2008年9月30日火曜日

八戸市建設業者らが金ない、食えない倒産必至の理由3

県はこのていどの金額はかかるから、それを見てやれの設計単価表が一冊の本として県下に通用する。これを業者が入手し、この程度の工事なら、この規模の機械・人工が必要になると計算するから、ほぼ等しい額になる。
 行政の仕事は工事完了後三十日で現金支払いとなるため、景気後退の昨今、公共工事、地方行政の仕事は欲しい。同一金額が入札されると、くじ引きとなるが、目先の金が欲しい業者は入札価格を下げる。
つまり、県がこれだけかかるという額より下げるわけだから当然原価割れとなる。これが何回も続けば赤字額は増大し、倒産の憂き目を見るのだが、そこはそれ、人間の弱さで何とかなるだろうと高をくくる。挙句、自動車から自転車に乗り換えた経営者を何人も見た。
 このように、最低入札価格を二割下げても落札する業者がいるのならと、八戸市はズルイ考えをめぐらした。平成七年一月一日から導入された要綱。これが二割引きから三割五分までを良しとするもの。
 二割でも赤字だというのに、三割五分も引かせれば倒産は必至。八戸市は業者が倒産し、市税も滞る事態が生じても平気なのか。
 八戸市役所職員は自分たちの給料が二割減る、三割五分減るという非常事態にどう対処できるというのか。自分たちの痛いのは三日も我慢できない。ところが他人の痛いのは三年も我慢できる。三年どころじゃない、十三年も辛抱させる馬鹿が何処にいるのか。
 業者はこうしたことに抗弁できない。すれば仕事がこなくなるのを百も承知、二百も合点だから。弱い者いじめが市役所の仕事か?
 行政は市民の生命と財産の確保を至上とする。ところが、それを自らが破壊する要綱の制定は愚かだ。これは議会を通す条例や法律ではない。市役所職員がこうしたらどうかという便宜的なご都合主義でしかない。
 それが市民の財産、生命を危険にいたらしめる愚かなものである。それを何故撤廃できないのか。これを導入した市長は中里だ。この男のしでかした事はダメなものばかりでしかない。
 「はちのへ今昔」はこの要綱を平成六年に戻せ、最低入札価格を八割に戻せと叫んだ。ただ、市役所の廊下で叫んでも奇人変人扱いされるだけだ。
ところが石橋市議がこれを決算委員会で追及、こうなると事態を役所側は放置できない。議会の約束を反故(ほご・約束・契約などをなかったことにする)にはできない。
この八戸市側のいじめはどうして開始になったか、それを市側はこういう。最低落札価格を維持するためです。一円などの入札価格を入れる業者が出れば、困るのは八戸市内の業者ですよ。
これは低入札を指している。事件簿を見ると、平成元年に広島市水道局の入札を富士通が1円で落札し、これに基づいて広島市が契約した「富士通1円入札事件」を巡る15年前の「騒動」「バカ騒ぎ」を言う。
確かに富士通は契約をなすと、その後は随意契約で、毎年それを更新できるため、他を排除する目的で一円入札をした。ここに役所の無能が働く、富士通言語でプログラムを組めば、富士通以外にはそれを運用できないため、以後は富士通にだけ仕事が来る。
誰でもが操作できるような言語でプログラムを組めば、アルバイトでもこなせるようになる。それをしないのは業者に依存、業者癒着があるからだ。
これは稿を改めて八戸情報システム課で記する。
六年前、八戸の建設業者が談合したと公正取引委員会が課徴金を課した。百二十八社に対して総額五億七千七百十六万円の課徴金納付命令を行った。これに悪乗りした中村元市長は談合を悪とし返金させた。これが払えない業者もいる。大方は後日を考えて支払った。
この悪乗りの中村は市長を選挙で失職。当然だ、課徴金は罰金、八戸市が課す理由がない。損をしたと言うが、本当に損だったのか。ここが疑問、それを無理やり押せば、選挙に負けるは当然。
中村は墓穴を掘ったので自業自得、ところが、この一割、二割は当たり前、三割五分引きを迫る八戸市にはビックカメラも真っ青。次回はこれに焦点をあてる。

