2008年11月22日土曜日

羽仁もと子、西有穆山を訪ね取材9

九月十日付
 穆山和尚の行状
円満無碍の境に入れる穆山師も幼き頃はなかなかの負け嫌にて音に聞えし腕白老なりき、或日師の御坊に従ひて檀家の法会に赴きける折、若き人々様々に悪戯ひて酒を進めたれば、例の負けぬ気に大盃もてしたたか飲み干したるが、間もなく眩暈(げんうん・くらくらする)頭痛に堪へ難けれど苦しき様は色にも出さず座り居たる程はよかりしが、さて帰寺となりければ大地はうねうねと波だちて見え足下よろめきて一歩も進み得ざれば眼つぶりて師坊の乗れる駕籠に取りつきかき人と共に走るに駕籠は片方にのみ傾くにぞ、駕籠かきは弱りてお坊お坊よと引離さんとすれど、此方を払へば彼方にすがり遂に残されもせで寺に帰れり、翌る朝駕籠の雨窓散々破れ居るに師の坊見て怪しむ様なれば、金英すかさず駕籠かきに目くばしつつすすみ出で「御師酔ひて窓に取り付き給いし故この様に破れ候」と先を越しければ、師坊もしかとは覚えなきまま叱りもせず其のままやみけり、此くばかり勝気なるに不思議なるは幼きより他人と争はぬことなり、穆山師自ら語りて「孝は百行の基というは実に至言である、私しは今日まで決して人と争ったことはない、また遊楽のために身体を粗末にしたことはない、それで長命も出来たのだが夫れも是れも皆な親を思よから苦もなくやり通すことが出末たのだ、病気になったら父母が心配するだらう、過ちがあつたら親に難儀をかけるだらうと常に心に親ということを忘れなければ決して人間に大した過ちが起るものでない」と云ヘり、世にも難有き心掛けにこそ
師は十三にして出家してよリ七十九歳の今日まで肉を口にしたることなし、明治四年より今日迄日々の起臥飲食等詳しく侍僧に記さしめたる日記ありて、高き人の身にも及ぶ清らかなる生涯はそれにても知らる、情慾を抑へんと思はゞ苦しかるべし、一段に優れたる楽趣ありて其方に一心を捧げなば左して難き事にもあらざらん、習ひ性となりて師は肉食を好まず、先頃煩に牛乳を必要なりとて医の進むるまま少しづヽ用ゐたれど嘔吐を催す計りに感ぜしとか、英国にはヴェジテリヤンソサイヤテーといひて肉類を絶ち専ら穀物野菜果物等のみ食する会ありと聞く、七十年来実行し来たり健全長寿にして顔色の鮮やかに精神堅固なる師の如きはこれ等の会のために力強き味方なるべし