戸市公民館を建設するものである。
 高館近くの住民のための公民館が市役所の隣、公会堂の中に建ったわけで、実に不思議な文面で、まるで和歌の入門のよう。
 上の句はどうでもいいが、下の句だけは決まっている。それにつけても、金の欲しさよ。
 これはこんなように使う、花の色はうつりにけりないたづらにそれにつけても、金の欲しさよ、で、小町もギャフン。八戸市役所はこれを地で行った訳だ。
 公会堂建てる金なら何でもと、取った金にてあとで後悔どう
 この防衛庁を騙して取ったツケが昭和五十一年からずっと跡を引いた。三十年も二つの看板を架けているが、そろそろ一本化するべき。人殺しも時効は十五年、詐欺罪にも時効があるが、防衛庁は騙されたと思っていない、騙しているのを知っていて騙されてやったのだし、一応約定通りに公民館は建った。これを契機に公民館の名称を取り去り、公会堂で一本化するべき。
それでは、いままでいくら公民館、公会堂に注ぎこんでいたか。これは全て八戸市民の血税の無駄遣いの結果なのだ。
公会堂合計四十六億四千五百万円
公民館合計六億七千六百万円
公会堂の文化事業委託料合計二億六百万円
総計五十五億二千七百万円
約六十億円が煙と消えた。
もともと市職員の退職受け皿ではあったものの、何でこうなるの?
市民から税金は絞れば絞るほど出ると思っているからだ。役所は理由と屁理屈がつけば何でもあり。防衛庁への書類を見ても八戸市役所のいい加減さが明確。元々文化事業なるものは非常に曖昧模糊として捕らえにくいので、これでいいといえばいいわけではあるが、緊急を要する事業に金をつぎ込むことが肝要だ。地方自治について知識をもたなかったが、役所の中をウロウロして次第にわかってきた。基本的には人民は金を生む道具としか考えていないが、多くの無駄を生む所が市役所であると判明。公共の福祉を大上段にかぶり、市民の生命を第一義に考える。それは税金収入の道が細くなることへの危惧でしかないのだが、これは真実。
 道路舗装が八戸市は大変悪い。文化事業に金を使う前に道路工事をするべき。また、壊れる、また直すで金を消費する。これも立派な無駄だが、市民の役に立っている。
一部地域と言うなかれ、全市に広めれば、確実に全市民は恩恵を受ける。中里市長は箱物を建てた。公会堂で分かるように、箱物は建築費以外に金が意外とかかる。
役に立つ箱物ならいいが、中里市長時代は、バックリベートを要求するために無理やり建てたといまだに言われる。確かに根城の福祉センターは不用で、空き部屋ばかりだ。市民は市長の懐を肥やす道具ではない。正しく金を必要な部門に遣ってもらわなければならない。
 公会堂基金は公会堂の赤字解消のために元金を食い始めた。法師浜の志を踏みにじっている。そして、このことを市役所の職員は誰一人憂う者なしの現実。
何、自分がしたわけでもなし、前任者が通って来た道を自分も通ったが、「はちのへ今昔」にいきなり脇からワッと驚かされたぐらいにしか感じていない。ここが怖い。北海道の白い恋人が賞味期限改竄で摘発、次いで伊勢の赤福、白から赤に行った。そして両方ともクロだった。これは当然罰せられるが、役所の無駄遣いは会計検査院以外にはできない。
仮に出来たとしても蛙の面になんとやらで、彼等にとっては痛くも痒くもなんともないが、先人たちが、八戸の為にと残した財産を、反省も努力もせず安易に消費してはいけない。
ここは神田市長時代に戻り、八戸のためにこの金を上手に増やすことを考えるべき。つまり八戸市が八戸小唄の全国大会を催すべき。かつて商工会議所が数年実施したが立ち消えた。
 彼等には情熱も理念もない、観光客誘致、商売繁盛の神頼み的行動で実施するから長続きしない。八戸の精神昂揚、八戸の財産維持の見地から八戸小唄全国大会を実施し、先人たちの心を受継ぐことが大切だ。
これなくしては、八戸公会堂は滅びる。財団法人八戸公会堂が滅びるのは、積年あぐらをかいていたツケで、人件費の高さにあるのだ。彼等には自己保全しか頭にないから解決は出来ない。二十一年までで指定管理が切れ消滅の一途をたどる。それは役人天国の時代の凋落を意味するのだ。何でもいい、人民が気づかなければ何でもいいという時代は過ぎ去った。
しかし、市民ももっと問題意識を持つ必要がある。八戸市に八戸小唄全国大会事務局を設置させ、毎十二時に役所で吹鳴される八戸小唄を聞くたびに先人の労苦を偲び、将来の八戸の隆盛のために今、八戸の地を踏む我々が努力をすべきだと。
(掲載資料・公民館管理費は一部のみ、昭和五十二年からの分が後から提出されたため資料合計金額と差あり)