2008年9月29日月曜日

八戸市建設業者らが金ない、食えない倒産必至の理由2


青森県は全国でもブービーの県民所得、一番尻は沖縄、ここは昭和47年に日本に復帰、それまではドルが通用し、本土に来るにはビザが必要、つまり異国だった県、もともと日本の青森県がなぜ低い所得に甘んじなければならないのか、最低賃金が生活保護より低いじゃ勤労意欲は沸かない。
こうした県民性を考慮し、せめて公共工事はこの程度を見てやれが、県が定める設計単価表。この表紙にこう記されている。本冊は取り扱いに十分注意しこれを放置したり、部外者に閲覧させ、又はこれら内容を漏洩したりしてはならない。
機密書類で、これには重大な意味がある。だから、工事、委託の業務にはこの程度かかる、だから、予算を編成しろと県は市町村に指示。その設計価格が入札予定価格、これにも秘密性があるが、これを入札予定価格として公示する所もある。すると設計単価表に記された機密性を自ら破る行為で不正。
予定価格が公示されれば、業者はこれ以下にすることを考えざるを得ない。
そこで入札最低価格を業者側が探る動きになる。これが談合にあたり不正競争で公正取引委員会が眼をつける犯罪となるが、本当にそうなのだろうか。
①県がこの程度の価格は必要だの設計価格を公示する行為がまず行政の不正。それは漏洩するなの数字を公示したことによる。
②行政が公示した価格では落札ができないは自明の理。すこしでもそれより下げろを無言で圧力とする。
③業者は予定価格すれすれで落札したい。県がこの程度はかかると設計書で示した価格は食って通れる価格。そこからダンピングしろは食えない価格でがまんを強要。
④八戸市は予定価格の八割でも良いと制定、これは条例でもなんでもない。気分的なもの。これは要綱で定めた。ところが平成七年一月一日からこれを六割五分から八割と改悪。このため倒産業者が続出。
八戸市職員は他人の痛みを百年我慢できる手合い。自分の給料が六割五分になって食っていけるかを熟慮せよ。女房から怒鳴られるゾ。これじゃ食えませんと。
他人には押し付ける、自分は耐えられないなら、他人の痛みも我が痛みと何故できない?
これを市職員に言うと、でも要綱で定めましたからと言う。悪い要綱なら改めろ。それが人の道だ。この要綱を定めたのが中里市長。本当にこの男のしでかした事は何だったのか。八戸市をずたずたにした責任は大きい。岩手から出てきて八戸を食い物にした。佐々木泌尿器科、藤川友信らは皆一味だ。これらが「ひばりの里事件」で糾弾されても平然として悪行を重ねたのを「はちのへ今昔」の読者は見た。

2008年9月28日日曜日

八戸の町並みシリーズ14


昔の地図と見比べるとわずか40年で世の中は大きく変った。八戸もシャッターを下ろす店が多くなった。それでも今お見せしているのは藩政時代からつながる中心商店街。ここが八戸の銀座、昔と比べると人通りも少ない。

三元、三新スポーツは裏に廻った。三春屋は藤井一族が滅亡しダイエーに渡ったが、それも滅亡し今は誰のものか不明だが営業中、ここの地下は変らず人気、水産品に見るものあり。マルミヤデパートは消滅、一階でドーナツを売っていた。金田カバン、むら福本店、協働社、今村商店、ハシブン靴店、マルサン、石橋ガラス、村井酒造、工藤辰四郎商店、ここは風雅な建物だったそうだ。

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2008年9月27日土曜日

八戸の町並みシリーズ13


八日町の市役所側(朝日側・藩政時代から呼ぶ)をご覧いただいた。続いて自転車は丸光(現さくら野百貨店)を見ながら十三日町へ向かう。

昭和46年の住宅地図には岩手銀行、伊吉書院、今勝ストアー、文明堂(レコード屋、今は滅亡)、大学堂薬局、工藤新助商店、ヤマカ金物、関重商店、松三、根新工藤商店、三万デパート(今のユニバース)、楢館ガラス(現在類家に移転)、東靴店(滅亡)、関野薬店(滅亡)、青森銀行、石岡呉服店と記されている。工藤新助から根新工藤までを八戸市が交流センターを建設予定。

