2008年8月31日日曜日

八戸の町並みシリーズ 11

八戸消防署前から本八戸駅に戻る
これで本八戸駅から三日町までの両側の紹介を終わる
次は八日町から二十三日町を紹介予定
雨ばかりで自転車に乗れない
撮影完了次第掲載
video

8月28日16時50分110番に電話

「八戸市南類家、伊吉書院で万引きを逮捕、逃走しようとしているのでパトカーを願います。伊吉書院という本屋です」
 女店員が烏に子を盗られた母雀のように、老人の男に二人で摑みかかっているのを目撃、どうした、万引きです、110番に電話したか? まだです、これで電話。そして必死に逃走しようともがく老人を鉄柵に押し付けて筆者が確保、青銀の若い衆を呼んでこい、男性職員がいるはず、この筆者の声に励まされ女性店員が青銀に走った。
 青銀の若い衆三人が筆者に代わり身柄を拘束、パトカーの来るのが遅い、遅い、サイレンを吹鳴せず、赤灯だけ廻して二人の警官が十分以上かかってきた。警官が犯人をパトカー後部座席に押し込む。それを見届け筆者は現場を去った。
 伊吉書院南類家店は、かつて高校生、中学生によるブッコ抜きと呼ばれる本棚から一気に、十冊とか十五冊をブッコ抜いて万引き、それは減ったが、老人の万引きが増加したと責任者の弁。
 そんなもんかと聞いていたことがあったが、目撃する立場になるとは。それに、今回は刃物を持っていなかったからいいようなものだが、女店員、気をつけろ。助かりたい一心で刃物を振り回されれば落命の瞬間もある。正義感もあろうが、追尾して犯人宅を調べる程度にすべき。
 たまたま筆者が加担できたが、剣呑剣呑(けんのん・あやういこと。あやぶむこと)。東京の本屋で大学生のアルバイト女性が殺された事件もあったゾ。

2008年8月30日土曜日

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達5

平成5年6月定例会議事日程第三号 平成五年六月十六日(水曜日) 
 午前十時開議
三十四番(岩織政美君)一九九三年六月定例議会に当たり、日本共産党議員団の一員として質問を行います。(中略)  次に、右翼団体来庁問題について質問します。 去る六月七日、右翼団体天聲連合会が中里市長に面会を求めて来庁し、市幹部らと約一時間半余にわたり交渉しております。また六月十五日、きのうは西野議長に対して要望書を提出し、市議会の対応を求めております。聞くところによれば、八戸市の前に県当局に寄り、要望書を提出し、県の対応を促しておると言われております。六月三日に八戸入りとすれば、本日まで二週間経過し、この間、御承知のように、老健施設ひばりの里の運営に関して批判を加え、土地提供者で設立発起人でもあったM氏を救えと繰り返し叫んでおります。 きのうは前澤議員の質問中に傍聴席から大声を上げ、議事運営を妨害しました。市議会の運営を妨害し、言論を封ずるようなことは、何人であれ、断固排撃されなければならず、一方、西野議長あての要望書で求めている内容については、当市議会としての権威ある対応を進めるべきものであります。 さて、中里市長に対して建白書を渡してあるとのことでありますが、その内容はいかなるものか。目的は何か。また市としてどのように対応したのか、まず明らかにしていただきたい。 次に、右翼団体の街宣車による主張を聞く限り、ひばりの里の人事及び土地問題等に関して不正があると、名を挙げて批判を加えております。八戸市の幹部や中里市長に求めている内容も同趣旨のものとすれば、ひばりの里の元理事としての中里信男個人ならいざ知らず、市行政の最高責任者である八戸市長としての行政処置を求めることは、老健施設ひばりの里に全く関与していない八戸市行政の立場からは筋違いと言わねばなりません。 かつて私は本議会で、ひばりの里と関連した計画であった是川・天狗沢ケアハウス問題を取り上げ、ひばりの里通路封鎖問題にも触れました。ケアハウス計画問題をめぐる疑惑は今も解明されておらず、その予定地に抵当権を三千万円で設定したO建設とM氏は裁判で係争中であり、M氏の理事解任の理由とされているのは、このケアハウス計画の挫折にかかわる問題であります。そして、このケアハウス計画には県及び市が大手及び地元業者らとかかわってきたことも事実であります。 しかし、右翼団体が主張している内容には、このケアハウス問題は含まれておらず、その限りでは八戸市行政としては全く関与していないことも明らかであります。したがって、中里信男個人ならいざ知らず、市行政のトップたる八戸市長及び市幹部に対して、ひばりの里に関しての一定の対応を求めているという点において、根拠のない行政介入とも言うべき行動であり……。 〔傍聴席にて発言する者あり〕
議長(西野陽一君)傍聴人に申し上げます。 静粛に願います。
三十四番(岩織政美君)連日の街頭行動によって市民の間に大きな不安と疑惑を抱かせているのであり……。 〔なお、傍聴席にて発言する者あり〕
○議長(西野陽一君)傍聴人に申し上げます。 〔傍聴人が議場にビラを投げ込み、議場騒然となる〕
議長(西野陽一君)退場。(ビラを投げ込んだ傍聴人を指差し)地方自治法第百三十条第一項の規定により、退場を命じます。退場。
◆三十四番(岩織政美君)市行政を預かる者として毅然たる対応をすべきであります。よって、今回の右翼団体の行動に対する中里市長の基本的立場に基づく見解を求めるものであります。 〔なお、傍聴席にて発言する者あり〕
議長(西野陽一君)退場を命じます。 〔退場を命じられた傍聴人退場〕
 (中略)以上で質問を終わります。 〔三十四番岩織政美君降壇〕(拍手)
◎市長(中里信男君)岩織議員にお答えを申し上げます。
次に、右翼団体来庁問題につきまして、来庁した目的と、市はこれにどう対応したのか。市役所内で会うべきではなかったのではないか、こういう内容でございました。 神奈川県座間市にある政治結社天聲連合会の総帥佐藤寅之助という方から六月三日連絡が入りまして、八戸市内に所在する老人保健施設ひばりの里問題で被害をこうむって非常に苦しんでいる市民がある。ついては、八戸市の長としての立場から、この施設に対して行政指導の徹底に努めてもらいたく、八戸市長あてに要望書を提出したいので受けていただきたい旨のお話がございました。 健康福祉部長と同次長、福祉事務所長等で、このことについて、六月七日月曜日午前十時、旧館二階大会議室において天聲連合会総帥以下五名の人たちと面談し、八戸市長あての建白書なるものを受領いたしました。その内容はどうかということでございますが、行政指導をせよということでございます。 また、六月四日金曜日には、青森県知事あての同趣旨要望書を持って県庁を訪ねており、県の医務薬務課の課長補佐クラス二人で対応をいたしておるところでございます。 次に、老人保健施設ひばりの里の人事問題については、市が直接介入できないはずであり、このような団体が行政介入する意味は何なのか。また、市長が前理事であったことについては個人の問題であり、個人として対応すべきと思われるが、市長の見解を示せ、こういう内容でございました。 ひばりの里の人事問題について、市が直接介入できないはずであることは、議員御指摘のとおりでございまして、全く介入をいたしておらないのでございまして、その事情については言及することはできないのでございます。このような団体が行政介入する意味は何かということでございますが、八戸市長あてに要望書、建白書を届けるという意味だと理解をいたしております。 そこで、個人の問題につきましてですが、今まで個人として対応できるものについては対応してまいったつもりでございますが、ひばりの里問題は当事者間で解決すべき問題であろうと理解しておりまして、弁護士が入っておることでもありまして、今日私が何かを申し上げて事の解決になるとは考えておらないのであります。 それにいたしましても、右翼の方々が八戸へ来て街宣をやっておるということは、極めて残念な出来事と受けとめております。できるだけ市民の不安に及ばないように、ひたすらに願っております。
◎編集部注釈 M氏は前田勇氏、O建設は小幡建設。

2008年8月29日金曜日

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達4


平成五年6月17日付けデーリー東北新聞
八戸市議会 議場にビラ投げ入れる
右翼団体、一時騒然と
八戸市議会六月定例会は十六日、二日間にわたる一般質問を終えたが、傍聴席から本会議場ヘビラの投げ入れなどを行った右翼団体に連日、市議会議長から退場命令が出され前代未聞の状況で推移した。この日、岩織政美議員(共産)が一般質問で「議事の妨害であり、議会の全会派を冒とくするもの」などと指摘し、市側の対応を追及した。
 岩織議員は、右翼団体の来庁目的などについて質問しながら「市が全く関与していない老人保健施設問題で、個人ならいざ知らず市長に対応を求めるのは、行政介入と言わざるをえない」と市長の見解を迫った。
 これに対し、中里信男市長は「老人保健施設の問題について市が直接介入できないのは指摘の通りで、介入もしていない。当事者間で解決すべき問題と思っている」としたうえで、「街宣活動は極めて残念」と答弁した。
 また、岩織議員は右翼団体の行動に言及し「議事を妨害し議会の全会派を冒とくしたうえ、市長に『背任、横領罪だ』という言葉を投げつけたが、市の代表として一定の対応をしなければならない」と、市側のき然とした態度を求めた。中里市長は「何を根拠に発言したか分からないが、義憤を感じた。名誉にかかわるので当局と詰めて対応したい」との考えを示した。
 この日、傍聴席の最前列に陣取った右翼団体のメンバーは、一般質問の最中に老人保健施設問題を掲載したビラを本会議場に投げ入れ、一時騒然となった。十五日の一般質問でもヤジを飛ばし議長から退場命令を受けたばかり。市では、不法行為が予想されるとの理由から一般質問が行われた二日間、八戸署に対して出動要請を行っていた。同署では、議会内でのビラまき行為が禁止されているため、右翼団体のメンバーに任意同行を求め軽犯罪法違反の容疑で事情を聴いた。

2008年8月28日木曜日

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達3

佐々木泌尿器科の倅から依頼を受けた野中弁護士から意味不明なラブレターを貰い、俄然やる気が出た。常識のない佐々木悟氏がしでかした事を、黙っていてやろうと思って、奥歯に物の挟まった言い回しをしたが、弁護士も気の毒だ、あんな佐々木悟氏の話でワザワザラブレターを送付するとは。
 そもそも、他人に内容証明を送付するは、宣戦布告、そこには何が気に入らないかを、刑法の何条に抵触すると、相手が眼の覚めるようなことを記すもんだ。
 さて、読者諸君から歯切れが悪いの指摘を受けた藤川優里市議の話をそのまま伝達する。これはなつぼりさんと言う女性がA市議に言うことをきかない藤川優里市議に、言うことをきくように話をしてくれと相談があった。
 そこでなつぼり(氏名判明だが伏せる)さんとA市議と佐々木悟氏の三名で某レストランで会食。
 なつぼりさんがA市議に○○をしていただきたいのですよねエ、理事(佐々木悟氏)と話を振ると、そうです、その通りですなどの返事が返る。佐々木悟氏は何をいうことをきかせたかったのか、なつぼりさんも妙な言い回しをしたが、藤川優里氏の前途も、佐々木悟氏の名誉もあるので、妙な憶測、類推をさけるために奥歯に物の挟まった言い方をした。
それで佐々木悟氏が文字通り悟ると思ったからだが、「はちのへ今昔」被害者の会を創設していただき、楽しく文面を拝見。
さて、その藤川優里市議の件の他に、佐々木悟氏はB代議士に会わせて欲しい件をA市議に直接依頼。B代議士は防衛副大臣をしているため、東京六本木で面会しなければならない。
 交通費を負担して欲しいとのA市議の話に佐々木悟氏は二つ返事で応諾、そして防衛庁の前で待つこと三時間、すぐそばに居るといいながら、三時間も待たせ、申し訳ないの一言もなく面談。それを本人は「はちのへ今昔」のブログに次のように書き込んだ。「私は6年近く自民党員ですのでそういう事はありません。先月私は防衛省で防衛副大臣を表敬訪問したぐらいですから(笑)」
 表敬訪問する人間が秘書官を三時間も門前に待たすのか。それは表敬訪問じゃない。包茎訪問の間違いじゃないのか?
 八戸に戻りA市議が交通費を請求するも不払い。再度請求書を出すとB代議士に払う必要はないと電話。踏み倒すにはそれなりの方図(ほうず・さだめ、かぎり、範囲)があろう。自分から依頼した事案にも関わらず、踏み倒す、きめこむ(そしらぬ顔をして意図的にそれをする。ぬけぬけとやる)は人を愚弄している。
 金さえ払えば何でもする人間はたしかにいる。それを佐々木泌尿器科の御曹司がするのか。いくら医者になれない医者の倅でも、していいことと悪いことの区別はしろ。A市議も人、なつぼりさんも人だ。金を払うなら悪口でも罵詈雑言(ばりぞうごん・口ぎたない、ののしりの言葉)も自由だ。が、銭も払えない根性の汚い、銭に支配される人間が人を中傷、誹謗(ひぼう・中傷と共にそしること。悪口を言うこと)できる立場にない。利巧が足らないぞ。もう少し世間を勉強して出直せ。歳が若いのだから、幾らかはましになれるだろう。
 銭は綺麗に使え、幾ら汚く稼いでもいい。だが、人を騙すな。佐々木の倅が人を騙したとは言わないが、親父はどうもそれをしたようだ。
 その加担者が、藤川友信であり八戸名誉市民の中里信男元市長だ。平成五年六月十六日八戸市議会において、天声連合会なる右翼に「中里背任横領、藤川出て来い」と叫ばれ、議場にビラが撒かれ騒然となった。
 次回はどのように佐々木泌尿器科が、この前代未聞の八戸市議会騒動に関わっているかを記載、しばらくの間、この一連の事件を連載する。見逃すことなかれ。

八戸の町並みシリーズ 10

三日町から本八戸駅へ戻る
画面は旧長崎屋、今はホームレスと同じブルーのビニールシートに包まれた状態を見せ、造り酒屋の河内屋八右衛門の敷地がビジネスホテルと変貌する工事現場を通過。昭和40年の地図では青森銀行三日町支店とある。となりはカネタ洋装店。ここは健在、クマガイ靴屋は消滅。名久井電気は城下へ移転、今は美容材料の店で活躍。大久保理容は今もあるか不明。石木田酒屋は元は侍だったと思う。小阪から来て酒屋になったような記憶あり。呉竹菓子店の看板が今も見れる。長崎カステラとある。商売をやめても昔のよすが(物事をするのに、たよりとなること。手がかり)を偲ばせる。

