2008年9月5日金曜日

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達10

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる と詠んだのは石川啄木、この歌は八戸の蕪島海水浴場だと主張し、世の啄木研究家を揺すぶったのが、共産党元市議の岩織政美氏。
 この人が困った人に手を差し伸べた。元々困民救済を叫んだ無産政党の一つ、公明党も同様、社会の底辺の人々の声を代弁した。岩織市議は右翼が市議会議場にビラを投げ入れた平成五年の事件の前から、この前田氏の困窮ぶりを議会で指摘。
 それは平成三年十二月定例会、この議事録は八戸市のホームページで市議会に入り、記録から参照、詳細検索で岩織市議で出る。かなり突っ込んだ話が見える。
 が、紳士の追及はこの先に伸びなかった。平成四年は岩織氏は、前田問題、言い換えればひばりの里事件について追求していない。故人となられた前田氏から訊く術はないが、この決着を右翼に頼んだのだろう。そして右翼の出番、その街宣車が市役所駐車場にあるのを目撃した岩織氏が、何で中里市長が右翼ごときと市役所で会う必要があるのかと追求。
 これに腹を立てて議場にビラが撒かれた。岩織氏の追及も右翼の行動も、同じ前田氏の救済であったが、手段方法に右翼と紳士の違いがあった。
 結句、右翼はこのひばりの里事件で一億円の現金を得る。前田氏にその一部が渡った話を聞かない。
 この稿で一応、ひばりの里事件を休むが、佐々木の倅が再度刺激してくれれば、佐々木医師がアワジケイコを連れて右翼に街宣車をやめて欲しいと懇願した記録、滝沢章次県議と藤川友信の会話記録、前田氏が平成四年にイトーヨーカドー前で撒いたチラシ、佐々木桂一が台湾女性と結婚すると騙したとして、台湾警察からパスポートを取り上げられ、日本から五千万円送金させ、ようよう帰国できたなどのチラシ等々、存命する関係者からの録取などを公開する。滝沢県議に藤川友信は秘書として雇用されるも、色目を津島雄二に使い、当時、中選挙区制度で、八戸の事務所で働かせて欲しいと、一説では滝沢県議の後援会名簿を持って鞍替え。
 藤川は昭和五十八年の市議選で落ちるが、昭和62年4月26日に2663票で当選、順位は十九番目、経歴には代議士秘書。
昭和63年9月6日に社会福祉法人愛桂会設立

当初前田氏は善光会という社福を作ろうと考える。軽費老人ホームだけにすれば医師免許を持った人物の協力は不要だが、前田氏の構想には中間施設があった。
 これは入院患者が家に戻る前に、中間でリハビリ等介護を受けるもの。これに医師が必要。前田氏が当初予定した医師が断ってきたため、佐々木桂一の出番となった。一年間だけ理事長をさせてくれとの佐々木からの希望を入れたのが間違い。
 どうも自分が考えたものと違うものだと、再度、老人施設を作ろうと計画。前田氏の敷地は広大。その構想に八戸市も五千万円程度の補助が出るはず、それがこじれて岩織氏に追及された。
 ひばりの里事件と発展したのは、前田氏が名目だけの副施設長では自分の構想は実現できないと、土地を担保に金を借りた。それが八戸ガス興業社長の馬渡就氏、担保の土地がひばりの里へ通じる道路面で騒動が起きた。八戸ガス興業はこの土地を封鎖するとひばりの里に通告。ひばりの里へ入れない。これは佐々木桂一も困った。これを追求したのが岩織氏で平成三年の議事録にある。この土地を勿論、馬渡氏はひばりの里に買わせる。(広大な敷地は動画参照)
平成元年11月に中里信男氏が市長就任。ひばりの里の理事を開設当初から平成三年まで勤める。岩織氏に厳しく追及されるもノラリクラリ。この男が建てた箱物行政が今の八戸のガンになっている。
平成二年、津島雄二が厚生大臣就任。
平成三年藤川友信2785票、市議当選、十四番、ひばりの里理事、同12月、中里市長、ひばりの里理事辞任
平成七年、藤川友信、3295票市議当選、五番
平成十一年藤川友信、3605票、市議当選、三番
平成13年11月中里市長辞任
平成十五年、県議選、6140票落選
平成十九年 県議選 落選
これについて、
八戸市会議員藤川ゆり後援会会長で八戸市民オンブスマン副代表の佐々木聡と申します。記事に出ている藤川市議の父、藤川友信は世間で私の事を共産主義者呼ばわりしていますがそれは2回も人の金を使ってビリで落選している彼の無知によるところが大きいです。本当に単純で紅衛兵みたいなもので(笑)
それは2回も人の金を使ってビリで落選
とはどういう意味なのだろうか。藤川友信は現在もひばりの里の役員をしている。倅の知らないところで佐々木桂一とはつながりが深いのだろう。それが世代交代で倅と、優里市議の関係にもつれた。親子二代ともなれば、言うに言えない執念、妄念、怨念があるのか。
 藤川友信の県議落選も、盟友中里信男氏との関係がこじれ、押してくれるはずが中里が立てた人物が当選と、思惑が外れたの評も聞こえる。思惑と越中ふんどしは先から外れるのたとえもある。ひばりの里は昭和63年の資産2億5千万、これが平成20年に13億五千万円に膨れた。増やした側の得意顔、とられた者の泣きっ面。人生は勝者のためにあるのか、いや、そうではなかろう。
 困民救済は政治の仕事、が、それに真剣に加担する、あるいは、加担したのは共産党と公明党だけだ。岩織氏は貧困家庭で育ち、日東化学に勤務、優秀な若者に日東は自前の高校を作り教育。そこで岩織氏は学んだ。そして共産党員として政治に参加。少数だけに堂々の論陣は張れどかなわぬことも多かった、が、氏なかりせば、このひばりの里事件も解明の緒にもつかなかった。やはり、彼は偉大な足跡を残した隠れた人材。