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2008年9月26日金曜日

八戸市建設業者らが金ない、食えない倒産必至の理由1


八戸市議会九月定例会決算特別委員会で民主の論客、石橋充志(あつし)議員が質問。市側は管財課長が答弁。
○設計コンサルタント業務委託について、調査基準価格設定の入札で65%程度で落札しているのが見られるが、設定基準はどのようになっているのか?
●工事については低入札価格調査基準と最低制限価格があるが、設計コンサルタント業務には最低制限価格を設置し、その内容は65%以上80%以内において契約担当者が定める率で決めている。
○65%は低すぎる。業者側としては利益確保が65%ではできないだろう。
●65%で落札したものもあるが、件数は少ないと感じている。19年度の設計コンサルタント等の建設関連業務委託の件数は91、平均落札率は86・7%だ。
○今後、最低制限価格を引き上げる考えはないか。
●入札の実施状況をみながら、必要に応じて見直しをする。
景気後退でも税金は下がらず、市民は納税に悩まされる。こうしたなか、八戸市は百四十億円の工事、委託事業を発注。管財課は入札で仕事を発注、これが八十億、各課が発注分が六十億、問題になるのは各課分。市役所は自分たちが出来ない仕事を外注する。できるものは自分でするのが基本。外注するにはおおよそ幾らかかるかを決めなければならない。
 ところがこれが業者を苛めた。市側は仕事を発注する際に県からの指導に基づき、およそこれくらいの金額がかかるだろうの計算をする。これを設計金額とよび、予定価格とする。
 つまりこの金額が入札最低価格となる。ところが市側は少しでも安いほうがいいと、この設計価格、つまり青森県が指導する適切価格を値切る算段をした。それが二割引き。これを決めたのは平成七年一月一日。ここから業者苛めが開始された。続 

2008年9月25日木曜日

八戸の町並みシリーズ12


今回は八日町、八戸信用金庫側、はんこの泰雲堂から造酒屋の八右衛門まで

昭和46年の地図では根久ラジオ、八戸信金、南部鉄道、十和田鉄道待合所、加藤タイヤ、ガスサービスセンター、興産相銀、吉田金物、肉屋のかねやま、千葉生肉店、不二家、高橋、安藤自転車、ここの二階に選挙事務所を造ると当選、そのココロは? 次点者の上だと。東京屋洋服店、河内屋、青銀八日町支店。

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戦前、マニラに日本村があった

宮本常一 私の日本の地図 瀬戸内海2
田島・横島
 百島の南にある田島へわたって、最初にたずねていったのは門前又三郎翁の家であった。門前翁は明治前期長崎県五島の有川へ鯨組の網大工としていっていた人である。網大工というのは網をつくり、また修理をする人のことで、田島は昔から網をすく者が多く、その技術をかわれて、五島の鯨組までかせぎにいっていた。有川の寺の過去帳には田島の者の名も見えており、最後の網棟梁が門前翁であったということもそこできいた。毎年多くの網大工をつれて五島へゆき、その一部は双海乗(そうかいのり)として網船にものって活躍した。しかし明治二〇年すぎには旧式の捕鯨法では鯨はとれなくなって、有川への出稼ぎはやみ、その他平戸島生月や、佐賀県小川島への双海乗の出稼ぎもやんできた。双海というのは鯨をとるとき、鯨の頭からかぶせる網を張る船のことである。田島の人は船をこぐことがたくみで双海乗には適していた。
 門前翁の家へゆくとその孫にあたる人の妻女がいて翁の記念になるようなものは何もないが、網に用いた細引がのこっているというので、それを見せてもらった。
 鯨組への出稼ぎと、村の主要漁業であるウタセだけでは生活がむずかしい。どこかへ稼ぎにゆかなければならないというので、門前翁や中井万蔵たちが中心になって、フィリッピンのマニラ湾への出漁が計画されたのは明治三七年であった。
「そのことについては長沢義夫というくわしい人があるから、そこへいって話をきいたらよかろう」と、門前家の妻女は言ってくれた。
 マニラ出稼ぎ
田島の町はあるいて見ると、りっぱな堂々とした家居が多い。そのほとんどはマニラ漁業出稼で財産をつくったものであるという。長沢さんの家をたずねていくと、長沢さんは留守だったから町の中をひととおりあるいて見て宿へいった。宿といっても普通の農家の表座敷である。夕はんをたべていると、そこへ長沢さんがやってきてマニラ出稼のことについていろいろと話して下さり、深更におよんだ。ここの人たちは漁船を汽船に積んでマニラ湾まで持っていって操業し、女たちがその魚をフィリピン人に売りあるいた。マニラ湾にはおびただしい魚gおり、漁業はたのしいものであった。言葉は通じなかったし、フィリッピン人はあまり魚をたべなかったからはじめは行商も思うにまかせなかったが、妻女たちはすぐ現地の人たちと仲よくなり、販路はひらけ魚はいくらでも売れた。そこで次々に郷里の人がやって米で、多いときは三〇〇人も四〇〇人もの人がマニラの一隅に田島の出村をつくったほどであった。そしてその村は日本が敗戦に追いこまれた昭和二〇年までスついた。フィリッピンを占領していた日本兵およびそれにともなって来た日本人はフィリピン人をいためつけ、そのつよい憎悪と敵慨心をうえつけたが、田島の人たちは別であった。敗戦のため引あげて来るとき、別れをおしんで泣き、世の中がおちついたらすぐまたマニラヘ来るようにといってくれた。田島人が引きあげてきた後も、マニラからたえず早くやって来るようにと連絡があったが、占領軍はそれをゆるさなかった。講和条約が結ばれて日本は一応独立したのだからと思って広島県庁へ出向いてマニラ渡航を申請したが容易にゆるされなかった。マニラから引きあげた人たちはあてにならぬマニラ行きの日をいつまでも待っていては生活がただなくなるので、次第に京阪地方へ出るようになっていった。それでも長沢さんはなお望みをすてず、広島県庁と交渉をつづけていた。私は長沢さんの話に心をうたれた。民衆の動きと政府の政治的な取引には大きなズレがある。政府は決して民衆の味方ではない