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2008年8月27日水曜日

水道企業団と下水道のもたれあい




上水道と下水道は兄弟のようなもの。似たもの同士だが手口は汚い。下水道の料金徴収は水道の使用量を元にしている。
 つまり、水道の使用量検針に行くのは北奥羽サービス、つまり民間会社、ここは水道企業団が80%以上を出資。子会社にしている訳だが、この株式会社は経営内容を公開しなければならない。これは八戸市条例にもある。
 ところが、彼らはそんなことはないと高を括って(見くびる。あなどる)いた。情報を公開しなければならないと知った北奥羽サービスの専務はうろたえた。そこで八戸市役所に水道企業団の職員と共に相談に出た。「我々は開示の義務があるのか?」と。にべもなく(愛敬もない。思いやりもない。とりつきようがない)当然ですとやられた。法律、条令で規定されている。
 しなければ法律違反。その北奥羽サービスは機器を水道企業団から借りて検針に行く。ここに問題あり。この機器は水道企業団のもの。これがなければ水道料を算出できない。通常、北奥羽サービスの人間は、水道企業団に出向き、それぞれの担当地区に検針機器を借りてから移動。この機器がなければ仕事にならない。
 この機器の購入代金を水道企業団は下水道に負担をさせ、さらに、その保守料まで負担させている。これが違法請求だという認識すら下水道にはない。
 さらに、下水道の愚か極まる体質は、通常、役所が委託契約をなす場合は、幾らかかるかを自分の部署で計算する。これを設計書と呼ぶ。自分たちがあらかじめ計算した金額を、財政部に持ち込み、この程度の金額を見込んでいるが、予算として考えていいかどうかの指示を仰ぐ。
 良かろうとなると、それが入札最低価格となる。複数社が札を入れる。一回目で最低価格に満たない、つまり高い札を業者が入れると、二回目の札入れ、さらに三回となる。それでも予想した最低価格に至らないとなると、役所と業者の協議となる。これは官製談合。業者が談合すると問題になり、懲罰を科すが、役所が計算した最低価格にならないときの協議が談合にならないのは不思議。
設計書に間違いがあるのだ。それをごり押しするのは間違い。だが、業者はこれを言えない。長いものには巻かれろだからだ。
 こうした官の横暴に非を鳴らすのは「はちのへ今昔」だけだ。ダメなものはダメ、ところがこれを言えない。言うと次の仕事に影響すると、己が仕事が可愛いから黙る。「はちのへ今昔」は仕事が欲しくて情報開示をしているのじゃない。雑誌を売りたくて街をうろついているのじゃない。無頼漢だからだ。世の中が全く面白くない。面白くないから方々で吠える。面白くない世の中をダメにしているのは役所なのだ。
 人民から税を搾り取って、それを人民のために使う知恵を持たない。それが面白くない。税は富の再分配。ところが本当にそうなっているのか?国民保険の資格証、この救済すらままならぬ。「はちのへ今昔」が吠えても、事態は少しも変化しない。その己が無力が面白くない。
 体制の側にいない無頼漢がやたら騒いでも、カラ騒ぎだ。己が無力を知ってもやめないのは、無頼漢の無頼漢たるところ。世間の馬鹿野郎とせいぜい地面に唾を吐くだけだ。
 青森県が産んだ偉人、太宰治がこう言った。「世間とはあなたでしょ」太宰は偉大だった。世間とは何? 生きるとは何? 根源的な悩みに文学の世界で立ち向かった。だから没後六十年の今も、命日の桜桃忌には多くの若者を集める。この世は若者の悩みを解消する所なのだ。そのために年寄りは喜んで一命を投げる。投げ打つことこそ、老人の仕事なのだ。頭に霜を積んで、イジイジと死の迫り来るのを肉体の老いに怯えながら生きるより、ここが死場だ、若者のために死ねるなら、誰が命を惜しいと命乞いをする? 死ぬということはそういうことだ。ただただ、焼き場の煙になる前にすべきことがあろう。それが、人間の使命なのだ、犬と人間はここが違う。
 さて、下水道はその委託の根源となる設計書、つまり、幾らでこの仕事を発注するべきかの計算ができない。自分の人生を自分で決められない犬と等しいのが下水道だ。
 他団体に仕事を依頼する根源の計算もせず、水道企業団が要求する金額を、なんのためらいもなく支払う行為は市民を愚弄している。市民は役所の人間は適法に、合法に仕事をしていると信じている。
 ところがこうした愚かな人間たちがいる。自分たちのしていることに間違いはないと盲信しているのだ。前任者がしたことで、と、平然と言うが、なら前任者を連れて来い。前任者がしても、後任者のアンタが正せ。無頼漢の「はちのへ今昔」は平然と、傲然(ごうぜん・おごりたかぶるさま)と言う。その悪事を解明したのは「はちのへ今昔」だの自負がそうさせる。
 下水道料金の徴収を水道料金をもとにしているから、薄汚い水道企業団の言うままになる。こんな方法によらなければいい。平均的家庭の下水道料金を出し、それより少ない額を均一に賦課すればいい。毎月の水道料を問題にするのは水道企業団だけ。糞便を流す下水道は独自の算式を持て。それも水道企業団の悪徳に加担するような方法でなく。
 これが水道企業団となした契約書だ。契約金額は1623万円。この契約書には機器の購入代金、その保守料を支払うとは記載されていない。契約にないものは支払う必要がない。
 ところがどうだ。下水道のボケ集団はそんなことにも気づかない。どうして? それは特別会計になっているからだ。市役所から島流しになるとボケが始まる。財政に相談せず、勝手な判断で処理できるからだ。
 下水道と水道企業団の契約の積算根拠、つまり、これは水道企業団から請求のもとになる書類を出させた。それが、この黒塗りの人件費明細。個人情報に関わるというのが下水道の言い分。人件費の計算が正しいのかの疑問すら下水道は持っていない。それは手当てに企業団というのがある。これは八戸市役所にはない特殊なもの。こんなものまで八戸市民は汚い水道企業団に支払わなければならないのか。馬鹿野郎だ。自分が支払うべきものかどうかの判断も措置もなく、唯々諾々と払う馬鹿が何処にいる? 
 このことを噛み付いてやった時に八戸オンブズが来ていた。訳もわからずに寝言を書いているが、情報公開は知恵の戦いだ。情報公開を求めて、何を改善できるかが問われる。八戸オンブズは自分たちの事務所の入り口を示す看板を届け出もせず道路に立てた。50万円の罰金だ。それを担当課に指摘され慌てて撤去。他人の非を鳴らす前に自分たちのことも処理しろ。その程度の知恵で役所の悪を暴露できるのか? 
 下水道は不当に払った分を水道企業団から取り返せ。民法で決まる五年にさかのぼって。

2008年8月26日火曜日

困民救済 八戸で医療費全額自己負担者の解消 5



国保税滞納28億円、市税滞納総額46億円。国保税の滞納は県から来る調整交付金4億円に影響。これがこないと大変困る。
 この滞納解消にやっきとなるのが収納課、徴収に夜討ち朝駆けをする。もともと払えない人に税を課すことが間違い。それに八戸市は気づいていない。生活困窮者なら生活保護申請をすればいい。役所はそれを待つと建前でいう。
 生活保護課長は八戸は弘前からくらべれば就業の機会が多いと言った。ところが平成十五年4月15日のデーリー東北には生きていけないの大文字が踊る。
 全日本建設交運一般労働組合(建交労)青森県本部がこのほどまとめた県内の失業者アンケートで、八戸公共職業安定所管内の半数が「生活することすら厳しい」と回答したほか、雇用保険未加入の割合が県平均の二倍に上るなど、より厳しい状況に置かれていることがわかった。同本部は「八戸のホームレス予備軍は相当数に上る」と指摘、関係機関に失業対策の充実を訴える。
 国保税も消費税と同じように収入があろうがなかろうが課せられる。ないからタダはない。ここに根源的問題がある。
 自営業者はスーパー出現で閉店が続出。最近はシャッター街が増加。国策の酒免許、米免許の撤廃が廃業、閉店に拍車。スーパーの献金がこれを生んだ。政治家なんてのは街が崩壊しようが、国民が困ろうがたいした問題にしない。代議士の報酬は減額にならない。政務調査費はどぶどぶと使う。国会議員は領収書の添付は必要ない。
 国民がこまろうと平気だが、この風潮は戦争に負けたころと似ている。大本営発表で戦況は勝利と叫ぶが、国民は負け戦を知っていた。挙句、困ったのは軍部、解体になり、それでも自衛隊で復帰。何とかなると為政者は思っているのだろう。だが、自民党の思うようになるのだろうか。
 八戸市役所の能天気(のうてんき・脳天気とも書く、物事を深く考えないさま)は、所詮、その課長職に長く留まらないと踏んでいるから。それで解決できるのか。
 平成十六年から国保税は22%上がった。収税率が低下すると調整金が来なくなる。だからとれる所から取る姿勢が、税率アップで市民はあっぷあっぷ。
 役所なんてのはこんなもんだ。何故? 役人は国民保険じゃない。職員共済で、市民とは別の保険に属している。だから、自分たちは鼻歌でヘラヘラ。市民の痛みは百年我慢が出来る。自分の痛みは三日も耐えられない。こんな人間に国保をゆだねていること自体が間違い。同じ土俵で相撲をとっていない。だから平気で四年間で22%の上昇を画策。こんな人間と共に天を仰ぎたくない。
 国保の収支を改善させるには違う手がある。それは調剤費(薬代)が年間二十億円出ている。八戸市議会でこれに気づいたのが公明党。これをしきりと質問。前沢議員に会って話を聞いた。理路整然としていて市議ではもったいない人物。県議に出てしかるべし。が、色々あるようであたら人材が埋もれている。
 さて、公明党はこの調剤費削減にジェネリック薬品(特許が切れて誰でも製造できる薬品)を使えと要求。二割が削減されるだろうとの意見。「はちのへ今昔」は三割と踏んでいる。これが切り札。積極的に医師会に働きかけろと要求した。これは行政にも市民にも有効。市民も薬代が軽減される。
 国保保険証が間もなく切り替わる。それに「私たち八戸市民はジェネリック薬品を使います」と明記しろと国保課長に伝達するも、なんのかんのと言い訳。現場の課長の頭が切り替わらなければ、一歩前進はない。
 ウチマル薬局に張り紙があった。ジェネリック薬品使用だ。すべての市民が要求するようになれば、少しは国保の収支も変化する。しかし、滞納は変わらない。変わる世の中、変わらぬ滞納は制度に欠陥がある。
 制度の見直しは八戸市役所を横断する眼が大事。収納課が動いても不在が八割。地域住民の悩みを知るのは民生委員、これらの人々から毎月、悩み事が報告される。それをまとめて県に送るのが八戸市役所の仕事。
 これに一歩踏み込み、民生委員の協力も得て、国保税滞納者の悩みを徹底追及し、制度改善の一助にするべき。民生委員の会合に国保課長も顔を出すという。健康福祉課も民生委員の大会に出て、役所が抱える税の滞納に尽力してもらえないかを訴えてみるそうだ。
 さらに、国保課長も滞納者の家庭を収納課員と共に訪問と、各々が動き出してはいる。しかし、解決の門前に立つだけだ。鍵を誰がさしこみ、誰が開けるのか、事態は容易ではない。そして、商工労政課が、市役所に来て欲しい、共に就職活動に汗を流すという手紙を出せ。税の督促状ばかりが市役所の手紙ではない。一人で悩まずに足を運んでくれれば、行政も知恵と汗を出す。これが血の通う姿勢ではないのか。市民は税を運ぶ蟻ではない。困難に直面したとき、一人で悩まずに来いという親身の言葉こそ、勇気を奮い立たせる。
 行政はこうした仕事を旨としろ。八戸市役所は肥大化して、自分たちのする仕事が見えなくなっている。腹がでかくなって、自分のチンチンが見えないようなもの。デブ症候群は不要だ。もっと組織を簡素化し、給料を削減し市民に還元することを学べ。
 明日は同様な組織がもつれて自分の手を踏んでいても気づかない話を掲載。

2008年8月25日月曜日

八戸の町並みシリーズ 9

岩館センベイからさくら野まで
昔さくら野は岩手銀行、丸光デパートがビブレになってさくらが出た。
さくら野の地下、俗にデパ地下、ここは食品の面白味のあるところ、が、さくら野はここが貧弱、歌舞伎役者中村扇雀の弟のようなもの、何? 意味が分からない? 扇雀の弟で中村ひんじゃくだよ。
街に力が失せた。これを回復せんと小林市長が出したのが交流センター。
これがくせもの、巧くいけばいいが、拙く行く公算大。
H鋼材の高騰で図面の引きなおし、地下をやめるそうだ。Hが出て困るじゃお先が見える。
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2008年8月24日日曜日

小林市長擁立の立役者没


小林市長の当選を自民党の大島代議士すら予測しなかったといわれるが、この人を盛り立てたのが工藤雄剛市議、8月21日に八戸市議会臨時会が開かれた。氏の議席に花が飾られた。

議席に着くと名札(議席標)を立てるが、二度と立つことはない。

小林市長は片腕をもがれた。港の建て直し、中心商店街の再興と二大テーマをどう処理できるか。いよいよ手腕を問う時こそ来たれり。

民主からは田名部和義市議が対抗馬の模様。石堂、田名部一家の総本家、人品骨柄良く、実力もあり資産も充分、知名度もそなわると、三拍子も四拍子も備わる。こうなると、小林市長もうかうかできない。

工藤氏没で、混迷の度合い深し。

八戸の町並みシリーズ 8



野田ビルからさくら野まで


さくら野は岩手銀行、道路へだてた前は弘前相互銀行(みちのく銀行前身)、今はカバン屋。このモリタも立志伝中の人。大層な努力を重ねられた。


野田商店とある。何を扱っていたか不明。ここには軽米方面からのバス停があったそうだ。


前原、金子商店、岩館センベイ、マルヤス化粧品屋、カネイリ文具は健在、金沢理容はなくなった。








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2008年8月23日土曜日

八戸の町並みシリーズ 7


ロータリーから野田ビルまで

商工会議所は昔は八戸税務署。この後、税務署はグランドホテル横に移転。そこが八戸美術館になった。美術館とは名ばかりで、天井は低い階段が変な場所にあると、使い古しは勝手が悪い。美術品の収蔵庫もないと美術館は名ばかり。税務署はその後、現在地ラピア近くに再再移転。

三八福祉事務所跡に不動産斡旋屋が入った。ここに以前は北海道銀行があった。

反対側には青森銀行が建つが、地図では空き地だ。この通りを津軽海峡と読んだ人がいた。

北海道と青森の間を通るから。なるほど。

商工会議所は三八福祉事務所の隣にあるのが見える。


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2008年8月22日金曜日

八戸の町並みシリーズ 6


ウチマル薬局からロータリーまで

昨日、三日町角となりの貸しビル業マルフクが倒産。建物を高くしたからフラフラ。

この店は昔は下駄屋、当時は堅実経営。

その心は、ハイ、地に足が着いています。

下駄屋は昭和8年、田名部福太郎が田福商店として創業。履物、草履、原料販売と昭和十二年版の「八戸商工案内」にある。

八戸小学校は今は売市にあるが、昔は市役所隣、だから児童館も近くにある。今は児童もいないのに、建物古くなったからと自動的に建つ? 世の中不思議。役人の発想はこの程度。役に立つ金を使え。



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2008年8月21日木曜日

困民救済 八戸で医療費全額自己負担者の解消 4

医療費全額自己負担者538名は今502名となった。この人々の年齢別分類を国保課長に願った。それが盆明けに出た。課長が情報システム課を督励した労を謝したい。
 その分類結果は
20代 36
30代 90
40代 104
50代 178
60代 74
70代上20
    合計502
単身世帯411
二人世帯57
これが解明しなければならない条件。まるで数学の問題。
20代から50代までは労働できる世代。これが408ある。つまり8割の人々が就労できていないのだろう。
 生活保護課長は八戸は弘前とくらべれば、就労の機会は多いという。すると、これら408の人々に仕事を優先的に紹介して貰えないのかの疑問。
 八戸市産業振興部商工労政課がそれ。そこで二十日に東森課長を訪問。この人はしきりとテレビで頭を下げた。なんでもやらせ質問をしたとか、させたとか教育委員会で前任者のため頭を下げたのか、本人が意図して下げたのかは知らないが、教育長と共に下げたな、頭を。
 資格証受給者は気の毒なので、救済方法としてハローワークに市側としても優先的に仕事を紹介、斡旋してくれるように依頼は出来ないか
○ 出来ない。そんなことを市側として要望する必要はない。
収納課が一ヶ月該当者を訪問するが、八割と連絡がとれない。督促通知ではなく、商工労政課に訪れると、ハローワークに優先的に就職支援を願えるという手紙を出してくれ。
○ 個人情報にかかわることで、当課はそれを持たない。
国保課が情報システム課に依頼して、この一覧表(年代別表)が出た。国保課に聞いてくれれば情報は得られる。
○ そういうことは出来ない
部長を呼んでくれ
○ 担当課長の私が出来ないというので納得しないのか
出来ない、それはアンタの考えで間違っている。部長と代れ。部長はこれから市長と面会する。
帰るまでここで待つ。ここに(課長は)居なくていいから散れ。
そこで二十分ほど待機し部長と面談。
国保税滞納28億円、八戸市全体の滞納税額46億円、これの解消に動いている。資格証受給者の八割が労働できる世代。これは国の損失だ。就労支援を八戸市はとれないのか。僅かな金額(郵送代)で市が積極的に弱者を救済する方法があるはず。ハローワークと一体となり、対処できないか検討してくれ。
◎ 何か方策がないか、探してみるので時間を貸してくれ。
こうしたことばかりだ。待ってましたなどということはない。どこかに制度の間違いがあるか、担当課が認識していないのか、わずかなヒズミ、ゆがみを是正する努力をしてもらおう。彼らはどっぷりと漬かっていて、見えないのだ。見えさえすれば彼らには権限がある。存分な働きが出来る。
 我々市民は非を鳴らすだけでなく、こうすれば良くなるの案も同時に提示するべき。それが採択されるかが問題ではなく、こうした考えもあると披瀝すれば、それより良いか悪いかは別として、可能なことから改善するのが行政、それを更に市民が監視すればいい。
 だが、こうした仕事は議員のすべきことだ。が…。

