2008年9月6日土曜日

日本の話芸 古典落語 人情話 1

「はちのへ今昔」被害者の会が、筆者の話を連載というが、筆に力がないと、読者をつなぎ止められない。さらに、難しいのがノンフィクション。徹底した調査が必要。時間と金がかかる。ところが、小説は楽、花魁、職人、めおとの三つの題をまとめるだけで一話できる。常現寺のおいらん道中の話で、大筋の花魁が分かれば、後は枝葉だけ。
落語で難しいのは人情話、落語にはいい話が沢山あるが、昨今の若者はそれを知らない。落語に造詣(ぞうけい・学問または技芸に深く達していること)の深い人には「はちのへ今昔」もやきが廻ったの叱責もあろうが、辛抱していただきたい。落語と言えば笑点での座布団ぶんどり合戦しか知らないむきもある。ご寛容のほど。
「紺屋高尾」
花魁で、最高の位にいるのを太夫と申しまして、中でも有名なのは高尾太夫で十一代まであったらしいんですが、とりわけ、初代の、花魁道中の時、自分の生んだ子を乳母に抱かせて一緒に練り歩いたという子持高尾、仙台萩で有名な伊建綱宗が通ったという仙台高尾、それにこのお話に出て参ります紺屋高尾、この三人がよく知られております。
 神田紺屋町で奉公人が十五人、手広くやっている藍屋吉兵衛という染物屋がございます。ここに永年奉公している久蔵という男が寝込み医者を呼びます。
「お前の病気は恋煩いだ。それも相手は素人じゃない。入り山形に二ツ星、いま全盛の三浦屋の高尾に想いをかけた。どうだ当ったろう」
「へえ……あっしやア両親に早く死に別れやしてね、身寄りってえなア、千佳の竹の塚の在にいる伯父だけでして。で、その伯父にゃア子供がねえんで、あっしを可愛がってくれましてね。前前から、年期があけたら家で引き取るからって言ってたんす。あっしもそろそろ帰ろうかと思って友達にそういったら、『お前は二十六にもなるってえのに、吉原に一度も行ってねえが、田舎イ引っ込んじまったら一生知らずに済んじまう、俺が連れてってやる』ってえから、『俺ア以前から、あんなとこイ行って悪い病気でもしょったら生涯取返しがつかねえ。決して吉原に足入れんなっていわれてるから厭だ』っていったら『花魁道中見物するだけならべつに間違えはねえ、かえっていいみやげ話になる』ってんで、無理に引っ張っていかれちまった。すると凄い美人で『ああいう花魁なら、死んでもいいから盃が貰いてえ』っていったら、友達が笑いやがって『馬鹿アいやがれ。ありゃア病気しょい込む気遣えはねえが、大名道具っていって、てめ えにや盃どころか傍へも寄れねえ』そこで錦絵を買って眺めてました」
「ハハハ、表向き見識を売ってはいるが、売り物に買い物、金さえ出せば自由になるよ」
「幾らで?」
「そうだな、初回で、どうしても十両だろうな」
「先生、あっしの給金は月一分で」
「そうか、年で三両か……、お前三年の辛抱は出来るかい? そうか、それならば九両を溜めなさい。そしたら花魁に逢わしてあげる……なあに、一両ぐらいなら、あたしが足してもいい……ああ、身請でもされない限り、廓にいなくなることはない。もしさようなことになっても、何とかしてお前に逢わしてやるから、その気になって一生懸命働きなさい」
 病は気から、薬は気やすめ、薬を飲むってえとたちまち全快いたしました。さア金を残そうってんで、一生懸命働いておりますうちに、丸三年がたち、四年目に入った二月。
 「親方、なんぞご用で」
 「ああ、ちょっと話があるんだ。まアそこイ坐れ……俺がゆうべ帳面調べたら、お前の給金が残らず俺の方の預りンなってて、三年分で九両溜まってる。そこでだ、お前が辛棒した骨折りとして、俺から一両ここイ包んどいた。これをお前にやる。これでお前の金は十両ンなったんだ。判ったな?」
 「へえ、さいですか、十両ンなったんすか。じゃア、十両出しておくんなさい」
「なんだ、手ェ出しやがって、確かに十両はてめえの金だ。で、あと三年辛棒したら、合せて二十両ンなる。そしたら俺が店を持たして、鉄漿(おはぐろ)つけた女房を貰ってやるから、紺の暖簾下げて、『親方、これを染めてくださいまし』『ようがす、あさっておいでなさい』かなんか、てめえがいえるようになる。それまで預っといてやるから、一生懸命やれよ」
 「親方、三年前にあっしが患った、その時、お医者が金ェ溜めて高尾を買う気ンなりやァ治るってんで、その通りィしたら治った。で、金が溜まったんで高尾を買うんで十両くれ」
「そうかい。なぜそれを先ィいわねえんだ。三百文女郎買うってんなら渡せねえが、大名道具となりやァ話ァ別だ、なア……三年分の給金で一夜の栄華を買うてなァいい度胸だ。……気に入った。よして金ェ渡してやろう」
「さいですか。じゃア今夜出掛けるんで」