国後、択捉の問題、政府は二島返還を拒否。正しい選択だったのか。追い出された島民にとって渇望の返還を政府は受け入れなかった。ソ連もロシアと変ったが、基本的に四島返還はなかろう。相手が返すと言ったとき、不本意でも受けるべきであった。
 この二島があれば八戸の漁業にもなにがしかの恩恵もあったろう。まさに、宮本の言う政府は決して民衆の味方ではない。マニラの日本人のように威張ったのは役人で、こうした民衆は川の水が海に溶け込むように自然に同化したのだ。

2008年9月24日水曜日

水道企業団と北奥羽サービスの癒着


水道企業団と北奥羽サービスは親子の関係。水道企業団は写真の土地を八戸市役所から無償で掠め盗った。そこに北奥羽サービスと消防本部を入れて家賃を取っている。
 北奥羽サービスは駐車場代も支払っていなかったが、「はちのへ今昔」に噛み付かれて九月一日から一台二千円の支払い開始。市役所職員は六千三百円を払い駐車。安くないのか? 
株式会社の北奥羽サービスも情報公開の対象になると聞いて、榎本専務がびっくり、大久保社長は驚嘆。大久保社長は水道企業団の実質的責任者、小林市長は飾り。この大久保社長に大久保水道企業団副管理者が便宜を供与。こうなると、背任行為で刑事事件。これを視野に入れながら調査を開始。いくつか妙な点を発見。 次号から追々これを掲載するが、九月二十五日の水道企業団議会で北奥羽サービスの情報公開を決定してから納税申告書を開示とのこと。これを入手しないと動けないが事態は深刻。