2008年8月20日水曜日

人情を知り無一物から屈指の成功者となる武輪武一氏 最終回


武輪水産五十周年記念誌「零からの出発」で八戸の水産界を勉強させていただいた。無一文でもひたむきに働く姿が浜の人の心を打ち、武一氏は成功者の道を歩んできた。
 彼の努力も勿論あったろう。しかし、世の中を読み解く緻密な頭脳なくして今日の栄光はなかった。多くの水産者が倒産し浜から消えた。漁師、加工屋の区別はなかった。浜の船の姿は消え、町は寂れに寂れた。
 平成に入ってから、浜は厳しい嵐が吹き荒れた。武輪水産はイカ、サバの加工を得手とする。ところが漁不漁の波が容赦なく押し寄せる。武輪水産がノルウエーからのサバを輸入するのを見れば、他の商社も同様に輸入。平成二年は商社が輸入したサバが不漁在庫となり安値で放出。そんな国内事情もあったが、イカ、サバの手配が順調にすすみ、〆鯖の新製品「昆布締め」が当たり好調。製品はライフサイクルがあり、三十年もすれば売れなくなる。そのため新製品の完成が待たれるが、これにもリスクがある。
 それは製造ラインの設備投資だ。売れれば売れたで金がかかる。売れなければ売れないで新製品の開発の先行投資が必要と、加工業者は原材料の確保と市場を絶えずにらむ必要がある。
 馬鹿じゃできない、利口はしない、中途半端じゃ、なお出来ないのが水産加工。武輪氏は商社勤務で八戸を知り、そのまま居ついた。水産加工をしたくてしたのではない。生きていくために仕方なく水産加工に手を染めた。
 ところが息子は東大卒の優秀な頭脳。この賢い人材が面倒極まる水産加工に乗り出した。この人の知恵が世界を見た。そして輸入を始めた。親父は生業(なりわい・世わたりの仕事。すぎわい。よすぎ)として始めた水産加工を息子は事業として伸ばして行く。
 当然、衝突がある。平成三年はサバの水揚げが皆無に等しい。ここでノルウエーとの取引が活躍、他の加工業者が頭を抱える時に、武輪水産は確実に業績を伸ばした。魚の選別機、原料解凍機なども装備、自動真空包装機など他社に先駆けて揃えるなど、設備投資も果敢にすすめなければならない。
 従来は水揚げされた原料を加工しさえすればいい程度の認識でも経営は出来た。しかし、世の中は大きく曲がった。
 八戸の魚市場は三十年遅れていると言われる。ユニバースやよこまちストアは八戸魚市場に入りたくもないし、買いたくもないと言う。これは「はちのへ今昔」の思惑がすっかり外れた。八戸の魚市場の活性化は彼ら小売店に仲買の資格を与えて、魚を積極的に購入してもらうことだと信じていた。
 ところが、仙台や築地の仲買商は、未明にFAXを小売店に送付し、注文を取る。それが三時間から半日で八戸に到着。荷姿が悪いものは返品可能、それが次の便で到着。
 こうなれば、誰が八戸魚市場の、魚の選別もしない混載物を買いますか? また、それには目利きが必要となります。夜中に動く職員をわざわざ配備しなくとも、他の市場で十分に仕入れが出来るんです。八戸の魚市場は完全に三十年遅れたんです。
 この言葉で水産事務所長の工藤氏が言っていた、サンマが八戸の命運を担っていますの意味が判明。ところが、八戸にはこのサンマの加工場がない。過去には6万㌧を水揚げした実績がある。
 八戸市内では2万㌧が生食として消費されるが、4万㌧は気仙沼などに陸送される。武輪水産はサバ、イカの加工技術は優れているが、サンマの加工はされない。原材料が安定的に入れば、この加工も可能となろう。
 平成四年は九州からサバを購入し、ノルウエーとの二本立てにした。平成五年、六年と景気は思わしくなかったが、新社屋を完成させた。生産部門に投入してきた設備投資を、ようよう新社屋に向ける時がとうとう来たのだ。
 平成七年はイカの塩辛、一夜干しが検討しフィレーがダメとなかなか製造屋の難しさを味わう。単品の製造だけだと、景気の波をモロに食らう。どの製品が伸び、どれが鈍ってきたかを察知する能力も必要と、この業種の難しさをしみじみ知らされる。
 相場は動き、浜値の乱高下もある、と、実に複雑な要素がからむ水産加工業、そこから一歩も退くことなく、平成九年に創業五十周年を迎えた。そして社長に息子さんが就任。それから、今日で十一年が経過した。イカとサバの加工一筋で日本でも屈指の製造業となられた。
 現今は小林市長が掲げるハサップ漁港への変身。これが功を奏すれば八戸の水産界は再生する。ところが難問もある。ノルウエーは仲買人がいない。人口も四百七十三万人でしかない。人間が手を触れずにサバを漁港まで運んでくる。
 仲買がいないから船からポンプで魚を水と共に押し出し、タンクローリーで加工場まで運ぶ。加工場には魚の選別機がある。
 ところが八戸では魚を選別機にかけて仲買が競る。それをまた加工場で選別すると二度手間になる。武輪水産はすでにノルウエーからの輸入実績の中で対処しているが、初めての経験となる業者ばかりだ。
 まき網でサバを獲る、人の手を触れずに八戸魚市場に入る。選別した魚は鉄製のケースに入れられ運搬車に搭載され、加工場、あるいは他の市場に運ばれる。これで完全なノルウエー方式なのだろうか。ケースにはフタがされるそうだが、外気に触れるのは間違いない。他の市場に出てハサップ型のサバで通るのだろうか。
 武輪水産は加工技術に長けているので、十分その良さを発揮するだろうが、八戸サバがハサップ対応で高値を持続できるのだろうか。
 運搬用の海水は岸壁下から取水するそうだが、あそこは労災病院から下水が流れて来る。それが汚くて防御フェンスを延ばし、係留している船にその汚物が付着しないようにしている。そんな海水を汲み上げるは自殺行為。基本設計を見直す必要がある。
八戸魚市場は小売店が見向きもしない特殊な遅れた所、これを脱却するにはプロ志向しかない。つまり他の市場に輸送するだけの港。サンマの水揚げは十月、十一月の二カ月。
昨今は重油が五年で三倍に上がり、漁業家は青息吐息。サンマの出漁を一斉休業するなど必死。ところが、このサンマは大型船が出漁すると値段が下がる。キロ三百円していたのが、大型船が出ると四十円にまで暴落。
これじゃたまらない。八戸近辺の漁期頃は四十円程度。これをもう少し高く買う。武輪水産の会長は魚を高く買えば、全国何処からでも魚は集まると言われた。「はちのへ今昔」はこの言葉にしびれた。まさしく名言。
このサンマが八戸の宝となるには、加工業がこぞって技術をこれに向ける。そして新製品を生み出せるか。それなくしては、水揚げ日本一になれない。
八戸がサンマを高値で買う、サンマ船は八戸には二隻しかない。県外船を呼び込む以外に方法はない。重油が高値だけに近い港に水揚げしたい。燃油の節約が八戸に風向きを変えた。
この好機をいかにものに出来るかだ。八戸水産界は武輪水産会長の知恵を借りろ。サンマにどの程度の高値をつけたらいいかを。
セリ値段を上げるには二番をつけるといい。二番は高値をつけて競落した次の人。これにセリ協力歩合を払う。すると二番が欲しくて値段は上がる。
これはセリの技術、この二番をつける人をハタ師と呼ぶ、二番で生活が出来るからだ。だが、もっと根本的に高値をつける方法を編み出すべき。それには八戸市が燃油の補助を出す。あるいはセリ値の最低保証。これをすれば県外船の眼を向けることができよう。
問題はその価格だ。浜値は毎日動く、ここらの感覚は実地で経験している武輪水産会長を最高顧問として八戸市は迎えるべき。サンマの浜値次第だが6万㌧をキロ50円なら30億円、100円なら60億円だ。
海の中を札束が泳いでいる。この図がピンと来ない人は金儲けに縁がない。
サバもかつては鰹節の代用でしかなかった。ところが、これに商品価値をつけたのが八戸人たち。勿論、その先頭をきったのが武輪水産会長。この人を八戸市の頭脳として、水産基金を作り、この金を呼び水としてサンマを揚げよう。サンマが6万㌧揚がれば日本二番の水揚げとなろう。
工藤水産事務所長はロシアへの輸出を目論んでいるようだが、冷凍のまま中国へ輸出できないか。中国の何処? それは鈴木継男氏が名誉市民となられた人口三百万の蘭州市だ。ここへは九月に八戸から使節団が行く。これを活かしてサンマの輸出の話を固めることだ。サンマをミールとして安値にしないことだ。価値あるものに高値をいかにつけるかだ。ここにこそ武輪水産会長の知恵を活かす時。
八戸市は浜に活気がなければ右腕をもがれたに等しい。中心市街地活性化の交流センターも、決め手にはなりにくい。
揚がった魚は高値で八戸市が買う、そのための基金を十二億円集める。その金で続々と荷揚げされる魚が安値になったら買い支える。八戸は安値で漁業家を買い叩かない印象を与えるべき。八戸魚市場は他の市場と異なる特殊性の市場なのだ。大量水揚げ、大量他市場への転送しか生き残る道はないのだ。
八戸には幸いなことに、その道のプロ中のプロがおられる。これら先人の英知を戴こう。
武輪水産会長も鈴木継男氏も元気でおられる。最後の最後に、もうひとつ活躍していただこう。知恵を借りて、実際には若手が汗を出せばよい。
他の市場に転送している内に、八戸の加工業界がサンマの新たな食べ方を考案する。これに期待しながらの時間稼ぎだ。何をするにつけても金が必要となる。それが八戸水産振興基金の創設だ。企業も個人もこぞって、これに金を投げよう。そしてオマケを期待しよう。従来のようなやらずぶったくりの基金ではなく、見返りのある基金、つまりサンマが貰える、サバの昆布締めが貰えるなどの年二回、つまり盆と正月にはオマケが貰える基金なら、全国から資金があつまる。
まして、八戸出身の人々なら猶(なお)の事だ。
京都の産、縁あって八戸に来られ、水産に手を染め、加工一筋に精を出し、業界屈指、日本でも有数な企業にまで業績を伸ばした武輪武一氏、この人を得た八戸は幸いだ。いまこそ、この卓越した知識と経験、果断な攻めの精神を戴き、八戸を名誉ある水産王国へと導いてもらえるのは武輪武一氏以外になし。八戸人よ、頭を抱える前に、まだ残されている道を模索しよう。
武輪武一氏と共に。

2008年8月19日火曜日

湊中山さんの豆漬け

三沢から嫁に来た母が中山さんに教えてくれたのが豆漬け
枝豆に茄子、みょうが、きゅうり、にんじんなどどっさり入った独特のもの。
三沢の人たちはお盆になると作るそうだ。
初代ミス八戸の婆さまが作った。ミス八戸も七十を過ぎたト。
この人が料理の名人。喉に痰がからんで死にそうになったが娘が救すけた。
最近まで烏声だったが、手術したら良い声になった。
医学は素晴らしいもんだ。この婆さまの料理が抜群。隠れた名人がいるものだ。
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2008年8月18日月曜日

藤川優里市議のよわった困った日和下駄のオンブズ達 2


通知書
 当職は、佐々木聡(以下「聡」という)の委任を受けた弁護士野中英一です。 聡の意思により下記を通知します。
1  ブログに写真と記事掲載
貴小川真氏(以下、「小川」という)は、インターネットブログ 「八戸今昔」2008年6月 15日に、「藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達」と、題する記事を掲載しています。その記事に、佐々木泌尿器科病院の写真を無断掲載し、「佐々木氏は藤川優里さんが当選し市議活動するのを当然支援するも、どこかで歯車が噛みあわないのか、二、三ケ月前から方々で、同市議の活動に批判的活動を繰返す。後援会長の意向にそぐわない、言動、行動を不満に思っていたのであろう、何とか藤川優里市議を牽制する人物を探ろうと画策するも、適任者を見つけられず、今回のオンブズの動きとなった。」旨記載しています。
2 事実無根記事と肖像権侵害写真
上記写真の無断掲載は医療法人仁桂会の肖像権を侵害している虞があり、記事の内容は、佐々木聡氏及び仁桂会の名誉を毀損する虞があると考えます。
3記事の掲載差止請求
よって、上記記事の掲載差止を請求します。
4 法的措置
現在法的措置を検討中です。
5 本件通知に対する回答は当職にし、聡に対す連絡はお控え下さい。
平成20年8月8日
八戸市根城9丁目4番6号野中法律事務所
聡代理人弁護士 野中英一 印
小川  真様


建物に肖像権があるとは知らなかった。長生きはするもの。

法的根拠もなしに弁護士が手紙を出すのか?

