2008年9月15日月曜日

南部一族と日蓮聖人

南部氏は清和源氏武田氏の分かれで、甲斐国南巨摩郡南部邑より興ったとされる。すなわち、新羅三郎義光の五世の孫にあたる加賀美次郎遠光の三男光行をもって祖とする。佐渡流罪を許された日蓮は1274(文永十一)年5月17日、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭、南部実長(さねなが)の招きにより身延山で8年を過ごすが、1282(弘安5)年9月8日、病を得、常陸に向かうも10月13日、途上の武蔵池上(現在の東京都大田区)にて61年の生涯を閉じた。南部一族は日蓮宗の熱心な信者。
これを落語家円生はこんなふうに伝えた。
日蓮宗というものをお広めになりましたのは申しあげるまでもなく日蓮聖人。安房の国長狭の郡小湊というところでお生まれになりました。お父ッつァんを貫名次郎庄司重忠、おッ母さんを梅菊御前と申し上げました。ある夜、日輪飛びきたって、これを呑むという夢を見て懐妊いたし、のちにお生まれになりましたのが日蓮聖人だという。昔は、この夢のお告げということをたいへん信用したもんだそうで、吉夢というものがある……。菅原道真公のおッ母さんは、梅の花を呑むという夢を見て懐妊をいたし、お生まれになりましたのが後の菅原道真公、天神様でございます。
 『慶安太平記』と申します……徳川幕府を覆そうとした由比正雪。この人のおッ母さんは剃刀を呑むという夢を見て由比正雪が生まれたといいますが……。家康のおじいさんは、是という字をにぎった夢をみた。これを占ってもらうと、こりゃまことに、たぐいまれな吉夢でございますという……、どういうわけかと聞いたら、是という字をのばすと、日の下の人と書く。それを握るというんですから、天下を握るべき豪傑が出来るにちがいないという。果たせるかな、そのお孫に家康という方が生まれました。天下を握るという、是の字をにぎったんですからこりゃアよかった。もし非の字でも握れば、非職になってしまったところで……。夢のお知らせというんですが日輪を呑んだというのはまことに雄大な夢でございます。あたくしの知ってる人で、七輪を呑んだ夢を見て火傷をした人がある。またこれもやはり噺家でございますが、狸と相撲をとった夢を見て……どうも変な夢を見たもんだてんで、当人も気にしてましたが、この人が睾丸炎という病いにかかりました。やっぱり夢のお告げというものはあるもんです。
 日蓮聖人がお生まれになりまして、幼名を善日麿と申し上げ、それから薬王丸となり、十八歳の時に髪を下ろしまして蓮長となった……。これから仏門に入り、一心に仏学を学んだ、ところがどうも、ご自分の腑におちない。そこである時は南都東大寺、あるいは叡山、諸方をまわりましていろいろ研究をしてみたが、どれも納得が出来ない。結局、世の中を救うにはどうしても法華経でなければいかんというので、旭の森において、南無妙法蓮華経という七字の題目を唱えました。
 この南無妙法蓮華経という文字は、みんな髭が生えておりますが、髭題目というんだそうです……。南無妙という字に髭があるが下の蓮華経というのもまた髭がある。真ん中の法の字は髭がない……どういう訳だといって聞いたら、法はくずす訳にはいかんというのであれだけはちゃんと文字を書きました。あとは全部、髭題目。
 このお宗旨に第一に帰依いたしましたのがご両親でございます。「子を見ること親に如かず」というが、まことにどうも偉いものですな、この宗旨に改宗をしようというので第一の信者になりました。おッ母さんの方へは妙蓮という法名を贈った。お父ッつァんの方は妙日……妙日ッたって、明日ッからじゃない、もうその日のうちにお題目を唱えました。
 これから、当時文化の中心地でございます鎌倉へ出て、これから辻説法というものをいたしました、今でいう街頭演説。ここでとうとうと、他宗を悪く言う、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊、他宗堕地獄、法華一人の成仏」と言った。さア、ほかの坊さんがこれを聞いて怒るまいことか……「日蓮てえ奴はとんでもねえ坊主だ。一泡ふかしてやろう」というので、これへのり込んで議論をしてみると、とうとうと説かれてぐうの音も出ない。どうにも仕方がないから、「あなたのお宗旨に改宗を致しましょう」というような訳で、日を追って盛んにはなりますが、一方また迫害も甚しく、大難は数ヵ度、小難は数知れずという、実に多難なご生涯でございました。「松葉ケ谷の御難」「小松原の御難」あるいは、「俎岩の御難」「竜の口の御難」というのもございますが……。ある日、松葉ケ谷の草庵で、弟子、檀徒の者をあつめて説教をしている……鎌倉の役人がおおぜい乗り込んでまいりまして壇上から聖人を引きずりおろし、有無を言わさず裸馬にのせて、これから竜の口の刑場へ曳こうという……途中鶴ヶ岡八幡宮の社前を通りかかりました。この時はるかに八幡宮を見上げた聖人、「如何に八幡菩薩、昔霊山に釈尊が法華経を説かれし時、十方の諸仏、多宝如来、三国の善神みな法華経の行者を守護せんと誓わせ給うたり。日蓮はいま、日本第一法華経の行者なり。しかも身に罪なくして今宵、頭を刎ねられんとす。我れ、頭を刎ねられなば、御身誓約に背きしことを教主釈尊に告げん。それを恐るるならば、疾く奇特の奇瑞を現わしたまえ」、はッたと、八幡宮をにらんだという……いやどうも、実にたいしたもんですねエ、人間でも堂々と神様に対して抗議を申し込む。「それじゃ君、約束がちがうじゃないか。いったい、君の責任はどうなるんだ」……立派なもんですねエ。そこへいくとあんまり立派でない抗議もある。
「おい。どうしたんだ。十六番だ…玉が出てこねえじゃねえか。しっかりしろい」なんてなことを言って……パチンコ屋の抗議なんてえのは、あまり立派なもんじゃないが……。
 竜の口に曳かれましたところには、いかめしく竹矢来が囲らしてあり、多くの弟子、檀徒の者はこれにすがって嗚咽の声、あるいは題目を唱え、打ち寄せる波の音、星の瞬きも、さながら日蓮の死を悲しむがごとく、しめやかなうちにもざわめいておりますが、聖人、少しも騒がず、静かに荒むしろの上に正座をいたしまして観音経を誦している。時刻来たれりというので、太刀を引き抜いてこれを振りかざしたときに「念彼観音力、刀尋段段壊」と、唱えると、この太刀が三つに折れたといいます。これを「太刀折れ御難」という……。鎌倉から急使がまいりまして、日蓮に死一等を減じて佐渡へ流罪という……これを「佐渡の御難」、あるいは「雪の御難」とも申しますが「われ生涯に、かほど辛きと思いしことはない」というねエ、「佐渡(さぞ)、つらかろう」てえくらいですから……。
 後、赦免になりまして、鎌倉へいったんお帰りになり、これから甲州身延山を開山しまして、これがご本山、ご入滅になりましたのは武州池上の庄、本門寺と申します、経宗の二カ寺というんだそうですが。関東の者は、わざわざ身延まで行かなくてもいいと言います、池上へお詣りをしたら、それで同じなんだといいますが、やっぱりお宗旨の方はご本山まで行かなければ、なにかどうもご利益が薄いように思いますが……。