2008年9月23日火曜日

地域住民と行政 続


私の日本地図 宮本常一 五島列島から
離島振興法という法律は島に住む人たちの生産と生活を向上し、そこに住む人たちに希望を与えることを目的としたものであったが、政治的な現実はその逆の方向に動いているのである。私は船着場にあつまってきた子供たちを見て、子供たちは決してしあわせな生活をしているように思えなかった。港から村へ上ってゆく坂の途中にある井戸では、女の子が、井戸へ頭を突込んで水をくんでいた。そこからその水をになって丘の家までかえらなければならないのである。そういう生活を親たちもまたくりかえしてきたはずである。
 小さな島を維持してゆくためにはいろいろの工夫がなされた。島主ともいうべき部落会長は一月の総会できめられる。島にのこる戸主の中からえらばれるのである。戸主は普通五五歳になると子供にあとをゆずって隠居することになっている。
 島には村づとめということがある。二五歳になると、それから三年間は島にのこって島のいろいろの世話をしなければならない。三年つとめれば出稼などに出てもよい。一方五二歳になった者も三年間村づとめをする。それを終えると隠居する。部落会長はたいていこの年齢のものがつとめる。あとの者は出稼にいってもよいわけである。
 さて区長のうちへいって村の役員にあつまってもらって話をきこうとすると、役員の一人が、「まえにこの島へ来た人があってこの島のことをきいていった。いろいろ話してあげたのだが、それがラジオで放送された。こちらの言ったこととずいぶんちがえて話されていた。村人にめいわくをかけて申しわけなく思っている。そういうことがあるといけないから、なるべく話したくない。」という。部落会長の口の重いわけもよくわかった。
ここでは村は一軒の家とおなじようになっている。そのためにここに住みついておられるのであって、みんなが思い思いのことをしていたのでは住めなくなってしまうのである。みんなが出稼ぎにいったあと、村人のしなければならない仕事はいろいろある。屋根ふき、道路修理、葬式、渡海の役目などがそれである。今は渡船も動力船になったけれども、昔は平押しの船であったから、冬の波のあるときは何人もの人が乗って船をこがねばならなかった。いま勅力船になっているので人手はいらなくなったが、一戸あたり半年に一五〇〇円ずつを負担しなければならぬ。三日にいちどずつ親島へ郵便物をとりにいくのだが、火急の用事にも船を出す。渡海のつとめは順番にやっているが、一回つとめると七〇円もらう。それは一戸負担一五〇〇円の中から差引するから渡海役を一〇日つとめれば七〇〇円、そこで渡船維持の負担は差額の八○○円を払えばよいということになる。
 とにかく村を経営していくには経費もかかり労力もかかる。一年のうちに村夫役として出ていく日は五〇日をこえるという。渡船だけについて、日誌にしるしてあるのをひろってみると、九月二九日から翌年の四月二三日までに一五二回往復しており、それに出た夫役が延四五〇人になっている。ほぼ三人ずつ乗っていったことになっている。船を運転するだけでなく、荷物の運搬などもしなければならないからである。
 村の経費の方は日をきめて島中が海藻を一日乃至二日とりにいったものを供出してもらって、それを売り、また島共有のイワシ網があって、その利益の四分一を区がもらうことにしている。海藻売上げが万一万円、イワシ網利益金六万円、電灯は島の共同経営で、電灯料六〇〇円、電話料五〇〇〇円、運賃七六〇〇円、区で精米事業をやっているので、その利益二〇〇〇円、合計で二一万円あまり、それが島の維持費である。
 私は区の記録も少し見せてもらった。区の帳箱に何十冊というほど保存されている。それをつぶさにしらべてみたらこの島がどのように生きつづけてきたかがよくわかるであろう。貴重な資料だと思った。
 この島へわたることは親島の役場でできるだけチェックしている。島の方でもいちいち役場で様子をきいて相手を迎える態度をきめる。島には宿も食堂もないのだから、やって来た人に対する待遇のことも考えなければならない。島へやってきても島の人のためにならないような人ならば三等まかない。多少とも島の役にたつことをしてくれる人なら二等まかない。島のために働いてくれる人ならば一等まかない。それは相手の身分や肩書に左右されることはない。実にはっきりした自主性をもっている。部落会長が診療船へ乗るとき買ったクロイオは私たちをまかなうためのものであった。そしてお酒も出た。私がこの島をおとずれて、いったいどればどの利益をもたらし、この島の役に立ったことだろう。このような島の人こそしあわせに暮してもらいたい。しかしその後風のたよりにきくと、区の経費の捻出ができなくて、イワシ網も売ったということである。島民全体の幸福をまもるということがいかにむずかしいことか。
宮本常一は離島まわりをして住民の生活を知った。この人の民俗学は歩きに徹した。風俗・習俗を超えていかに人々がその地で生きるかを記録。何故生きるのか、どうしてその地にしがみつくのかを温かい眼でみつめた。離島における地域住民の生活を通して、原始日本人が集団で生きるには税の負担をしのがなければならないことを教える。しかし、狭隘な地での自給自足は江戸時代の藩政の行き詰まりに似て、国家規模で地域を見直す以外に生き残るすべがない。それが近代日本で現代にその影を引きずる。
 為政者は逡巡してはならない。決断の時には敢然として立ち向かうことだ。先送りこそ諸悪の根源。アメリカは日本の金融危機に先送りを見て、今日のアメリカバブルを敢然と処理に向かう。が、それだけでバブルの処理はできない。自由経済に巣くう欲望を除去できないからだ。
 が、アメリカは日本の先送りの精神が経済を破壊し、日本沈没の諸悪の根源と断じたが、金を儲けたいの精神は自由経済では断ち切れない。さて、アメリカがどのように対処できるのか見もの。
 さて、日本国家が威信をかけて水産の凋落を救うためにHACCPを打ち出す。その第一号が八戸。地域だけでは水産の勃興は不可能。県・国家規模の投資が必要。それを手にした小林市長の決断は良し。しかし、今一歩、どのように進行するかが見えない。アメリカが第二次世界大戦の折、大統領のルーズベルトが病をおして、ラジオで「炉辺談話」を国民に聞かせる。若者を戦場に送り出した。その責任は私にある。どうしても日本に勝たなければならないが、戦地で苦しむ若者に満足な武器弾薬が支給できない。これは戦勝し母国に帰り立派に働いてくれる若者をみすみす見殺しにしなければならない。どうぞ国民諸君、尊い若者の命を救うためにも、戦時国債を買ってはいただけまいか、と、切々と訴えた。これを聞いたアメリカ人は燃えた。時代の先端のメディア、ラジオお巧みに使った。
 が、日本はそれを軍の管轄下に置き、嘘を並べた、どこそこで勝利した。勝利したのは敵側だった。そして敗戦。塗炭の苦しみを味わった。
 小林市長の決断は正しい。が、取り巻きに知恵がない。国家が決めた64億円の投資、半分は国。
県、市が四分の一づつ。だが、県の態度が不明。県が出さない分は市が負担。正当に十六億円を県に負担させるには、八戸市が根性を入れて推進する姿を見せることだ。最新のメディアのTVに市長自らが出演し、漁業家、加工家の意見と未来への夢をシリーズでTV紹介することだ。
 ところが、市の広報調整課は乗り気だが、水産事務所の職員に民主党支持者がいて、この案を潰す気になっている。自民・民主のセコイ闘いに国家的規模、八戸市全体の浮沈をゆだねるな。
 事態はそんな気の小さい話ではない。反対する者の名を今回は記さない。が、補正予算をとり、市長を前面に立てず県の助成を得られないとなれば、その職員が退職金を叩いても追いつかない。石黒次長が間違えても、彼の退職金から千五百万円を引けばそれですむ。ところが、たかが八戸市職員の退職金で十六億円をどう賄えるというのか。立場をわきまえろ。
 追い出された中村元市長への忠誠心と八戸市の未来とどちらが大切か、よくよく考えろ。

