2008年6月5日木曜日

お荷物・八戸観光協会自立できずおんぶに抱っこに肩車2

観光協会
補助金返納百七十二万、使いきれない金を補助してもらうな
八戸市は観光協会に補助金を出している。
総額で七千二百万円、
運営費1120万
内訳は家賃220万
給料655万
専務報酬216万
事業費1641万
内訳えんぶりキャンペーン72万
観光と物産キャンペーン270万
種差海岸野草群生地維持活用事業500万
旅行商品造成300万
観光事業ホームページ作成50万
コンベンション事業250万
年中行催事4500万
内訳三社大祭3800万
お庭えんぶり・かがり火390万
民俗行事具補修100万
なんだか分かったような分からない金が流れている。民俗行事具補修100万は神社にくれている。何を補修したのかも分からない。こんな金は不要だ。修理したなら修理代の領収書をとるべき。何も出さないのは行政は宗教に介入しない大前提に反する。
斎場の骨灰供養に一円も出さない八戸市としての整合性がとれない。亡くなった人の肉体の一部がゴミとして扱われていいのか、供養もしていないと噛み付いたときに市民課長が言った。行政は宗教行為には金は一円も出さないと。
ここで百万が出ているのはどういうことだ。神明宮30万、オガミ神社30万、新羅神社40万。この金は補助の対象外。支給の必要なし。
これらを観光協会経由で出しているから訳がわからなくなる。八戸市として補助するものは補助、観光協会がしなければならないものと色分けが必要だ。なんでもかんでも五名程度の組織に投げるから分からなくなる。簡素が一番。観光課で補助するものと観光協会で出すものと二分すべき。観光協会で断れないことは観光課で断ればいい。市民のためになる金は出すべき。それ以外は断固断るのが正しい。なぜ、観光協会と観光課と分離せよというと、五人の職員で扱うには仕事量が多い。前号でも述べたように600万のピンハネが欲しくて指定管理を受けているが、もともと少ない人員で大きなことをするから間違いがでる。それが、この補助金の返還だ。
補助金は必要だから補助してくれだ。いわば生活保護。それが不要な金まで出せじゃ役所は怒る。ならやらないとなる。
三社大祭の補助金を一律で山車にくれているが、これも考えもの。山車どおしで飾り物を融通している。なら莫大に出す必要があろうか、なければ無いなりに智慧が出る。後夜祭にも金が出ているが、必要な後夜祭なら山車組も自発的にやるもんだ。先鞭をつけるための金は有効だが、それをだらだら出すのも疑問。この後夜祭山車費用は26山車に40万で1040万の支出。
考えながら出すべき。つまり祭りが伝統的に三日が短ければ四日に延ばせばいい。神社が出ないと言えば、そこから切ればいい。自発的に出ないは当人の意思。尊重尊重。
いつまでも神社があぐらをかいていてはいけない。そんな江戸時代はとうに過ぎた。神明に祈っても殺されるときは殺される。寝てて殺される八戸市民が何人も出た。家族といえ安心して寝てられない時代なのだ。
信仰心が薄くなってきているから神社も金に困る。前近代的な祟りばかり言っててもラチは開かない。人が来てくれる仕掛けが大事だ。それを祭り見物の人垣開けて勝手に帰る愚行。こんな公徳心のない輩は参加させないのが正しい。神として敬われるような態度こそ大事だ。それでこそ神なのだ。それを担ぐ連中の心が悪い。本来の大衆から支持を得る方法を考えるべき。
さて、観光協会の話に戻る。平成18年度の決算書から判明するのは680万円の繰越になっている。補助金は全額使えきれないほど潤沢にある。決算で利益が出ているじゃ、補助金を800万は削減できる計算。
ギリギリで、更に市民の為に活躍するには補助が必要なら分かる。努力も尽力もせずに安易に頂戴、頂戴じゃ、金遣いのあらい孫を持っているようなもの。困る。
困ることには手を出さない。補助金カット!
自主努力をせよ。行政はいい加減な者を救済する場ではない。本当に必要とする者を助ける所が役所だ。観光協会にはまだオカシナ所があるが、面倒なのでこれでやめる。史跡根城の広場と博物館の受付業務は連動するべきと随意契約がなされた。これも妙だが、このところヤマセの風が吹いて筆者の風邪が治らないので中止だ。観光協会以外が史跡根城の広場を管理するべき。
観光協会にやらせて、マリエントも閑古鳥、それが指定管理が変わり利用者が増加。やる気と根気があるものが世の中を動かす。観光協会は優遇されすぎて、その有難みを失念した。これも会長が長く居続けたとがめ。
人に感謝し自分が仕事を出来る喜びを味わえ。市長もそうだ、市役所職員諸君も同様。「はちのへ今昔」も同じだ。行政に噛み付けるあり難さを感じつつ毎日をすごさせていただいている。有難くない? そういう人もいていい。だから世の中は面白い。面白くない? だからこそ世の中は味わいがある。