筆者も爺ィになってラブレターを貰わぬが、久々の楽しい手紙だ。名誉毀損は虚偽を書けばだ。事実を摑んでいるがブログには載せない。その証拠は本人に伝える。それで納得しなければ、次の手段を考えている。行動した事実がすべてを物語るというのをお忘れなく。

それにつけても長生きはするものだ。

2008年8月17日日曜日

八戸の町並みシリーズ 5



南部会館前から市役所あたりまで。
肉屋の渡辺商店の名が見える。金沢商店は金慶。有名な人で文具商。南部会館横の食堂がある。南部会館裏に八戸市盲人会館がある。ここは盲人たちが拠出して建てたもの。これを八戸市がタダ同然の眼腐れ金で追い出した。
八戸は全国で二番目に盲人学校を建てた気概のあるところ。ところが、秋山市長時代に盲人を迫害した。南部会館の裏門にするからがその理由。ここから彼らの家なき子の時代が始まった。行政もひどいことを平気でする。
消防署の隣に横沢の塩専売所が見える。今は本八戸駅のデーリー東北の前に移転。
路地奥に朝日新聞支局、ここは今でもある。



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2008年8月16日土曜日

平成20年お盆の送り火2題

五月に遅霜の害があったが、今年も豊年満作となりそう。お盆も終わってご先祖様をお見送りする日となった。中国では死人(しびと)が出ると棺桶に鬼銭を入れる。あの世の役人に賄賂を渡すため。
 中国は賄賂国家、金を出すのは誠意と信じている。自分の人生を誰が拓いてくれる? 拓いてもらうために金を出して何処が悪い? 自分が大事なら、それ相応の銭を賄賂とする。少ないは自分を低く評価しているだけ。誰がそんな者にいい仕事を紹介、斡旋する馬鹿がいる。
 八戸支庁という。庁は役人の居るところを指す。死後五七日(三十五日)で閻魔の庁に引き出される。浄玻璃の鏡に生前の悪行が写しだされる。今のテレビと同じ。裁判官で検事が閻魔大王、弁護士が地蔵菩薩。中国では鬼銭、または紙銭ともいう、おもちゃの銭をお盆に焚く。裁判の席で少しは役に立つと信ずるから、あるいは、牛頭馬頭(ごずめず)阿防羅刹(あぼう・らせつ・地獄の役人、青鬼、赤鬼)にも賄賂が通じると信じている。それほど中国人社会は賄賂が普遍(ふへん・あまねくゆきわたること)。日本では鬼銭は焼かないがおがらに火をつけてご先祖を送り出す。暑い夏の夕べに、故人を偲び火を灯し、そして手を合わせる心のあたたかさを告げるひととき。
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八戸の町並みシリーズ 4


本八戸駅前通り昭和40年住宅地図との比較
動画が載らないのでそのうちお見せできるだろう

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八戸の町並みシリーズ 3





八戸図書館所蔵の住宅地図最古は昭和40年、これを下敷きとして今と比較。




43年前の八戸はいかにいきいきしていたか。住宅地図の加減で見にくい部分もあるが、なるべく詳細につたえたい。




 通りを中心として見せるので、路地奥の住宅を割愛するが、どうしても自分の家が見たい人の要望にも応える。八戸を離れた人は郷愁もあろう。そんな人はメールを送付しろ。特別掲載して見せる。
パソコンの不具合か動画が載らない。巧くいったら再掲載。
床屋、果物やは今でも営業。
その他は絶滅したか、イシバシ時計屋も元気。



mrogawa@aurora.ocn.ne.jp
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2008年8月15日金曜日

資産税課長の怠慢苦情へ市長が回答、これで解決?


八広第 120 号
                                     平成20年8月5日 小川 真 様         八戸市長  小 林   眞    「市長への手紙」について(回答)  平成20年7月17日に受理しました「市長への手紙(資産税課の怠慢)」について、 次のとおりお答えいたします。  申告書の様式は地方税法施行規則第26号をもって定められてありますが、ご指 摘のありました町名番地の記載について県市町村振興課に照会したところ、「申告書の様式は法律及び規則で示しているものであり、その取扱いについては各市町村の 判断となるが、課税に必要な内容が確認できればよい。」との回答をいただきました。  償却資産は、土地と異なり資産の所在地によって評価に相違が生じるものではないため、申告の時点で所在地が詳細に記載されていなくても課税実務上は差し支えないものであり、また、必要がある場合は質問検査権(法353)により申告者から当該情報を得ることは可能であることから、当市では所在地が詳細に記載されていなくても有効な 申告書と判断し受理しているものです。  参考までに青森市、弘前市、盛岡市、秋田市、仙台市、山形市、福島市の7市に照会 したところ、いずれも当市と同様の取扱いとしております。  問い合せ先 財政部資産税課℡43-2111 
 ここで新たな問題発生、と言うのは、この根源は携帯電話のアンテナの数、資産税課と建築指導課が把握している数が異なる。つまり、税務申告をしてないアンテナがあるのだろう。
 その確認は申告書に書かれた所在地と現場にあるアンテナの所在地が一致すれば申告は正当。が、現場を確認する作業の元になる所在地すら記されておらず、どうやって確認が出来る?
 申告が正当だと盲信(もうしん・わけもわからずに信じこむこと)しているようだが 、申告が正しければ税務調査は必要なく、国税査察官もいなくていい。
 他市がそうだからと主張するが、他市が八戸市を面倒みてくれるのか? 行政は他市がどうであれ、己の信念を貫かなければならない。県が判断を任すと言うのであるから尚更。
 昨日も国保課で課税間違いがあり、課長がTVで謝罪。だれにも間違い聞き違いはある。過ちは正せばいい。しかし、資産税課は質問検査権があるにも関わらず実施していない。
 その理由は空から監視していると言う。この航空写真に3億5千万円もかけていた。今も年一回の家屋実地調査をせず、この飛行機に金をかけている。法では(固定資産の実地調査)
第四百八条  市町村長は、固定資産評価員又は固定資産評価補助員に当該市町村所在の固定資産の状況を毎年少くとも一回実地に調査させなければならない。 飛行機で写真を撮るのが実地調査か? つまり八戸市は正当な固定資産評価をしていない。
これが問題を生んだ。つまり飛行機写真はアンテナは点にしか見えない。八戸市役所職員は自分は手を汚さず仕事をする者ども。ロクに仕事も出来ないくせにパソコンでインターネットを見ている。勤務中にだぞ。市役所職員はどう思っているかは知らぬが、インターネットを誰が見に来たかを知るソフトがある。解析ソフトというもの。「はちのへ今昔」にもそれが仕掛けてあるから、八戸市役所の誰だかは判明しないが、毎日利用者の三割以上を役所が占めている。
仕事しているフリをしないで本気で仕事をしろ。八戸市役所の三割の人員は削減できる。おいおいこれも解説。
さて、獅子内という課長の下で、働くのを苦痛とするのか、人生が嫌なのかは知らぬが、朝から酒臭い職員がいる。あの横柄課長の下ではごもっとも。元市長の中村氏は昼から酒臭かった。部下や客を脅すより、調査権を行使して、アンテナの申告と実情を精査せよ。飛行機写真を眺めてもアンテナは点だ。写真なんてテンでものにならない。申告書がいいかげんだから事態は深刻。もっと税を企業からしっかり取り、八戸市民の固定資産税を軽減しろ。
市民は黙して語らずじゃない、不服を言いに行くと書類は出したかなどと御託を並べる前に、実地調査が一番、それを忘れて市民に落ち度があるなどと並べるな。こんなことを資産税課に言われた諸君は「はちのへ今昔」に電話しろ、同席して役所の非をあげつらう。勿論無料で現場に急行する。自転車で…。

2008年8月14日木曜日

八戸の町並みシリーズ 2

本八戸駅から市役所に向かう右側通り
イシバシ時計店からコピーの滝村まで
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八戸の町並みシリーズ 1

八戸の町並みの写真を撮られた方を二人知っている。郷土史研究家の中里進氏、それと故人になられたが中島氏、この人は公告屋だった。
 中里氏の写真は南郷図書館に未整理で眠る。中島氏のは有料で見れる。今は動画の時代。この町並みシリーズも三十年後には有益となろう。
 第1回は本八戸駅、昔は八戸駅と呼んだ。寂れた田舎駅だ。駅前通りも掛け声だけで再開発にならない。イシバシ時計店のご主人は好人物、この人が熱心に運動されるが、笛吹けど踊らず。燃油高騰のおり、本八戸駅も見直されるか。一日3000人ほどが乗降する。人数に記憶違いがあるやも。疑問に思う人あれば調査を乞う。 一時、骨董商が店を並べた駅通りも、それらも消えて泡となった。横丁にあった郵便局が高架下に移転。ここのATMが休日使用できないのも難。駅構内に店が出るが、すぐ消える泡広場。ここのたこ焼き屋で、かき氷食うのが楽しみだったが泡と消えた。

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2008年8月13日水曜日

朔日町本間商店は下駄屋の卸、今は小売で頑張ってる


八戸の下駄屋の元祖は明治十年創業のマルタ、武内徳助、二十六日町、子が又八郎、その嫁が天聖寺横で衣類販売のマルタ、いまも健在、御歳九十にもおなりだろうか、その息子が水道屋、管工事業を根城で経営、日建設備という。その息子も元気で働いていると、筆者はなんと四代に渡り知っている。
 八戸に長く居ると妙な事を知るようになる。さて、ムービーを手にして動く八戸を紹介と意気込む。こうなると、TV局と肩を並べる。一人でも新聞・ラジオ・TVの真似ごとが出来る時代。
 金を目的としないと、世の中は面白い。時代の波先に立つ喜びを感ずる。動画で八戸をどう見せるか。いろいろと企画中。
 今回は下駄の鼻緒挿げ(はなおすげ・はなおは足を押さえる太いひも、それを穴に通して製品とする)。下駄は木の部分の製造と、鼻緒の布部分の製造とに分かれ販売される。それを一つにするのが卸店、もしくは小売店の仕事。
 昔は足が不自由な人が小売店で活躍。職人は二つに大別、一つは出歩く職人、大工や畳屋、屋根屋など、もう一つが居る職人、これが時計修理屋、飾り屋(宝石加工商)、それに下駄屋だ。今は自動車が普及し、体の不自由な人も出歩くようになった。法律も彼らの雇用を促すが、まだ不十分。能力はあれど、体が不自由な人を多く見るだけに企業は一人でも多く雇用してもらいたいもの。
 さて、八戸の二番に古い下駄屋は明治22年、八日町丸西履物、根城孝三、明治32年、十八日町中村履物、中村俊五郎、明治41年、八日町、市長履物、市川留吉、明治42年、六日町田福本店、田名部福太郎、大正元年、塩町阿部履物、阿部金次郎、大正八年、湊町越後屋、松山キサ、大正11年、小中野弥八屋、伊藤剛人、大正12年、鍛冶町田山履物、田山仁八、昭和元年、朔日町本間商店、田面木松助と、ここで本間商店が出てくる。
 八戸は桐材が豊富、これで富を築いた人もいた。地元にあるもの利用が基本、晩春、是川の山で桐の花を見る。これを育て桐材として出荷。それが高級下駄になった。時代を読むと儲け話はある。景気後退と言われるが、ないものねだりではタダ時間を空費、地元で儲けられる話が山ほどある。ただ、それに気づかないだけだ。
 さて、本間商店で下駄の鼻緒をすげた人は、六戸犬落瀬から嫁に来た。なかなか器用な人。下駄の修理や鼻緒の挿げ替えにどうぞ。下駄も塗り下駄、高下駄、庭下駄と豊富。種市一松堂のならび塩町側、電話0178・22・0339

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2008年8月12日火曜日

八戸せんべいの美味い店 タバタ


八戸市吹上にタバタせんべい店がある。ここのせんべいは数ある八戸せんべいの店でもピカ一。このせんべい店の話は前にも「はちのへ今昔」で紹介。今回は製造風景をお見せする。

 ここのせんべいの特徴はせんべいのミミ。せんべいの周りの部分、これがほどよく柔らかくて堅い。何? 矛盾する? いい質問だ。が、本当だ。だから老人や子供に人気がある。市内のスーパー、コンビニで買えるヨ郵送もしてくれる。電話0178-22-2286


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2008年8月11日月曜日

困民救済 八戸で医療費全額自己負担者の解消 3

社会福祉協議会に出向いた。ここも何をしているかが不明なところ。根城の総合福祉会館、ここは貸し館をしている。ほとんど日中は留守の部屋が多い。これも中里市長時代の無用な置き土産。この維持のために巨額な税金を投入。その管理を社会福祉協議会が受けている。
資産はあるが生活手段が立たない人を救済すべく、長期生活保護をする制度を調べた。社協は県の社協から依頼され繋ぐだけ。現在三件を県に連絡。昨年12月に二件、そのうち1件はきまりそうだとの言。
今は8月、お盆が眼と鼻。盆暮れの言葉があるが、去年の暮れの事案がお盆に目鼻じゃ、死んだ人間もオガラの煙で戻ってあきれる。それでも何とか進行中。それにつけても、取り次げばいいというのじゃ困るナ。
さて、538人の資格証保持者が、単年度でいくら保険税が支払えないのか、それは1500万円。大体平均より少し下。
これらの税金が払えないだけで、保険の適用を受けられない。生きながら死んでいるような生活に追いやられる。それが、「はちのへ今昔」を衝き動かした。税が払えないから医療行為を受けられない。これは生きながら死ねを強要されたも等しい。
水道企業団のくだりでも述べたが、払えない人間はそれなりの理由と理屈がある。経済弱者を救済しろ。それが人の道だ。
さて、538人の救済案だ。行政が至らないと言うのは易い。だが、それで問題解決にはならない。役所が気づかない点があり、それにメスを入れ、改善改革を提案するところに、行政文書の開示請求の醍醐味がある。
役人は言われたことしかしない。問いただす側に理論と論理がないと、かゆい所まで行くが進まない。「はちのへ今昔」も同じだ。追求するが、あと一歩を踏み込めない。それは知恵がないからだ。どうして解明できなかったかを反省すると、ああ、あの点からもう一度掘り下げようと気づく。  
そして、新たな文書の開示だ。こうした努力なしには市役所に提案できない。したからと言って彼らはしない。しないのが仕事だから。
それを動かすには力がいる。俗に横車を押すというもので、無理を通す、横に車を押すので力が必要。市民にとって必要なものも、役人にとっては不必要、だから横車だ。
収納課長に断られたから、国保課で538人の年齢構成を調べる。このように、市役所の中は謎だらけだ。担当課に出向いても、一般市民だと何を、どのように訊いたらいいかが分からない。そしてタライ回しにされて、そのうち、もういいとなる。それが彼らの付け目だ。黒澤明の映画に、こうした場面があった。昭和27年の作品「生きる」がそれ。主演男優に志村喬、初老の渡邊勘治(市役所市民課長・志村喬)が自分が胃がんであることを知る。汚水が出てしょうがない、困っていると陳情に役所に来る主婦のなかに、今NHKの朝ドラマに月島の婆ァ役の菅井きんが出て、いい味出してるが、この婆ァは若いときから婆ァでいまだに婆ァと言う不思議な人物。これらが水が出て困る、なんとかしてくれと陳情。すると下水に行けとか建設に行けとかタライ回し。今の「はちのへ今昔」がそれ。
こんな映画の場面を思い出しながら廊下を歩いてニヤリだ。国保課に行くには渡り廊下を歩く、前にこの廊下を歩きながら、ある男が同僚の女職員に、「あの爺、まったく困るよなァ、あれだのこれだのと人を顎で使いやがって…」ここで、市長室から出てきた筆者とバタリ。
歌舞伎十八番「「天衣紛上野初花・くもいにまごううえののはつはな」俗に河内山、 思いのほかに帰りがけ、邪魔なところへ北村大膳で、来たと北村をかける言葉、そこでこの男が困った。なんでも今野とか紺野とか言ったような気がするなァ。壁に耳あり障子に目ありと教えた。まだ元気でチョロチョロしてるが会っても知らぬ顔の半兵衛(そしらぬふりをすること)を極め込む。大体役人はこの程度。ある部長が思いつめて自殺するかも知れないとまで言って助けろと願った男も、筆者と会って知らぬ顔。本当に、こんなの助けていいの? それでも助けたが助け甲斐がなかろう。それでも約定だから助けたが…
さて、538人の年齢構成だ。この点は担当課長から意見を聞く必要がある。国保課は資格証(全額自己負担)を郵便で送付しているので、これらの人は八戸市内にいるはずだと言う。収納課は行っても不在、するとこれらの人々は本当に八戸に居住しているのかの疑問があるが、国保課は住民台帳には記載されていると言う。
収納課が八割の人と連絡が取れない、およそ四百名はどのように生活しておられるのか。青森県の最低賃金は生活保護よりも低いというが、そんなたわけたことがあって良いのか。
 真剣に生きよう、生活しようと額に汗する者の給料が、生活保護より低いでは、勤労意欲など湧くはずもない。どこかが狂いを生じている。この歪みを是正しなければ日本人は働くことを放棄するだろう。その賃金でも喜んで働く不法就労者、つまり、東南アジアなどの密入国者たちが仕事に精を出すようになる。これで日本を保てるのだろうか。
 最近インドネシアから介護の人たち2000人が合法的に働きに来た。いよいよ、新日本人と原日本人という構図の実現に向けた一歩だ。日本人の子どもが少ない分、外国人を増やす政策が必要となる。これが新たな火種にもなる。NYやフランスがこの悩みを抱えた。人種のルツボ。これは合理的だが、犯罪の抑止は困難を極める。
 確実に日本は曲がり角を曲がった。

