2008年7月24日木曜日

全国の下水道は公団の食い物だ

現今はバイオ利用の水洗トイレの洗浄水を繰り返し使え、排水しない型のトイレや、水を全く使わないオガクズ利用のトイレなどが、人間の英知の結晶として実現している。
 水を使わないトイレは寒冷地特有の凍結の問題もない。また、循環式の水を下水に流さないトイレも下水道を必要としないため、これまた、多額な金を投入しないですむ画期的な発想。
 日本人はこうした発想をもてる世界でも優秀な民族なのだ。省エネの分野でも力を発揮しているのは日本人。世界的規模で日本人が海外の工場で洩れたエネルギーを捜して、それの対処を提案しているのをテレビが告げた。
 日本に初めて下水道ができたのは明治17年(1884)、東京神田。安土桃山の時代にも大阪には下水道があった。水洗トイレは1595年にイギリスで現在のような洋式水洗トイレが誕生し19世紀に一般に普及。
 多くの住民を抱える大都市では衛生的見地から下水道は不可欠。雨水、汚水の処理場も必要となり、大掛かりな仕掛けが必要となる。更に水洗トイレ普及で、不可欠となるが、地震災害で一番困るのが水洗トイレ。神戸の大地震ではマンホールの蓋を外し、その上に二本の板を渡して糞尿を下水道に垂れた。それとて、災害復旧が遅れれば山となる。
 人間は生きるために食うのか、食うために生きるのかと余計なことを考える人種がいて、それが哲学者。宗教家も哲学者で、考えるために座禅をするが、それも形式化して座ることに意味を見出す。それは働くことの放棄だ。余計なことを考えず額に汗することを喜びとするべき。お天道様と共に働き、共に休む生活こそ大事。夜中にモソモソパソコンやゲームをやって夜食を買いにコンビニに車を走らせるから、電気もガソリンも必要となる。小僧は早く糞して寝ろだ。
 さて、大規模な金を必要とする下水道事業に着目したのが公団。下水道普及のため施設すれば、国から補助がでる。それが分割されて出るのに着目し、それを全額立替しましょうと甘い言葉を地方公共団体にささやく。
 慢性的金欠病に陥らされているのが地方自治体。それは、国があれをやれ、「それにはこの金をやるから」、「ヘイ」、「それからこれを補助するから」、「こら有難い」で、へいこらと言う。どうしてもこの甘言に乗る。そのつけが八戸市でも年間金利だけで2億5千万円。
 白山台の大規模開発のツケが今、廻ってきている。公団は美味い汁を吸う仕組。金利の外に公団に毎年1億5千万円の委託料を支払っている。これは勿論随意契約。経費削減でこの金額を低減させる。また、金利が年利7%など法外なものがあるので、これの借り換えだ。
 これを下水道課に願い働いてもらった結果、年間1900万ほど削減となった。これも国が5%までは借り換えをしていいという。国策でこうした乱暴なことを地方に強いるは、何を考えているのか、国は地方住民を無視し、公団や銀行などを保護しようというのか。納得しないことが世の中多い。
 この下水道で光る職員がいた。それが早狩氏、こうした人材を見るのも楽しみなものだ。市役所二千三百人。たまには石の中に翡翠も混じる。