 とにかく身綺麗にしなくちゃァいけないってんで、床屋や湯へやりまして、女房のおみつにいいつけ、荒物から履物にいたるまで、仕度をさせます。やがて久蔵が戻りますってえと、着替えをさせ、十両の金を持たせまして、先ずはお玉が池の先生のところへ、先生がお茶屋ィ行って話しますってえと、三浦屋へ聞き合わしてくれた。と、客がいま何かの都合で急に帰ったんで、花魁があいているという。
 早々に茶屋を引き上げまして三浦屋に送りこまれます。玄関には三浦屋の主人、四郎左衛門が出迎えまして、久蔵は花魁の部屋へ通される。先生の方は、ここまで来れば用はございません、お茶屋に引き返えす。
 ただきょときょと見廻しているだけで、ぽオ。となっちまった。と、番頭新造というものがそこィ入って来まして、
「お大尽、御寝(ぎょし)なりまし」
「ぎょしなりまし? なんです?」
「寝なまし」
「ねなまし? はアはア……どちらイ寝なます?」
「どうぞあれへ」
 見ると、高さ四、五尺はあろうかという絹の夜具が敷いてある。どうやって上ろうかってんで思案にくれておりますってえと、そこへ禿に手を曳かれた高尾が入ってまいりました。
 ここで引付けの盃や煙管のやりとりなどがございます。さて、いよいよお引けってえことになりまして、高尾と久蔵の二人だけとなります。
「主はよう来なんした。今度はいつ来てくんなます?」
 いつ来るかっていわれても、いくら紺屋の職人だって、あさってたァいえません。べそをかいたと思ったら、泣き出した。驚いたのァ高尾太夫。この人ア、四代目とも五代目ともいわれておりますが、高尾を継いだ中でも一番美しく、生まれも良く、才媛で、しかも素直でやさしいという、申し分ない人でございましたそうで、
「どうしなんした? おなかでも痛うざますか」
「へえ、いえ、そうじゃねえんで。今度来られるなア、三年経ってからなんでして、それを思うと」
「三年? なんぞ仔細がありなんすか? わちきに聞かせてくんなまし」
「へえ……実ァあっしァ紺屋の職人でござんして、三年前に花魁を見染めてからってえものは、仕事が手につかねえ、だが花魁にやァ、傍にも寄れねえっていわれたんで、いっそ死んじまおうと思ったら、あっしを今日ここィ連れてきてくれた、お玉が池の先生が、十両金ェ拵えたらきっと逢わしてやるからっていってくれたんで、お恥ずかしいが、あっしァ一年で三両しきゃ取れねえ。だが、花魁に逢えるんならってんで、三年間、ビタ一文使わねえで、ようやく九両溜った。そこイ親方が、よく辛抱したってんで一両くれたんで。親方はそん時、あと三年辛抱したら暖簾分けてやるって、いったんすが、それで溜めたんじゃねえっていったら、じゃア行って来いって。あっしが着物がねえってんで、着物から帯から、親方がまだ履いてねえ履物と、切り立ての褌、それに金入れまで、そっくり貸してくれたんで、こうしてお目にかかることが出来たんす。また来るにゃア三年稼がなくっちゃなりません、いや、稼ぐなア辛抱出来る                   ですが、そのうちにやア花魁がここィ居なくなりャ二度とお眼にかかれねえ、それを思うと悲しくってつい泣いてしめェやした」
 これを聞きました高尾、源平藤橘……四姓の人と枕をかわすいやしい身というのに、三年も想いつめてくれる情の深さに涙しまして、こういう実のある人につれ添っていたなら、生涯見捨てられることはなかろうと、
 「主、それは本当ざますか。わちきは来年の二月十五日に年期があけるんでざます。もし、わちきのようなものでも、女房にしてくださんすなら、主のところへたずねて行きたいんす」
 「へっ? 花魁が? あっしのかみさんに?」
 「拝みんす。どうかわちきを女房にしてくんなまし」
 「あ、ありがとうごぜえやす」
 「それなら、二度とここへ来てはなりんせん。今夜の勘定は、わちきがよいようにしておきまほう。主の持って来なんした十両は、親方の仰言るようにしなさんし」
 その夜は、馴染並みの扱いを受けまして、また逢うまでの形見の品を貰い、大門口まで送って貰いまして、意気鷹揚と店へ帰ってまいりました。
 それからまた真っ黒なって働きますうちに、その年も暮れ、翌年の二月十五日。
 吉兵衛の店先へ新しい四手駕籠がぴたりっと停まって、中から出てまいりましたなァ、髪をしっとりと丸髷に結い上げ、眉は剃ってうっすら青く形だけを残し、お召納戸に黒紋付姿の高尾太夫でございます。
 親方にしとやかに挨拶する口もとには、もう鉄漿をつけまして、
 「これはどうぞ久蔵さまへのおみやげでございます」
 と、花魁の方から持参金。
 ちょうど大伝馬町に手頃な店があるのを見つけた親方は、早速暖簾を分けてやりまして、高尾もまた、久蔵と、仲睦まじく、末長く暮らしたということで、紺屋高尾として後世までその名が残りました。
 まことに人の運命は計り知れないという、紺屋高尾の一席でございます。