受注・メリー・クリスマスの文字入りリンゴ




昨今はリンゴ農家も知恵しぼり、都会の皆さんに喜ばれようと、寿や干支入りリンゴを作るようになった。
りんごはバラ科の落葉高木、果実は石器時代から食べられていたとか。原産地は中央アジアともコーカサス地方ともいわれる。後にヨーロッパに伝わり世界各国に広まり、日本にも江戸時代に中国から渡来。明治初期に、西洋種を改良し本格的に栽培されるようになる。青森県は日本一の生産地。
 倉石村は合併で五戸となったが、この村にも篤農家(とくのうか・熱心で研究的な農業者)がいる。エコ時代で農家にもエコ農家が出た。エコファーマーというそうだ。今回紹介がその浦屋敷農園。土づくり、農薬と化学肥料低減実施者に県知事が認定した人に与えられるのがエコファーマー。生産するリンゴはおおぶりでゴールデンデリシャスと印度の結合種むつ。生産に手間がかかるが、それに徹底して取り組むのが浦屋敷節男さん。リンゴは400g~500gと大きく、果肉は黄白色で固め、甘酸っぱい適度な酸味があり、独特な香りがある。
 これにメリークリスマスの文字を入れる。寿がいいという人にも応ずる。なにしろ、リンゴはこれから大きくなる。リンゴの花は白い、サクラの花より少し遅れて咲く。
 12月の20日頃に届く。リンゴは5個入り、隙間に姫リンゴをびっしり詰めて、全国送料とも三千円。但し離島は別価格。
 干支入り、寿入りを希望する人も連絡。
生産者は郵便番号039 1702 青森県三戸郡五戸町大字倉石中市字浦田35
電話0178・77・2791 FAX共
携帯電話090・2369・7986
浦屋敷節男さんまで

2008年8月10日日曜日

郷土八戸の偉人 自由学園創始者 羽仁もと子 3

私は、一度しか会ったことはないが、その美しさはまだ私の記億にあざやかである。人間の顔というものは、その人の生き方によって美しくもなり、みにくくもなる。………」今でも持っている一九七〇年七月十二日号の記事です。青森弁というより、むしろ八戸弁丸出しの偽らない八戸せんべい、あるいはするめの昧がでてくるわけです。
 司会者 羽仁もと子先生はいうまでもありませんが、千葉くら先生、片山潜の奥さんになった原たまさんなど、かなり八戸とキリスト教とのつながりがあるのですが、その辺で河野先生いかがですか。
 河野 私が自由学園を初めて知ったのは、今から四十年前のことです。
 私の教会の子どもさんが、「上京して勉強したい」「どこに入るんだ」「自由学園に入りたい」とのことで、私が東京にまいります時に連れて行きました。それが初めてです。 その後おききしましたのは、戦争中に自由学園の自由という字を取ってくれと言われたが、羽仁先生はがんとして受付けなかったということで、何とすばらしい先生だろうと思っておりました。
 その後、八戸で明治十年頃からの教会の名簿をめくりましたら、いろいろの方の名前が出てまいりました。松岡八郎さん、松岡進さん、千葉くらさん等々、法師浜さんのお名前もありました。先生が残して下さった足跡というものは、八戸の偉大な遺産であると思うけれども、この遺産を何が作らしめたかということを考える必要があると思います。そして、こうした教会の方々が、なんの関係で信仰を持たれたか、やっぱりそれは羽仁先生のいろいろな影響であると思いました。その時にヘブル書第十一章、アブラハムのことが書いてあります。
 「彼はすぐれども信仰によりて今なお生くる。」私は羽仁先生は信仰において今なお生きていらっしやると私には考えられるのであります。そして、この波紋が更に、大きくなることを願ってやみません、それで羽仁先生の何がそうさせたかということは、羽仁先生の人間像をとらえて考えることが私たちにとって大切な問題ではないかと思います。
 司会者 皆さんもご存じかと思いますが、さきほども申し上げましたように、八戸には古くからキリスト教がはいっていて、たくさんの優秀な人達が信仰にはいり、八戸の文化そのものの底上げにかなり寄与していると思われるのですが、その人達について稲葉先生いかがですか。
 稲葉(克)幕末のころ函館にニコライが来て、その弟子がすぐ八戸市や三陸一体に伝道する訳ですね。古谷さんのお父さん、源晟さんなどは進んで入られて、もと子先生のお宅とは親せき関係で、早くから、キリスト教のふん囲気になじんでいたと思います。八戸の士族は、明治六、七年にクリスチャンになっている訳です。そういうふん囲気の中にもと子先生はおりますので、十五才で東京に出るまでに、いろいろな人格形成はここにおいてなされただろうと思われます。それから尾崎さんが先ほどなにかエピソードがないかとおっしやいましたけれど、まだ九十四才で元気な林徳右工門さんのお父さんが話していましたが、明治二十年代に三日町の繁華街ででっち奉公していたとき、お理亜さんとおもとさんが三日町を歩くと、でっち達がみんな走って行ってのぞいたもんだそうです、非常にハイカラな娘が二人歩いて。ハイカラな方であったそうです。それからジャーナリストでは、慶応義塾に大勢こちらからいっていて、野田正太郎さんなんか、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場してきますけれども、二十一年頃の時事新報のスターみたいな新進の記者だったんですね。
 司会者 そちらにはたくさんの方々が見えられているわけですが、「婦人之友」の愛読者の方々、つまり「友の会」の会員または自由学園の卒業生の方々、直接もと子先生に接した卒業生の皆様からお話ねがいたいと思います。
 月館 私が学校に人りました時、自己紹介がありました。その時(旧姓は石橋というんですが)
八戸の石橋といいましたら、先生が「あー、せんべい屋か、十八日町に石橋せんべい屋があったきゃ」とおっしやいました。家に帰ってきて母にいいましたら夏休み終ったら、せんべいを持っていきなさいと言われ、お届けしましたら、先生は、せんべい食べるのが楽しみだと喜ばれたそうです。
 長峰 私は月館の妹で、旧姓は石橋でございます。今は長峰です。私は四回生です。寮生活でしたので一ケ月に一回位しか、お話を伺う機会がありませんでした。
 司会者 羽仁もと子先生の信念にもとずいた教育をおうけになった子弟の方々の発言がつづいていますが、高橋さんはいかがでしょうか。
 高橋 私は三回生です。入学式の時に先生が、八戸弁でおっしゃって、私の隣の九州から来た人がちっともわからないとおっしやいました。私の祖父が長横町の松岡さんに下宿させていただいて、八中に通ったそうです。もと子先生が若くてハイカラで、リボンをつけて、かるた等、一諸に遊んだそうです。私がそちらの試験を受けるといったら祖父は、巻紙に墨で手紙を書いてくれて、それをお持ちしましたら、もと子先生は休んでおられて、恵子先生が出てらっしやいました。私の在学中に三十周年記念がありました。その時吉田茂さんがいらして下さって、もと子先生は子どものように喜んで、ご案内したのを覚えております。
 大沢 私が学園におりましたのは、羽仁先生の晩年の頃で、卒業の時にミスター羽仁とミセス羽仁がお二人そろって写真に並んで下さったのは、私達のクラスが最後だったと思います。ご気分のよい時は礼拝や食堂にいらっしやいましたが、直接授業を受けたことはありませんでした。一寸印象に残っているのは入学式と羽仁先生係りでした。入学式には、名前を書いてある白いリボンを胸に付けて、在校生の拍手の中に迎えられて胸が一杯でした。その時、寮生だけにだったと思いますが、皆さんはこの一年に一日一信をしなさいと言われました。私はそれを実行して、母からも、それにこたえるように手紙が来て、なつかしくうれしかったことを覚えております。そして自由学園で寮生活に人りました私は、それまでは、自分の部屋の掃除ぐらいしかしませんでしたが、秩序のある生活は大変なことでした。遠く離れて生活する子供を心配する両親の心を思って、ミセス羽仁は、一日一信をしなさいと言われたと思います。ミセス羽仁の家庭を大切にするお心は、学園の自治の生活や組織づくりにも取り人れられていると思います。
 羽仁先生係りは高三の終りの頃でしょうか、それまで学んだ学園の生活、少人数でお年を召した羽仁先生をお世話をするというのですから私達は大変緊張もし、心して、させていただきました。専問の勉強をしたり、特別の先生がいらしたわけではありませんでしたが、それまで学んだ積み重ねと、上のクラスからの引き継ぎをもとにしていたしました。私達のクラスでは、お年を召した羽仁先生のお世話をするのは、私達では充分できないのではないか、と言い出す人もいて、クラス会が開かれていろいろの意見も出されて、ここにいらっしやる千葉貞子先生にもおいでいただきました。
 羽仁 何回生ですか。
 大沢 三十三回生です。昭和三十年です。今、振り返ってみて、羽仁先生のお家で過した事は忘れることができません。
 羽仁 あれから、ずっと続いております。あの頃は三人でしたが、今は二人でございます。
 司会者 はるばる遠く各地からこの八戸へいらした友の会の会員の方々、何かございませんか、まず東京の方から。
 穴沢(東京) 私達友の会員もこの座談会によせていただきまして、うれしく思っております。先程からのお話にありますように、羽仁先生は、キリスト教を根底におかれた高い理想と大きな望みを持って、私達をぐいぐいと引っぱって下さった。
 私もかれこれ四十年のご縁でございますけれど、その間に羽仁先生が純粋なお気持で理想に燃えていらっしゃいまして、本当に協力してよい世の中をとおっしやってくださいました。そのことに心から感銘いたしまして、今まで友の会の皆さんと励んで参りました。友の会員も全国で二万六千人になり、又展覧会をごらんになって、ぞくぞく新しい方々が人られてる状況でございます。友の会員の九十バーセント以上は、大部分、普通の家庭の主婦で羽仁先生は普通の家庭の主婦も手をつないで、ひとり一人が持っている力が小さくても、協力によって主婦の立場から、一生けんめい励みましようと言って下さったこと、同じ志をずっと持ち続けて、一人で出来ないことでも、ご一諸にするということで勉強になりまして、仕事を続けさせていただいております。今度の展覧会もひとり一人の羽仁先生への感謝の気持をこめて、めいめいが自分の生活記録をつけたりして集まったのがもとで作られたものです。大勢の力でまとめたもので、それが、まったくのしろうとの作品でもあるわけですが、羽仁先生の高い理想が本当のものであるということを亡くなられた後も、著作集などで学ばせていただいております。羽仁先生のお生れになった所で展覧会があるというので、今日は伺わせていただきました。肉親の親ではありませんが離れ難い心の親と思っております。
 司会者 大阪の友の会の方、いかがでしょうか。
 大阪友の会 大阪友の会の代表でございます。この催しを伺いまして、昨年は東京で開催して、すぐ大阪でも開催させていただきましたので、ぜひ八戸の方も、羽仁もと子先生のご郷里であるということもふくめてみせていただきたいと参ったわけです。そうしたらこうした集会があるということで出席させていただきました。
 司会者 それではひきつづいて、仙台、盛岡、青森などからいらっしやった方々におねがいしたいと思います。まず仙台の方。