2008年9月22日月曜日

地域住民と行政

私の日本地図 宮本常一 五島列島から
宮本常一は民俗学者。日本中を旅して歩いた。良い作品ばかりだ。著者の日本人に対する優しい眼を文章から感ずるため、いまでも人々の心を打つ。
 昭和四十年頃の話だがその中から八戸のハサップ(八戸港市場整備)の考え方のもとになるものを掲載。
六島 この島が共和制をしいていることを聞いて行った。港が小さいので困りはてて、島の南岸に防波堤をつくりはじめているが、経費が九四九万円で、そのうち、国が三二○万円、県が一〇八万円、町がニ一六万円負担してくれるけれども、地元負担が三二五万円で一戸平均一〇万円もかかる。これはまずしい島民としては実に重い負担であるが、工事費は一六〇〇万円もかかるであろう。そうなったとき、どうしたらよいか見当もつかないという。何とかして島民の負担を少なくすることを考えなければならないが妙案がうかばない。
島では経費を生み出すために、島の周囲にあった防風林の大半を伐って売ってしまった。台風などのときはどうすればいいのだろう。潮風があてて作物ができなくなってしまうはずである。そんなにしても港はほしいのである。いままで使用していた港は島の西南にある。よい港だがふところがせまく、漁船の型が大きくなると困ってしまう。
診療船はその港の方へついたけれども、波止の内へははいらなかった。動力船は波止の内側にならべてつないであったが、手押しの船は皆ひきあげてあった。漁獲をあげるためにはこの手押の船をすべて動力船にしなければならない,それ以外に島を発展させることはできないとのことである。
私はその話をいちいちもっともだと思ったが、港をつくるという一つの冒険が島を経済的な破綻にまでみちびくのではないかと思った。こういう経費は国家で見るべきではないのであろうか。
 それとも国はこういう島の人びとの引きあげをのぞんでいるのであろうか。生きてゆくためにどうしようもない島ならば引きあげるのもまたよいであろう。しかし何百年というほど住みついてきた島が、現在になって住めなくなるとしたら、その原因はどこにあるのであろうか、また責任は誰にあるのであろうか。いままで往むことのできた世界を住みにくいものにしていくということの中にほんとうの国の発展があるのであろうか。
 国を今日の上うにまで発展させ文化を高め得たものは土着の思想であったと思っている。その土を愛し、その土に人間の血をかよわせようとする努力が、この国を生き生きさせたのである。そのような愛情と努力は、すくなくも戦前までは国の隅々まで見られた。それが、いま国の隅々を住みにくいものにさせ、その人たちの気持をおちつかせなくしつつある。そしてその住む土地に対する愛着は急にひえはじめている。そしてその結果生ずる向都離村が、世の中の発展していく過程の中で、当然の現象なのか、あるいはヒズミなのか。そのことについて適切な解答を与えるものはない。
 八戸は漁港として繁栄したが、海外への漁業がしめだされ衰退の一途、二百海里がもたらした国家的危機が八戸をモロに襲った。しかし、八戸は加工業者が知恵と努力で水産都市八戸の名を高めている。そこへ国がハサップ型漁業推進の地として認定。宮本常一が言う土着の人の愛着が良い成果を上げている。国が半分負担し、県、市がその半分づつだ。
 地元は地元民以外に維持し改善することはできない。しかし、今回は国が積極的に推進する。この好機をものにできなければ未来の八戸は永遠に来ない。そのためには改良型漁業、食品衛生の徹底した漁港にするべき。改善すべきはして、遺漏のない状態で八戸の新漁業を推進しなければならない。
 

