2008年7月27日日曜日

八戸中心商店街の努力不足と金入一族






中心商店街が凋落(ちょうらく・おちぶれること)したのは商工会議所が会費だけ集めて市民のために働かない。また、商店主たちも他人任せにして、自分たちも努力を怠った。
 三日町のさくら野に店舗を貸しているのが、カネイリ、ここが伊吉書院に対抗して書籍を販売し物議をかもしたことがあった。今から三十年も前になるか。カネイリは金入勝子っていう、津軽だか黒石から婿に来た清吾のかみさん。これが女丈夫(じょじょうぶ・気が強くてしっかりしている女。女傑)で、カネイリの今日の繁栄の基礎を作った。カネイリは文吉の時代は魚粕、魚油を扱う海産物業、金貸しもして蓄財、ところが婿が商才乏しく家運を傾ける。戦後間もなく勝子はこれでならじと、背中に幼子を背負い、手に子を連れて関重商店を夕暮れ迫る頃に訪ねる。往時は八戸小学校はカネイリの前を通り、市役所横にあり、小学生は列をなして通学。これに勝子は着目し、雲霞の如く通りに溢れる小学生に文具を売ろうと決め関重を尋ねたのだ。三八地区から下北一帯の文具の卸商の権利を関重が握っていた。
 関重は勝子の話を聞き、快諾し商品を分ける。六尺のガラス陳列台一台を置いてカネイリ文具が旗揚げをした。それが功を奏して着々と地歩(ちほ・自己のいる地位。活動する上での立場。立脚地。位置)を占め丸光百貨店進出時には土地を提供し十三日町が八戸繁華街第一等地から三日町にその栄冠を移した。つい四十年前のことだ。
 勝子の息子に「はちのへ今昔」が敬愛する明義氏がおられた。この男は早稲田に進みホッケーで名を揚げるが、立教の田名部、明治の佐藤に技量面では落ちるものの、持ち前の誠実さで、市議から県議と着実に歩を進めた。自民党も彼を参議院に推すも届かず、市長選で中村に破れ体調を崩し落命。カネイリ一族は早稲田進学、中心商店街でも重鎮。
満ちれば欠ける世のならいで、このカネイリに暗雲が立ち込めたのは女丈夫勝子の死後。この人の存命中は爛漫の桜花の下の宴席に似て、カネイリの繁栄は頂点。
丸光はビヴレ、さくら野と経営者が代わり、このさくら野がカネイリに仇、借りている店舗の家賃を半額にしろと迫った。カネイリは店を百貨店とつなげているだけに、これを呑んだ。
固定資産税は半額にならないが、家賃収入が半額。これに困る。困るのは資産家、軒並み三日町の大家は店子が抜け、蛻の殻(もぬけのから・人が逃れ去った跡の家または寝床などのたとえ)で訪れる人もない閑寂。ところが固定資産税はかかる。これに困惑し商工会議所をつついて市役所に交渉。ところが。市役所は税収の七割を占める重要なものを下げる訳には行かないと突っぱねる。
ここで取れる策は税の不払いだ。全員が不払いをかければ、町全体を市役所が取ったとしても、市役所が魚屋、たばこ屋を営めるわけではない。結句、どこかで折り合い、手打ちとなる。これを指揮するのが商工会議所の仕事だが、ボンクラ、骨なしの彼らにはそんなことはできない。ネクタイぶら下げれば紳士だと本気で思う奴ばらには出来ない相談。だが、町が死ぬのと自分たちだけが生きるのとどちらが大事だ。
漫然と看過して、とうとう町が死んだ。壊疽を起こした。旧長崎屋がビニールシートでくるまれた。さくら野の地下、俗にデパ地下は食料品の魅力の富んだ所、ところが、さくら野の地下も壊疽、改装するとの声は聞こえるけど、姿が見えず、ホンにお前は屁のような……。
十三日町の三春屋のデパ地下は品揃え豊富で、年寄り中心に繁盛。どこに差が出た? 店を切り盛りする人間の技量と器量だ。三日町の繁栄も十三日町に取られるのは間違いない。小林市長はこれでならじと、三日町に交流センター構想だが、それで人が来るの? 
交流は拘留の間違いじゃないのか。これならしばらく留めることは可能。
さて、伊吉書院は青森銀行管理となり、三日町の店は撤退。この頃から青銀は中心街の没落、凋落を読んでいたのかも知れぬ。カネイリは中心街に人がこないという。下田のジャスコに出店、ここには本が充実、ところが三日町は買いたい本がない。それを指摘するとヘラヘラ。
今カネイリの店舗を切り盛りする人材に器量がない。かつて「はちのへ今昔」に連載を願った清川タヨさんの単行本をカネイリに出版するように願った。印刷製本費は著者にねだり、カネイリはその出版元の名を出し、他の書店に陳列を願うだけ。当初、これに快諾を示した男が、突然出来ないと断った。あわてて、木村書店に願い印刷販売。ところが、これが千部を完売。
デーリー東北新聞の書評もあり、ベストセラーだ。見る目がないのがカネイリ。何も損をする訳じゃない、そのまま進行すれば若干の利益も見込め、第一に伊吉が地元で果たした文化の灯、自費出版の種をカネイリも継承できると勧めたのだが、所詮器量のない奴を雇えばこうしたざまだ。
阿諛追従(あゆついしょう・おもねりへつらうこと。おべっか)は知っていても骨がない。だから、カネイリは転がる坂での歯止めを知らない。身を挺してでも止めるの気概の侍がカネイリにはいない。カネイリのみならず中心商店街には汗と知恵を出せる人材がいない。
幾らか知恵のある男が、空きビルを利用し、店を集めたところまではいいが、その売り上げ金を管理して使い込んだ。とんでもない奴。業務上横領にはならなかったようだが、これも事件性を含んでいる。不払いは詐欺罪で打てるが、店子はそれをしなかったようだ。
小林市長は拘留センター、おっと間違い交流センターを建てれば何とかなるような錯覚。立てばなんとかなるはインポ爺ィの寝言だ。人を集めるにはそれなりの理由がある。人に魅力があるから小中野に売春宿があった。物に力があるからヤマダ電機が電巧堂をブチ倒した。交流センターは何を魅力とするのか、中心街を歩くのは高校生と爺婆ばかり。ここで知恵を絞るのは至難。
四十六億円をかけての建物よりも駐車場の無料化をすべきだった。これも時宜(じぎ・事が適当であること) を逸した。
市民は税金投入のこの建物に真剣に意見を述べよ。建ってからでは遅い、七月末の着工が延びている今こそ、最後の知恵の出しどころ。金入勝子がいれば、明義氏がもう少し生きていればと繰言(くりごと・愚痴)をいうようじゃ「はちのへ今昔」もヤキが回ったナ。