2008年8月9日土曜日

秋山皐二郎、回顧録「雨洗風磨」東奥日報社刊から 7

ソ満国境で鉄道を警備
 ノンジャンでの部隊名は第二四九部隊。チチハルに本部があり、われわれは独立守備隊としてチチハルから国境近くの双橋までの鉄道線路を警備するのが任務でした。二ー三人ぐらいで行動して、鉄道線路そのものの補修や列車に乗っての警務、スパイ防止や情報収集なんかもやるんです。
 オロチョン族の人たちに銃を与えて、守備隊を組織しようとしたこともありました。私が教育に行ってたんですが、ある時、一人が「隊長さん、銃の弾丸を十発余分にくれないか。くれたらイノシシ十頭捕ってくるから」という。「よかろう十発ぐらいなら」と渡してやったら、本当にイノシシを六、七頭も穫って持ってきた。
 ケモノ道をらゃんと知っていて、そこに木を交差させて銃座をつくり、歩兵銃を構えて待っているんだそうです。習性で、イノシシはその道を走ってくる。それを撃つんだということでした。歩兵銃ですから体に弾丸が当たると食料にはなりにくいんですが、見事に頭を射抜いていました。猪突猛進なんでしょうね。
  冬は氷点下三十度
 私が召集で満州へ出征した後に、東京で長男が誕生しました。男の子だーというので名前を考えて「秋の山に新しい熊が生まれたのだから新熊と名付けたい」と手紙を出しました。
 もちろん尊敬していた刑法の泉二新熊教授のことを考えてのことでしたが、手紙を見て叔父・秀之助が首をかしげたそうです。「いくら皐二郎が付けたいといっても秋山新熊じゃ、ちょっとなあ」。家族も反対だったようで、結局「熊郎」という名前になりました。
 ただ、この子は、生後八十二日目で世を去りました。ちょうど食糧が手に入らない時代になっていました。妻が女手一つで長女と乳飲み子を抱えての生活でしたから、かなり無理をしたようです。出征していて、私は何もしてやれなかった。ふびんだと思いましたー。
 後年、妻も、この時の無理がたたったのでしょう。病魔に苦しめられることになりました。
 ノンジャンでは、戦闘部隊でないこともあって、比較的のんびりした日常でした。各部隊対抗で野球をやったり銃剣術の試合をしたり。五連隊出身の兵隊は強かったですよ。ほとんど負けなかった。
 チチハルの本部にもよく行きました。われわれの駐屯していた所は雪が降らないんですが、チチハルは雪のある都会。まるで八戸から青森に行くようなものでした。慰問の芸能人もよく来ました。接待は私の担当でした。酒保には酒なんかもふんだんにあって、不自由はしませんでした。
 ノンジャンは黒竜江(アムール川)の支流の松花江(スンガリーともいう)の近くで駐屯地のそばは、そのまた支流のノンコウという川が流れていた。冬は氷点下三○度にもなりますから完全に結氷してしまう。
 私の部隊は守備隊ですから消防団もあってポンプなんかも持っていたんですが、氷点下三〇度の中での消火活動というのは始末に負えない。水は出ないし、とにかく破壊するしかないわけです。
 八戸市長になった時に消防団の諸君に「戦車みたいなのを二台ぐらい買ってきて、冬場の火災では突っ込ませたらどうか」なんて冗談を言ったら「そんな乱暴な」とだれもとり合ってくれませんでしたがね。
 結氷は一様じゃなくて、所々に氷の塔ができる。ソ連軍のスパイなんかは、それに身を隠して近付いてくるんです。もちろん靴なんかは履かない。ンカの足跡に似せたものとかをつけたり、常盤御前が牛若丸らを連れてワラジを前後逆にはいて雪道を逃げた故事に倣って靴を逆に履いたりしたようです。
結氷した川で魚捕り
 結氷した厳寒期の川でも、北満水産なんて会社があって網で魚を捕っていました。五十㍍ぐらいの間隔で穴を二つ開けて、上流から網を流して下流の穴から引っぱり出すだけなんですが、けっこう魚が捕れていました。小川原湖でも結氷期に似たような漁をすると聞きましたが、実に上手なものでした。
 結氷した川が春先になり流れ始める時は、まことに壮観でした。兵隊たちは、みんな楽しみにして「いつ割れるべ」と待っているんです。バリバリバリという、ごう音とともに、厚さ一㍍を超える氷が、グーンと立ち上がったり、ガシーンとぶつかり合ったりしながら、馬淵川の河口部よりも広い川を一面に埋めてゆったりと動き始める。素晴らしい光景でした。
美しい芽吹きの季節
 北満の春というのも美しいものでした。五月末ごろになると草原に一斉に迎春花(黄梅)が咲き始める。シラカバの林なんかもあって芽吹きの季節を迎えるわけですが、無礼講のお祭りなんかもあるし、雄大な満州の山野をながめていると、本当に戦地にいるのかなあーという感慨を覚えたものでした。
うまかったワラビ潰け
ノンジャンでの駐屯生活は昭和十九年六月まで。私は単身で弘前から一緒に来た諸君と別れて、ソ満国境のハロン・アルシャンに赴任しました。
 阿爾山と書いてアルシャンと読むんですが、ここで国境守備に当たっていた第一〇七師団九〇連隊の第五中隊長を命じられました。当時、関東軍は、南方への兵員増強を受けて盛んに部隊の編成替えを行っていまして、九〇連隊は東北の青森、山形、秋田、岩手県出身者が多く、郷土部隊をつくろうということで、私が派遣されたようでした。
 私が赴任したら中隊の諸君は「やっと人間扱いしてもらえる隊長が来た」と大喜びしていました。なんでも、前にいた将校の多くは四国出身だったらしくて、東北弁が通じなくて困っていたそうです。
 アルシャンの近く、師団本部のあった五叉溝には、名川町法光寺の住職をしておられる楢山大典君がいましたし、第236野砲隊には竹中修一前代議士もいたそうです。楢山君は、連絡で師団本部に行った時に、どこかで見た顔だと思っていたら「名久井の楢山です」と話しかけてきて「そうか、君もここにいたのか」と言葉を交わしました。  
 中隊の諸君が、青々としたワラビを着けたのを食事に出してくれた。「おっ、うまいなあ。どこで採れるんだ」「ハイ、この周辺には、いっぱいあるんです。塩をふりかけて保存していたものです」岩手県出身の兵隊でしたが、うまかった。八戸に帰ってきてから漬け方を妻に教えたんですが、どうもあの時の味は出せないようです。
 アルシャンは、大興安嶺の山すそにある所で標高は一三〇〇㍍ぐらいある。一㍍も掘ると下は凍土でした。対戦車用の壕を掘ったんですが、苦労しました。三㍍も掘って、掘り出した土をさらに三㍍ぐらい積み上げるんです。
 周辺には小高い山がいくつかあって、そこに監視所を設けて常時、交代で兵が詰めていました。
 私が赴任したころ、関東軍から命令がきて、農作物を自給するようになった。畑にトウモロコシやジャガ芋なんかを植え付けて、隊で使う分のほかに、収獲物三トンを連隊に納める割り当てがきたんですが、自分たちで苦労して作ったものを納めるのはバカらしいというので、周囲の山からワラビを大量に採ってきて納めた。
 満州の原野ですから土は肥よくで野菜は実においしく育つんです。ワラビは一面にあるんで、シートを敷いて座ったままでも随分採れる。後で、他の部隊の諸君から怒られました。
 「毎日毎日、ワラビばっかり食事に出る。おかしいと思ったら、五中隊ではワラビばっかり納めたそうじゃないか。ひどい」というわけです。
スキーは専ら直滑降 蒙古相撲も楽しむ
 アルシャンの兵舎は丸木を組み合わせたもので、ペチカの暖房がよく効いて、冬は氷点下四七度にもなるんですが、部屋の中では汗ばむほどでした。ビールなんかは窓のそばに二、三分置いとくと冷えて、真冬にペチカのそばで飲むのはうまいものでした。
 雪は一㍍ぐらい積もる。風が終日吹いていて、サーッと雪が横に飛ばされる。一時間も戸外にいると体がしびれるような厳しい寒さでした。スキーもやりました。私もやりましたが、専ら直滑降だけでしたがね。
 春から夏にかけては実に住みやすく、おまけに温泉がわいている。六月になるとモンゴルの人たちがダーチャという荷車に家財道具一式を積み込んで大挙して温泉にやって来る。ヒツジの毛皮で作ったパオーテントを建てて一ヵ月ぐらいも滞在するんです。私たちも祭りをやって、蒙古相撲なんかを楽しみました。
病の妻の手術決断
 昭和十九年の国境付近にはそれほど緊張感はなく、平穏でした。中隊に秋田県出身で本荘中学校の先生をしていた作佐部忠君という大変、器用な軍曹殿がいて「アルシャン小唄」というのを作詞した。音楽学校出の露木次男君が作曲して、本荘中学校に送ったりもしましたが、みんな、よく歌っていました。
一、興安嶺に春が来りゃ
  五色の花が乱れ咲く
  サァサ よいとこアルシャン お湯の街
二、温泉祭りのにぎやかさ
  蒙古相撲にラマ踊り(以下繰り返し)
三、白雲飛んでカリ渡りゃ
  野火が燃えるよ赤々と(同)
四、雪の荒野をひとすじに
  流れる湯の川どこまでも(同)
 歌われている通りの雰囲気で、温泉では野天ぶろも楽しめました。「野火」というのは敵のスパイなんかに火を放たれるのを警戒して、春早いうちに幅百㍍ぐらいで防火帯を作るためにやる野焼きのことなんです。部隊全員が総出で、シラカバの枝で作ったほうきを持って火を逃さないように野焼きをする。
 私が指揮して、野焼きした時は、火を逃してしまって、弾薬庫のすぐそばまで火が来て、冷や汗をかいたこともありました。幸い雪が降ってきてやっと消し止めました。
 二十年一月に、山形から最後の兵員を輸送するために内地に帰りました。食糧も乏しいに違いない、というので満州から背広二着分の生地、これはシンガポールの戦利品で将校に分配されたものでした。それに綿布、子供用の毛糸の帽子、ワイン、羊かんなんかを特って八戸に帰り大変、喜ばれました。
 軍隊の羊かんというのは長さ三十㌢ぐらいもある大型のもので硬く固めてある羊かんで当時は貴重品でした。夜間演習の時などの疲労回復用に兵隊に特別支給されていました。
 八戸に者いて湊本町まで来たら、めいの澄子に会った。雪の降る中を髪を濡らしながら歩いてきた。「あれっ!おじさん、いつ帰ったの」「ウン、今昔いたばかりだ。今晩泊まって、あす出発するんだ」。女学生でしたが、勤労動員で島守地区に陣地を築くためのセメント運びをしてきたとのことでした。
 妻は長女の敏子とともに八戸に帰ってきていましたが、おいの晃一君(実兄の長男)が六歳ぐらいで、敏子とちょうどいいケンカ相手だったらしい。義姉が「晃一、敏子ちゃんのお父さんは満州にいて軍刀持ってるんだよ。お前が、あんまり敏子ちゃんをいじめると切られるから」とよく言ってたようです。
 そこへ私が帰ったものだから晃一君は、随分とびっくりした。私の顔をじーっと見つめてー。「コラ晃一、刀を抜くか」とおどかしたら、かなりおとなしくなったそうです。
戦局、悪化の一途 長女を残し八戸あとに
 家に着いたら石田家のおやじと叔父・秀之助が「お前ちょうどいいときに帰って来た。実はトヨが病気で、手術した方がいいか、判断を下してくれ」という。事情を聞くと外科の先生は切るべきだというし、内科の先生は切らなくても薬で冶るという。三八城病院の泉山博士に会って話を聞くと「手術した方が早く冶る」と言われたので妻と相談して「手術しよう」ということで八戸を後にしました。
 私自身は、この後、満州へ帰れば、ほとんど生還することは無理だろうと思っていました。戦局は、悪化の一途をたどっていましたから。妻も東京での無理がたたって、大手術を受けなくてはならない。長女・敏子は、元気のいい子供だし、石田家のおやじでも叔父・秀之助でも、ちゃんと育ててくれるだろう。
 「ああ、この子も幼いうちに父を失うんだなあ。もしかすると母親をも亡くするかもしれんなあ」と率直に思ったものでした。
 翌朝、八戸をたって、山形からみやげにつるしガキを買って下関、釜山と経由して兵隊を満州に連れて来た。海は、すでに米軍の支配下でした。船に乗る時に、ロープを三㍍五〇ずつ切って兵隊に渡せ、という。機雷に当たったりして沈没したら浮遊物にロープで体を結ベーというわけです。
 船はジグザグ航行でやっと満州へ着きました。
山形から最後の兵隊を連れてつるしガキをいっぱいみやげに部隊に帰って、みんなに随分喜ばれました。冬の食べ物は、毎日、豚汁とラッキョウの潰物ばっかりでしたから、つるしガキは、実にうまかったんですね。私自身も豚汁とラッキョウには飽きて飽きて、閉口してました。豆腐が食べたくて兵隊を後方に派遣したりもしましたが、このつるしがきが内地からの最後の食べ物になりました。
 われわれの九〇連隊が警備を担当していた国境線は約百四十七㌔。当時の満州国とモンゴルの国境線で、最北のハンダガヤに第一大隊、その南側からアルシャン、白狼までが第二大隊の担当区域。第三大隊は師団本部のあった五叉溝での築城作業に出ていてアルシャンにはいませんでした。
 昭和十九年中は、平穏だった国境線でしたが、二十年の春ごろから緊張が強まってきました。標高一、二○○―一、三〇〇㍍の山頂にいくつも監視所を設けて百二十―百七十倍の望遠鏡で常時ソ連軍の陣地を監視していましたが、このころから女性のスカートを洗たくしているのが目につき始めました。
 わざと敵陣に姿をさらすと確かに女性兵士が見える。ドイツとのレニングラード攻防戦で兵員が底をつき、満州方面は女性兵士で肩代わりさせていたらしいんです。ただ、関東軍参謀本部がわれわれに出していた命令は「国境でことを構えることは絶対に避けよ。応戦まかりならん」というものでして、今から考えると、いかに敵情を正確につかんでいなかったか、よく分かります。

2008年8月8日金曜日

困民救済 八戸で医療費全額自己負担者の解消 2


8月7日、生活福祉課長、川村謙一氏から現状を訊いた。
「数字では八戸は弘前、青森より生活保護世帯は低い、しかし、青森は2級都市(東京・大阪は1級)、八戸、弘前は県庁がないので、3級に属します。八戸で支給額が9万だと、青森は10万円と都市によって、等級の差で支給額も異なります。そのため青森市の保護世帯が増えることになっています。弘前が多いのは八戸より仕事場が少ない。八戸の方はまだ仕事が多い」
「資格証者538名が若年層なら、職安(ハローワーク)で優先的に仕事を回してもらえないのか」
「資格証を貰う人は本当に若年層ですか、この点は収納課で把握していませんか」
「資格証の高年齢層なら、生活保護の対象になると思うが、これらが相談に来たら保護するか」
「勿論、相談に積極的に乗ります。それが私たちの仕事です。高齢で収入がなく、国保税が払えないかたに税を負担させる訳にはいきません。生活保護世帯になれば、これは保護世帯ですから、私どもの課で税は免除、医療には安心してかかれる制度に組み入れることになります。生活保護を受けることに、殊にお年よりは抵抗があるかも知れませんが、それが制度ですから国も八戸市もお手伝いをさせていただきます」
「高齢者で土地や畑を持つ人はどうなるのか」
「それも平成19年度から、要保護世帯向け長期生活支援資金制度が開始になりました。不動産が500万円以上あれば、それを担保に貸し付ける制度です。これは当課に相談していただき、要保護だと認めると社会福祉協議会を通じて国から出ます。限度額まで支給されても、死ぬまでそこに居住できるので是非相談してください、八戸は平成5年度は生活保護世帯は1230でしたが、平成19年度は2602と倍以上に増加しています」
「それでもまだ弘前、青森と比べると低い」
「弘前並みになるには2年、青森並みには10年以上かかるでしょうけど、保護しなければならない世帯は積極的に支援します。先ず窓口においでください。そして収納課のかたがたにも、滞納しておられるかたで要保護となれば、積極的に窓口相談をすすめていただきたい」
ここで判明したのは2点、1つは収納課で538人を積極的に回った結果、8割と会えないという事実。これらの人は日中動いているということだ、収納課は留守宅に支払い相談の紙を置いてくる。しかし、連絡がない。日中出歩いているのは仕事をしている、あるいは探しているので高齢者ではない。すると、収納課が年齢を知っている。これらの人に仕事がないなら、八戸市として、ハローワークに優先就職を願えないのか。
2は高齢者で土地持ちにも保護が出来る。しかし、これも申請が7件出ているが適応が0。社会福祉協議会がこれをするというので実情の聴取が必要。
「はちのへ今昔」は過去の事象の研究を得手とする。いちいち面談する必要がない。おおむね故人となられた人を取り上げるから。ところが、今を生きる人間は過去の栄光より現在が問題。そして現在だからこそ問題解決の場がある。ブログを開始し、今を焦点とすると、面倒な事情聴取が増える。しかし、大事だと重い腰を上げる。
「収納課長、生活保護課長と面談した。538人の中に若年層が何人いる?」
「当課では把握していません」
「すると誰が把握している」
「担当の国保課です」
「あなたの課には住所、氏名しか来ないのか」
「そういうわけではないのですが、(ここらから言葉が湿る)年齢で把握はしていません」
「若年層だから日中いないのでは?」
「ともかく私たちは税を納めていただくのが仕事で」
「それだけでは538人の困民は救えない、若年層なら仕事に就ける手段を講じる必要がある、それにはハローワークと連携しなければならないのだが、年齢までは収納課では把握してないんだな」
「それは国保課の仕事です」
八戸市役所でも切れ者の男でも、面倒な仕事は元に送る。たしかに収納課は滞納した税を集める課ではあるが、税の滞納46億円、国保税の滞納は29億円、これは払えない人たちが溜めたもの。消費税と同じで貧乏人も金持ちも均しく払う、こんな馬鹿な話はない。これは弱いものいじめだ。
医療を誰しもが受けられるのが原則。これが受けられない社会が悪い。誰が悪くした、自民党だ。こいつらに仕事を頼むから国会議員の給料だけが、景気後退の現今でも上がり続ける。馬鹿野郎と叫べ。人民は困民と化した。それを増加させたのは自民党だ。景気などすぐ良くなる策がある。それみ気づいても知らぬふりが役人。こいつらは税金泥棒と呼べ。石油備蓄は困民のためでなく、世界が協調して戦争のために使うだと、国民を救済せず、ありもしない戦争のために石油を溜め込んでいるのか。石油は腐らないだろうが、劣化するぞ。漁民のため、国民のために安く購入した備蓄石油を放出しろ。こんな知恵もないのか、そんな者のために困民の税金を使うな。返せ給料。

2008年8月7日木曜日

2008年 三社大祭

八戸三社大祭は280年の歴史

当初は据え物で豪商が京都あたりから購入し店先に展示

それを引き回すことになり、自作が開始となる

題材も歌舞伎からおとぎ話と様々、誰しもが知っているものが好まれた

冬の祭り(えんぶり)と夏の祭り三社大祭を持つ八戸は全国でも稀(まれ)な存在

いかに八戸人が祭り好きか、そしてその行事を心待ちにしているか

そして、子等がそれを継承する組織が八戸にはある

山車も欄干型を基礎とし、それが左右に開く、そして高く上がるなどの趣向をこらすようになった。最近の主流は光背を持ち、電線にかからない場所で圧搾空気を利用して人形を高く挙げ、光背が出現