2008年9月21日日曜日

八戸図書館職員は意地糞悪い姑婆ァか小姑か 続



八戸図書館で中学生の女子生徒が友人のノートを複写しようとコピー機の前に立った。待ってましたとばかり、図書館職員が図書館の本しかコピーできないと脅した。
 中学生は人生経験が少なく、世の中のことをまだ知らない。勉学にいそしむ心があるから図書館に来る。遊ぶ気ならゲーセン(ゲームセンター)に行く。そんな向学心に富む子ども、世間の風にまだあたらない世代に、何で訳のわからない図書館規則をふりかざすのかと筆者が噛んでやった。
 行政吏員は市民の利便をはかることを旨とする。ところがはきちがえて自分を司法吏員と思い込む。司法巡査は人の非をにくみて刑罰をくらわすが、行政吏員はそんなとげとげしいことは考えなくていい。
 八戸の鮫神楽を調べていた折、国会図書館に八戸市民が記録した本が残っていることをつきとめ、それの貸し出しを希望。それが八戸図書館に来たのでコピーしようとすると、国会図書館の本はコピーできませんと拒否。
あんたは国会図書館の職員か? 行政吏員は司法吏員とちがうから、この場を去れ、見て見ぬふりをするのが行政吏員だ。コピーをすると法律に触れるのか?
○ コピーしないでくれ、国会図書館の書籍だから。
●これはもともと八戸市民が作成した本だ。これが紛失して国会図書館にしかない。これは八戸市の宝だ。図書館がこれをコピーし保存しろ。
○ そうする。
このとき何も分からぬくせに、佐々木泌尿器科の親子のような女なら誰でもいいから尻を持つようなのがいて、図書館職員の肩を持って筆者に二言三言、こうした手合いは相手にしない。さっさと図書館を出た。
 馬鹿と愚か者、利巧の少ないのは相手にしない。八戸のためを思うのが行政吏員、時間制限がある書類提出に、間に合うようにと息急き切って(いきせききる・息をきらして急ぐ。ひどく急ぐさまにいう)書類片手に階段を上る音を聞けば、行政吏員は壁の時計の針を戻し、「ごくろう様です、時間に間に合いましたヨ」と言いながら片目をつぶって見せろと教える。
 ここにこそ世の中の妙味がある。誰しも時間に追われ、その力に押しつぶされそうになる、が、時間は我々人類が管理する。時間を戻すことは物理的にはかなわぬが、人間の情の中では十分に出来る。
 これが人類の知恵、行政吏員の吏員たる最善の仕事だ。市民のためになる。なれなくてもなるんだの心意気だけは捨てるな。
 そして八月一日から八戸図書館のコピー機はすべて二階の郷土資料室に集められた。大きな注意書きも貼られた。注意書き以前に行政吏員が何をしたら市民に喜ばれるかを考えよ。
 ついでに記すが図書館内の食堂のクソ意地悪い愛想のない婆ァが代わり、いくらかマシになったが、ここの床が汚い、粘着材が無効になりはがれはじめている。迅速な修理をしないと余計な出費となる。注意、注意。
また、ここは読書会という不明な団体が借りているも、食堂経験者が運営するべき。これも随意契約だが、新しい業者に願うべきだ。このことは本日(9月21日)は責任者がいないので後日再度連絡くれと職員返答。詳細は後日報告。
さらに、図書館の清掃が不行き届き、もっと業者を督励し汗を出させて床掃除を徹底しろ。二階にあがる階段が年々汚くなっている。洗剤で懸命に磨け、手すりを拭いているのか、もたれているのか分からないような掃除をする暇に、床を磨いて汗を出せ。汗賃が掃除代金で、おしゃべりのための掃除代ではない。
肝に銘じよ。