それは見事なもの

八戸の祭り馬鹿たちが工夫に工夫を重ね、観客の度肝を抜こうと知恵を絞る

観客は折りたたまれた観覧型の基本山車を開くように拍手で促す

仕掛けを開ける場所は少なく観客がその場を探す知恵くらべ

首尾よく山車が開くと歓声があがる

27台の八戸の山車祭りはこうして過ぎて行った

八戸の山車を見たことのない人のために公開

是非来年の八月一日は八戸で皆様におめにかかりましょう video



video

困民救済 医療費全額自己負担者の解消 1

国民皆保険が叫ばれたのは戦前、ところがこれは衆議院を審議未了で通過せず、日の目を見なかった。実現したのは昭和三十六年。
 この国民健康保険は税とする行政、料とするところと二つに分かれているが、どちらを取るかは行政に任かされている。八戸市は税を取っている。税の時効は5年、料は3年と異なる。ここに問題が生ずる。
 八戸市の場合は市民からの国保税は、総収入の32%で後は国と県からの補助等。この32%の税賦課を決めるのが国保年金課。市民の収入により税額を決定。
 この税を払えない人が538件ある。これらの人の前に、保険料が納入されないことを楯に、短期保険証を発給、これは三ヶ月間しか有効しない。税を納入するとまた伸びるが、払えなくなると、市は見放して、十割、つまり全額を自分で払えという資格証を出す。
 これを貰うと医者にかかっても全額負担となり、医者にかかりたくてもかかれない。これを目撃。ある医院で看護婦が婆ァに診療する前に金を出せという。婆ァは窓口で泣いた。
「腹が痛くてやっとここまで来た。診てほしい」
「お金を先払いしないと診ない。医は仁術じゃない」
「そんなこと言わないで診てくれ」
情けないことだ。言い知れない怒りを感じた。行政は市民の生命と財産を守るところだ。それが守れないは情けない。
 明治、大正、昭和の時代なら、こうした悩みもあったかもしれない。しかし、国民皆保険が叫ばれて47年。成熟する期間だ。しかしながら、この風潮はどうしたことだ。NHKでも同様な話が放映された。
 路上で昏倒した患者を救急車が搬送、病室で気づいた患者が点滴のチューブを引き抜いて逃走。三日後に路上で死亡。十割負担の人だった。病院での医療行為に支払いができないと逃走したのだ。金が払えずに命を払った。
 筆者も若い頃、結核で入院、医療費が払えず昼逃げをした。投薬は一切飲まず寝ていた。飲んだ患者は耳が聞こえなくなった。薬害だ。ストマイつんぼと呼ばれた。医者にかかっていても、こうした嘆きはある。
 医者にかかっていての嘆きの大きいのはフィブリノゲン製剤。これを投与されると肝炎を発症。1987年3月に三沢市の産婦人科医院で8人が集団感染した。十年後、三沢市の同医院が当時のフィブリノゲン製剤を保管していることで分析、これらの製剤は製造後15年経過したにも関わらず、いずれにも未だに活力を持った肝炎ウィルスが存在していた。
 この患者が八戸にもいる。八戸市議会、平成20年4月21日民生協議会記録から。投与件数は126件、実患者数は123人となっております。 次に、今回判明した21件の今後の対応ですが、基本的には3月の対応と同じで、投与患者には、住所等を確認後に検査、治療を受けていただくために使用した事実を文書で通知する。しかし投与患者の住所等が確認できない患者分については、市民病院ホームページに公開し、問い合わせに対応する。最後になりましたが、3月に報告した102人のその後の対応状況ですが、文書による通知ができたものが33名、所在調査中でとりあえず4月18日にホームページに公開したものが44名、死亡確認が25名となっております。
 このように医療機関にかかっていても危ない時代ではあるが、金がなくて保険制度が使えないは情けない。
 国保課が課税を決定し、短期保険証。資格証発行までは責任があるが、税を納入できなかった人は収納課に回される。この収納の文字が気になる。収は予定したものが入ってくる。納はおさめるで、予定したものを納めるという意味。予定した通りにならないから問題で、予定したとおりになれば悩みも困惑もない。
 そこで出たのは医院の窓口での嘆きだ。困惑者538人をどうやったら解消できるか。収納課ではこれら538人の徹底追跡調査を6月の一ヶ月間を費やして調査。その結果、8割と面会できなかった。残り2割は支払い方法などを相談中。うち一人は生活保護に回ったという。
 国保税も支払えない人は生活困窮者なのだろう。これらの人々が生活保護を受けることが肝要。八戸市内の生活保護世帯数は2644世帯、青森市は5204世帯、弘前市は2981世帯、人口比率でいうと、八戸を100とすると、青森市は158、弘前は150と八戸より生活保護世帯は圧倒的に多い。
 この数字から八戸市役所は意図的に生活保護を認めないようにしているのか。困民を苛めている。数字は嘘をつかない。これが意味するのは、職員の意図、あるいは怠慢だ。本来受給できるものをさせないのは、国民が受けるべき制度を生かしきれていない。

2008年8月6日水曜日

八戸信用金庫に広告条例違反で罰金30万円を科せ


昨年来公告物違反で改善命令が出ているにもかかわらず、それを無視しつづける八戸信金は市役所をあなどっている。
 行政罰だからたいしたことはなかろうと考えているのだろうが、そうはいかない。今年の四月、県から市町村に権限が委譲された。罰金をいよいよ八戸市でも科すことができる。その第一号に八戸信金を挙げよ。
 彼ら八戸信金の奴ばらは八戸の金庫番だとばかり、専横の限りを尽くした。それを「はちのへ今昔」は自分の眼でみた。事故物件、差し押さえ、あるいは任意売買の物件を金持ちに、さも安いから購入のチャンスとばかり吹き込み、それを売却。こんどそれの金利負担に耐えられなくなると手のひら返して居丈高になったのを見た。
 彼らは紳士面はしているが悪党だった。「はちのへ今昔」がそれを暴露し、大蔵省に通知したところ、理事長が任期途中で交代。気にいらないことがあれば、関係官庁に出向いて喋ることだ。役所は両方の言い分を聞いて、必ず処断する。これが役所の役所たるところ。この話はブログで公開していない。十年も前の出来事だ。詳しく知りたい向きは書店から購入申し込みをしろ。在庫があれば販売する。
 さて、今回「はちのへ今昔」が問題視しているのは八戸信金駅前通り店。この看板の違反はすでに本誌でも指摘した。何の寝言だろう程度の認識だろうが、そうはいかない。この看板は面積が規定を超えているため、改善命令が出た。
 呼び出しを受けてチョロチョロと看板業者が五月初旬に役所に顔を出し、指導を受けるも、八月初旬の現在に至るまで改善していない。それはする気がないと判断した「はちのへ今昔」は、強権発動を市役所に願ったが、彼らは穏健派、なかなかそうした行動には出ないもんだ。だが、世の中はそうしたものじゃない。非は非、是は是だ。だめなものを看過するは拙い。
 八戸信金から罰金を取ったら、建売屋からも同様に取れ、電信柱に旗を縛り付ける、路上に看板を置くなどの行為も許可が必要だ。「はちのへ今昔」の持論はこうした公告物の許可料を10倍にしろだ。さすれば、簡単、安易にこうした行為はしないものだ。
 共産党が高架下にビラを貼るが、これも違反で罰金五十万にあたる。これを見るたび市役所都市政策看板係に電話する。違反行為をする人間は、懲りずに同じところに必ず貼る。これが手口なのだ。そこが目に付く場所を知悉(ちしつ・知りつくすこと。詳しく知ること)しているのだ。
 またビラ、ポスターの類で違反行為が目立つのは民主党、これらにも罰金を科せ。今は、その権限が八戸市に移ったのだ。世の中は変わる、人の心は変わらないではダメ。違反などせずとも、民主の時代は必ず来る。自民党は愚挙(ぐきょ・愚かなふるまい)を繰り返しすぎた。今の原油高騰に備蓄している原油を放出すべきだと、政府に手紙を出したが返事もよこさない。それが自民党の体質だ。国民が等しく困惑するのに、対応策も出せないは知恵のない証拠。
 そんな愚かな集団には政治は頼めない。民主に舵取りをしてもらう時こそ来たれり。ここで勇猛果敢(ゆうもうかかん・決断力が強く、大胆に物事を雄雄しく行うさま)に国難に等しい原油高を克服してもらう。知恵が出る集団へと変身を期待。
 さて、八戸信金だが、市役所をなめていると痛い目にあう。それは罰金の高はたいしたことないが、信頼、信用の失墜は金額では表せない。
 信金は高橋氏を追い出したことがツケとなって回る。人事闘争に敗北したことが原因だが、これが高いものになる。何、八戸信金諸君が彼を苛め、叩き出しただけじゃないか。
 結句、このような対処も遅れに遅れる。彼がいれば、こうした愚挙は犯さない。彼には対処能力、是々非々の論理があったが、今の職員にはそれが備わっているとは「はちのへ今昔」には毛ほども見えない。愚かな集団、気の毒な体制でしかない。変わる世の中、企業も変身、脱皮の時が来た。

2008年8月5日火曜日

利己主義・鉄面皮・厚顔無恥な水道企業団


他人からは金を取る、自分は払わないと、どうにもならないのが水道企業団。世の中にはこうした手合いがいるもので、昨日終了した山車祭り、三社大祭の行列に出たがりの議員たちがいる。各町内の旗の前に立ち、沿道の人々に手を振るが、これも選挙活動。それなら、それで、祭りの実行委員会はこれらの議員から参加料を取れ。国会議員からは一人百万円、県会議員は五十万円、市会議員は二十五万円。これで応分の負担を払うことになろう。なんでもタダは拙い。
 さて、水道企業団が市役所からタダで掠め取った(かすめとる・こっそりと奪いとる。掠奪する)市役所隣のビルに、北奥羽サービスと消防本部が入居。消防本部は広域事務組合で公的機関。ここには無料で貸してもいいはずだが、水道企業団は料金を取っている。二階、三階で55万円、民間会社の北奥羽広域水道サービスには46万円で貸している。この会社は株式会社で、その社長は水道企業団の実質的責任者の大久保勉氏だ。
この北奥羽サービスとの契約はどうなっているのかを精査(せいさ・詳しく調べる)。契約書類の開示を求める訳だ。「はちのへ今昔」も年寄りになったので、手口を詳細に記して、行政と市民の関わりに疑問を持つ人の参考にしてもらう。
この情報公開法の面白い点は、今、作成中の文書も見れる点にある。行政員の執行する法的根拠がどこにあるのかが、大事な解明点になる。
つまり、彼らがなす行為が原理原則に反していないかを問う所に、開示の大いなる謎解きに似た痛快さがある。更に言及すれば、担当課が特定の業者と随意にする契約が狙い。大体、この随意契約が曲者。特定の業者との癒着がある。
どういうことかと言うと、利便を供与する見返りに、くだらぬ、つまらぬ金を業者にねだる。忘年会の資金だとか、花見の金などのたわいない(取るに足らない)もの。だが、この金が欲しいのが役人の特性。自分の金でもないが、支出行為のできる俺様に感謝しろと置き換える。だから、随意契約を調べることは、存外、役人にとっては旧悪を暴かれることになるので嫌なもんだ。
人が嫌がることをするのが存在意義。人から嫌われるということは、他が存在を認めているということ。だから張り切る。日本人はアメリカに何をされたか、人類初の被爆国だ。ガンジーは無抵抗で英国の支配をブチ破った。沖縄戦、東京大空襲で殺された人民。この無念を誰が晴らす。我ら日本人は永遠にこれを忘れてはいけない。そして、たとえ殺されても、このことを声高に叫ぶべきだ。平和に慣れてはいけない。平和は大事であるが、それは先人たちの犠牲で手にしたことを忘れてはいけない。毎晩、空から爆弾が落ちてくる音に怯えて、地面に穴を掘り、地虫のように災難を免れてきた先人の苦労を忘れてはいけない。
さて、諸君、開示請求で手にしたのがこの契約書。これを良く読むと、北奥羽サービスが駐車している土地を貸してはいない。建物だけの契約になっている。つまり、北奥羽サービスが駐車場として占有している部分は不法占拠。これを水道企業団は黙認していた。
 これについては一台あたり6000円を徴収せよ。さかのぼって5年分を請求しろ。水道企業団が市民の代りに水道事業をさせてもらっているの意識があるなら徴収するべき。自分たちの水道企業団だと思い上がっていないか。そんな奴ばらは市民の方から願い下げだ。
 平成20年8月4日午後2時から水道企業団の議会が八戸市議会の第二会議室で開催された。水道企業団は他団体ですと、総務課長の下村氏が「はちのへ今昔」に告げた。それは、「はちのへ今昔」が水道企業団の利益金を八戸市が建設する三日町の交流センターの費用にあてようと捜し始めたときの言葉。
つまり、水道企業団は市役所と何の関わりもないと明言。そして、水道事業一切の権利を八戸市からタダで貰ったと主張。それは八戸市民の知らないところでなされた。県が認めたからというのが彼らの言い分。
掠奪(りゃくだつ・略奪とも奪い取る)した水道企業団は他団体です。なら、他団体が八戸市役所の議会第二会議室をタダで使うのか? 八戸市議会事務局は何故タダで貸すのかと問うた。すると公共団体にはタダで貸すことができると条例に書いてあると指し示したのが目的外使用条例。諸君、役人はこうしたことを必ずする。これが彼らの行為を正当化するもの。だが、こんな条文を出されたからと言って、ひるむことは毛ほどもいらない。あせらずじっくり条文を読め。必ず、タダで貸すことができると記してある。
地方公共団体にはタダで貸さなければならないのと、貸すことが出来るは天と地の差だ。法令、政令、条例で規定されているのなら、それは遵守(じゅんしゅ・きまり・法律・道理などにしたがい、よく守ること)すべき。しかし、法律は諸刃の剣で、相手方にも利があるように読み解ける。タダで貸せとは書いていないと食い下がれ。ここがポイント。
他団体の水道企業団は年間87億円の水道使用料を徴収し、十億円の利益を上げている。八戸市は利益の出ている他団体にタダで貸す法はない。しかるべき金額を請求するべき。これが市民のためだ。市民は自分の生業が忙しいので八戸市職員に、その仕事をお願いしている。そのお願いされている職員が八戸市民のためにならない仕事をするは納得できない。そんな程度のことしか出来ないなら、その職員は配置転換でしかるべき場所に移動させるべき、市役所の仕事で辛いのは総務部の警備宿直。これは難儀(なんぎ・わずらわしいこと。面倒な事柄。困難)だ。こうした困難な仕事に従事してくださる人々に感謝すべき。このような仕事に適正に法を処理できない人々を配置転換させ、困難を味わっていただけ。
さて、議会事務局は水道企業団は部屋代を払う用意があると言うのだから5年間さかのぼって請求しろ。市民は冷房費も電気代も他団体のために無料で使用させたくない。正当な金額を支払わせろ。
さらに、「はちのへ今昔」が水道企業団に噛み付いたため、北奥羽サービスから九月分より駐車場代を貰うそうだ。これで当然、あたりまえ。世の中は役人のためにあるのじゃない。それを支えているのは声なき声の市民たちなのだ。「はちのへ今昔」はその代弁者。

2008年8月4日月曜日

地震で判明した水道企業団の不誠実


7月24日午前零時に震度6の大地震が八戸、岩手県北を襲った。八戸は強震で老朽建物に被害、糠塚下屋敷では全壊一棟、一部損傷127、明治三十年頃の建築、更上閣は木造建物だが壁が崩れるなど、隣の別館、旧八戸図書館は鉄筋コンクリート製だが、三度の地震で鉄筋が露呈するなど被害大、鉄道は止まり新幹線は十五時まで運休。
 八戸には俗に地震の通り道がある。それは本八戸駅から市役所前を抜け、長横町から東高校へ抜けるあたりを指す。1968年(昭和43年)十勝沖地震では駅通りの写真館が倒壊、1994年(平成6年)三陸はるか沖地震では長横町入り口のパチンコ屋が壁をガラスに入れ替え崩れ、遊戯中の自衛隊員が死亡、これは人災。この十勝からはるか沖までは26年、そして今回の地震までは14年と短いのが気になるところ。
 電気の停電は小中野の2200世帯、二時間後に復旧、都市ガス漏洩は三件、水道は三島、島守、蟹沢の水源地からの取水停止、島守は25日開始、三島は28日復旧、蟹沢は8月1日現在では停止中。
 連日90日間、水道企業団に行き事業内容を解明しようと「はちのへ今昔」は、晴れの日は自転車で白山台を目指す。根城のゆりの木通り、青森銀行から左折して上がる坂がきつい。バス停の鍋久保、羽仁もと子記念館、エレンシア老健施設まで、800㍍が上がれない。自転車を押しながら水分補給。
 25日に行くと下村総務課長が興奮し腕をピクピクさせながら、「我々は非常事態で対応している、今日は開示どころじゃないから引き取れ」
 開示を引き取れならいいが、息じゃ少々困る。
「我々は市民のために活動している」
「情報公開も市民のためじゃないのか」
「我々が開示できる日を言うので、それまでおひきとりください」
 こういわれて断水しているようじゃ仕方がないと、文字通りお引取りした。ところが投書だ。
7月26日13時15分頃、漏水で水道企業団に電話をしたが、警備員しか出ない。「わからないので28日の月曜日に電話をしてくれ」これはどういうことだ。
 足止めを食らっているので訊きにもいけず、二、三の質問を29日に電話でした。30日から来いというので、下村課長に投書の件を訊いた。
 「我々は土曜日の午前中まではいました。警備員の外に宿直もいました。メーターの内側の漏水はお客様の処理になります」
「すると、その確認をしたのか」
「いえ、基本的にそうだということです」
 これは土曜日の午後、職員は帰宅した。警備員が対応した。漏水は需要家負担箇所だったということだ。つまり、水道企業団は「はちのへ今昔」を足止めし、市民のために活動中の緊急時、国や県の対応を急ぐので、水道企業団が出て来いというまで来るなといいながら、市民のために働いていなかったのだ。
 緊急時なら土曜日も電話の応対、事態の処理に万全を期(き・待ち受ける)せ。
 手を震わせてまで市民の為に活動するのなら、土曜日も日曜日も出勤しろ。その必要なかったなら、「はちのへ今昔」に月曜日から開示するべきではなかったのか。また、開示開始を訊かれるまで言わないのではなく、足止めをした下村課長が解除を宣言するべき。
 その意識も意義も知らず、足止めを課して解除も言えぬは資格の欠如だ。水道企業団が真に市民のためを思い行動するなら、災害時には昼夜、土日の別なく行動を要求する。
 災害発生時に土曜日休むは不届き。それでなくとも、水道企業団にはタイムカード・出勤簿すらなく、どうやって休日出勤を管理するのか疑問。87億円の水道使用料は、正しく使用されているのか? 不正が行われているなら、司直の手に委ねる必要あり。冗長に支出されているなら、糺(ただす・改めなおす)さなければならない。
 誰しも考え違い、間違い、聞き違いはある。それが露呈したとき、改めればいい。それに気づき看過(かんか・大したことではないとして見のがすこと。大目にみること)するがまずい。過ちを改めざるを過ちという、古人はこう教える。

2008年8月3日日曜日

日・朝間の見解の相違

世の中は百人いれば百の意見があってしかるべし。朝鮮併合があったのは1910年8月。その前年、1909年7月に朝鮮併合の方針が閣議決定されたものの、韓国統監府を辞して帰国していた伊藤博文はあくまでも併合自体は将来的な課題として早期合併に抵抗を続けていた。しかし、10月26日に安重根によって伊藤博文が暗殺されたことにより早期併合に反対する有力な政治家がいなくなったこと、および初代首相であり元老のひとりでもあった伊藤を暗殺されたことによって日本の世論が併合に傾いていった。
 こうした意見が日本にはあったようだが、朝鮮側はこのように記述。
 伊藤、皇帝に譲位をせまり、七条の協約を強要する
 伊藤はついに、密使問題を口実に廃帝を決行した。伊藤は、李、宋らを教唆して、「日本は開戦する」などの流言をとばさせたり、「長谷川が皇居砲撃態勢をとる」と言明させたり、また「皇帝は日本に行って謝罪せよ」とも要請させた。また日本外務大臣林は、伊藤に協力するため、ただちにソウルにやって来た。
 十七日夜、李らは皇帝に譲位を奏請した。皇帝はテーブルを叩いて激怒し、これを拒否した。李は翌日もまた譲位の要求をやめなかった。皇帝は、熟慮しながらもみずから決断しようとしたが、李は「まちがえば禍は国家の安危に及ぶ」とも言った。夜になって、「皇位は皇太子に代理せしむ」との命令がでたが、伊藤はなお李を指揮して譲位式を強行することを決定し、そのうえ林と要求条件まで密議した。
 十九日早朝に、譲位の詔書がにわかに下った。人心はいよいよ激しく狂奔疾呼し、人々は皇居の外に雲集した。日本警官は群衆を駆逐しようとしたが、人民は瓦礫を乱投し、数名が負傷した。日本兵は発砲してこれを撃退した。また数名の人民が鍾路に集まって激昂して演説し、日本の交番所を破壊し、日本人十余名が負傷した。同友会員姜、宋らは、決死隊を組織し、李の家を焼き、日本の警察署を襲撃した。伊藤は軍隊を出動して鎮圧させた。暴動は数日を経て終わった。
安重根は海州の出身で、幼時から秀才の誉れたかく、学問は人の道に通じ、併せて武芸にはげんだ。十五歳の時、東学党の乱にあい、父泰勲は起義挙兵して東学党を討伐した。重根は、父の軍に入隊して賊徒を甚だ多く殺傷し、功があった。
 己酉十月、伊藤は満州を視察し、ロシア大蔵大臣と会見しようとした。おもうに、満蒙の利権を協定し、そのうえ各国の密使と中国問題を協議し、みずから中国の財政統監をつとめようとひそかに決めていたのであろう。ここで重根は、決然として奮いたった。老賊伊藤が満州に来るのは、天が機会を与えてくれたものであるとして、ただちにハルビン駅に行った。駅頭には、数千のロシアの警備兵、各国領事団や見物人がむらがり、軍楽がつぎつぎに奏でられ、爆竹が鳴りつづけていた。伊藤はロシア大臣と握手し、儀仗兵を閲兵し、おもむろに各国領事団の方にむかって歩きだした。重根は、伊藤にむかって十歩ぐらいのあいだをおいて、ロシア軍の背後にたった。統をあげて一発をうち、まず伊藤の胸に命中。しかし、爆竹の音が発射音を乱し、各軍はまだ気がつかなかった。      重根は「朝鮮独立万歳」を三唱して捕縛された。重根は手をうって大笑しながら、「どうして私が逃げると思うのか」と叫んだ。
 世の中はこうしたもんだ。どちらも正しいのかも知れない。どちらも間違っているのかもしれない。こうなると河島英五のてんびんばかりの歌の世界だ。
誤魔化さないで、そんな言葉ではボクは満足できないのです、てんびんばかりは重たいほうに傾くにきまっているじゃないか、どちらももう一方より重たいくせに、どちらへも傾かないなんておかしいよ。
 「はちのへ今昔」は傾いた見方をしているが、それを嘘と呼ぶ人も、異見という人もあるが、どちらかへ傾くのが摂理(せつり・自然界を支配している法則)。

2008年8月2日土曜日

八戸書籍組合の根性無し


世の中は絶えず変化しているのは、方丈記の鴨長明じゃないけれど、ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらずで、長生きしたいと言っても千年生きた婆ァを見たことない。
 変化していくのが世の中で、変わらないものが一つある。それは人民から税を搾り取る体制。館が城になり、それが市役所になっただけ。ところが、この変わらない人民苛めの市役所も、舵取りが絶えず変化する悩みがあり、それに翻弄(ほんろう・思うままにもてあそぶこと)される。現今、指定管理者制度が導入されたことが、八戸市役所の瓦解(がかい・一部の崩れから全体が崩れること)を示しているが、存外、役所側はそれに気づいていない。
 この瓦解現象は歴代の市長が良かれと思ってした事が悪しかれとなって出た。それは、公会堂であり、騙して防衛庁から食った金で出来た八戸公民館であり、体育公社が管理する5つの体育施設などなど。
 これらを管理する名目で市役所職員を増加させたが、経費がかかることで音を上げ、民間に管理してもらおうと、自分たちの給料を棚に上げ、安い価格で公募した。
 今年は、その指定管理者の入れ替えの時、これを連載して、景気の最悪と言われる八戸でも、考え方を変えれば存外生き残れる八戸であることに気づいていただこうの狙い。
 今回は図書館が管理する指定管理者を解説する。
 南郷図書館と八戸駅の図書情報センター、ここは八戸図書館と連動していないと、「はちのへ今昔」が噛んだことを覚えている諸君もいるだろう。これが、指定管理となる。初手のため、管理期間は三年、問題がなければ、次の五年と契約期間が定まる。
 さて、その年間管理費、つまり市が受託業者に支払う年額は4422万円。この図書館に本を納入する業者、これを一手に取り仕切る者がいる。図書館の本はすべてバーコードが付いている。これを利用して、その東京の管理業者が全国の図書館の指定管理を狙う仕組みだ。
 三沢の図書館はすでにこれが導入された。今度は八戸の図書館が狙われると、八戸図書組合が騒いだそうだが、結局、なんら手を打てずに傍観。指定管理を取るには、八戸図書館から手続きの書類を手にいれ、計画書を作成し、十月の提出期限までに出さなければならない。
 かかる有様では八戸市内から東京の業者に金が流れる。固定資産税賦課には、地方税法に規定した各戸を訪問し、実情を調べよを無視し、東京の業者に願い、飛行機を飛ばし空から監視したとぬかした。
 これも市民のアルバイトを使い、市民の懐に税金を返せと叫んだが、獅子内資産税課長は無視。空から監視して十分市民の家を監視していると豪語。ところが、それがそれが嘘。これもおいおい追求。
 かくの如く、市役所側には基本的に市民に税を返そうの意識が欠如。それに加えて、八戸の書籍組合も指を咥えてながめるは愚かだ。根性なし、臆した(おくする・気おくれして恐れる。おじける。おどおどする)のか。わが町は誰が守る、わが業界は誰が育てるの意識すらないのが書籍組合。そんなことで出版文化が守れるのか。町々の書店の存在が全国統一の情報発信源、それが、書籍からラジオ、テレビと主役を奪われ、また、インターネットの出現で押されに押された。
 昨今は本を見ずにメールを見る時代。でも、本屋は文化の担い手なのだ。本が売れない時代、本を売る努力もさることながら、同業組合、協同組合で、辛い風をしのぐということも出来る。
 こうなるとダメ、ああなると困ると、先ず、ダメを数えろ、だが、そのダメを良いに変える努力には時間が必要だ。書籍組合員は寄り合い、この指定管理を手にし、組合で管理をすることで、新たな本屋としての市民への奉仕、利益の追求が見えないのか。
 南郷図書館で一番借りての多いのが児童書、これらは本が新しいから母親が幼い子どもに借りる。何故? 本に手垢が付いていないからだ。すると、貸し出し上位の本は売れ筋。これらをそろえて書店で売るなどの手が取れる。それには、なんと言っても情報を収集することだ。三日町のカネイリは自分の努力を怠り、売れないを嘆く。実情を見ろ、自分の下田イオンの売れ筋本の分析を怠っていないのか? そのことは八戸市内の全書店にもいえる。
 人は誰も手伝ってはくれない。日々の業務に首まで漬かり、周囲が見えていないのだ。先を読め、時代は確実に変化、中里市長時代の箱物行政が、八戸市役所の崩壊を早めている。早く気づけ、少しでも手を打て、行政側も、そして市民の側も同じことだ。

2008年8月1日金曜日

八戸圏域水道企業団は弱者の味方か? 水道企業団は条例違反 3


生活保護家庭、八戸市内2644世帯、その内,基本料の減免を願い出たのは1711。65%だ。この数字は低い、もっと八戸市役所に足を運び、減免願いを出すべき。
 さて、水道の給水停止を実行するのは、水道企業団職員しかできない。それは各戸に本来配るべき、水道企業団条例に書かれている。ところが、この給水栓を閉めるのは、北奥羽サービスにさせている。
 これは条例違反。北奥羽サービスと契約を結んでいるというが、それでも違反。閉める権限がない者がなした行為は違反なのだ。つまり、それは水道企業団がなしたのであれば、それはそれで仕方がない。権限を有すると契約に書かれている。
 しかし、その契約書が各戸に配布されていない。この契約自体が成立要件をそなえていない。まして、北奥羽サービスと各戸は契約していないのだ。その北奥羽サービスの人間を指示し、己が手を汚さず、北奥羽サービスの人間にさせるは、水道企業団の職員は現場に行き、何をする立場なのか。
 水道企業団は汚い。自分がなすべき行為をせず、下請けの立場を利用し、自分が本来しなければならない給水停止を下請けにさせている。自分で作った条例を自分で破っているは笑止、笑止(しょうし・気の毒なこと)。
 これがどうして違法か? それは巡査が拳銃を所持し、現場で民間人に指示し、発砲させるに等しい。拳銃を所持できるは法で決めた。発砲も同様だ。交通違反も同様で、警官以外には反則切符は切れない。ところが昨今は、民間人が警察からの委託で、駐車違反の切符を切るが、これも違反。交通巡視員には切符を切る権限がない。ダメなものはダメなのだ。
 水道企業団の弁護士は北奥羽サービスと契約をしているから良いと言ったそうだが、それは一弁護士の意見。弁護士なんてのは全国に25026人もいる。顧問弁護士が有能かどうかは法廷で決まる。寝言、たわごとは幾ら喋っても味の素の役もしない。
 給水停止現場に行きながら、自ら手を汚さない態度が汚い。北奥羽サービスを自分より下だと思い上がっているからこうした態度に出る。同じ人間だ。まして、仕事を100%水道企業団から貰う弱い立場。そうした人間を奴隷の如く使うな。
 自分しか出来ないことは自分でしろ。それが人の道だ。自分を何様だと思い上がる。たかが、水道企業団の職員。それも八戸市から水道事業を掠め取った奴らだ。規約で決まりましたので、我々のものですだと? そうした行為をしますが、八戸市民はどう考えますか? と。一度たりとも訊いたことがあるのか? 市民置き去りにして、狡いことをしなかったのか?
 給水停止の強権発動は利用者いじめのなにものでもない。一体全体、利用者は月額幾らぐらい使うのか、それは五千円程度だ。たかだかそれくらいの額を猶予するは当然。水道企業団はこう言う、納入通知を出せと、分納の目処(めど)を書けというのだ。滞めているとのひけ目があるから、どうしても無理した支払い方法を書くのが人間の弱いところ。だが、それが次の困難を呼ぶ。つまり、約定した紙を楯にとられる。
 これが給水停止を自ら呼び込むが、それでも手はある。水道企業団の職員は手を下さず後ろで高みの見物。水道栓を閉める人間に喋っても無駄。後ろでタバコを吸っている水道企業団の職員に百円渡せ。そして領収書を取れ。これが再度延期を呼ぶ。
 これは「はちのへ今昔」が水道企業団の料金課長に確認した。十円払っても止めないか? ハイ、止めません。男の約束は鉄より固い、江戸時代はこれを金打(きんちょう・約束をたがえぬという証拠に、武士が両刀の刃または鍔(つば)などを打ち合せ、また小柄(こづか)の刃で刀の刃を叩いたこと。女子は鏡、僧は鉦かねを打ち合せた)と言う。
 いいか、水道料金が払えなくとも、止められない手がある。納入願いはなるべく少ない額で長く払うようにする。それでも約定どおり払えなくなったら、財布から百円出して、給水停止に来た北奥羽サービスじゃない、水道企業団の職員に渡せ、領収書を貰えよ、そうすれば給水停止は免れる。もし、それでも止めたら「はちのへ今昔」に電話しろ、直ちに現場に急行する。