2008年9月20日土曜日

円生の葬式のしきたり話

まア、昔と今ではいろいろ事柄が変りますが、お葬式というようなものでも、あたくしの覚えでもずいぶん違いましたもので……。第一に、いまお通夜といいますが……お通夜はいたしませんね、七時から九時までなんという、二時間だけやる。あれは本当は、一晩中仏のとぎをするので夜明けまではどうしてもいなければならない、これが本当のお通夜なんですが……。まア、あたくしどもと皆様がたの方とは違いまして、堅気のお宅ヘ一度お通夜に行って驚いたことがある。なにを驚いたかてえと、実にどうもその行儀の良いこと……膝へ手をついて、ぴたッとみな正座をなすって、頭を下げましてね、しーんとしている。隣同士でぺちゃぺちゃ喋ったりしても失礼に当たる、だから自然に、黙って坐っている。すると時おり、向うから食べるものを持って来てくださる、お酒が出る、これもあまりはしゃいで食べるわけにはいきません。静かにいただいて片忖ける、お腹はだんだんくちくなる、時間は経つ。なんにもしないんですから眠くなりますが、居眠りをしたりしたんじやまたいけないという……どうも一晩いてたっての苦しみをした……。
それにあの、今の方がご存知ないのは告別式というもので、大抵あれで済ましてしまいます。昔はああいうものはありませんで、お寺までちゃんとお見送りをしなきゃなりません。これは途中、行列というやつでみんなぞろぞろ歩いて行く。出棺が午前中というのは少なかったようですな。たいていは午後、それも一時ではなく二時とか三時の出棺という。どうしてそうなんだてえと、前の晩がお通夜でございます。夜明け頃まではどうしてもみなさんがいなくちゃならない。夜が明けてから皆、自宅へ引きあげる。で、ちょっと一寝いりして、それから支度をしなおして行くというんですから午前中ではちょっとどうもその間がありませんので……で、午後になるという。出る前には必ず、「出立ちの飯」といいまして、ご飯をいただきます。こりゃまァ、身寄りの者に限りますが「一ぱい飯」と言って、あれはお代りをする訳にはいきません。豆腐の味噌汁などをこしらえて、ご飯の上へこれをかけて一本の箸で立ちながら、これをすうーッと食べるんです。だから一本箸で飯を食うもんじやない、一ぱい飯は縁起が悪い、お汁をぶっかけて食べるもんじやない……そういう事はみんなこのお通夜からきたもんでございましょう。それから立って食べるという事もいけない。履物をはいて上から土間におりるという、これもやはりお葬式のほかはやりません。草履を畳の上ではいて棺を担いで土間へそのまんまおりる。昔はまア大抵駕籠でございますな。駕寵かきという者が六人、ま、四人の場合もありますが多いところは六人とか八人……半目はございませんが両側へ股立をとりまして紋付の着物、それへ近親者の者がこれへ並ぶというわけで、家督を相続するという方が位牌を持ちまして、お迎え僧のあとからぞろぞろ歩いて行く……まアお寺が近きゃいいんですが、かなり遠いこともありましてね。四キロとか六キロ、あるいは八キロぐらい離れたところもありますからそれを歩くんだから容易じやありません。
 いよいよお寺へ着きますと、ご親戚だとか近親の方はみな本堂の方へ……。ですからお寺というのは広いお座敷がいくつもありまして会葬者がこれへ入る。もしそれでも足りない時は隣にお寺があれば、これも借りるというようなわけで、そうなるともう大変ですから……。
 盛り菓子というものが出ました。本来ならば各々へお菓子を包んでくださるわけで……。ところがお饅頭などのお菓子を盛りましてね、それを大勢いるところへ、二ヵ所なり三ヵ所なり持ってくる。ところがこういうものにはあまり手をつける人はありませんで、「じやひとつ、いただこうか、なんてんで、つまんだりなにかすると、「あの人はどうも場所柄を知らない、いやしい人だね」 なんてんで悪く言われますから、みな遠慮をしてだれも手を出しませんで、だからあとで評判が悪かった。「あれだけの家なんだからねエ、盛り菓子しなくったっていいじゃねえか。あア、ケチですね」 なんてんで……今じゃもう、ケチにもなんにもまるっきり出しませんから……。
 それから帰りがけには必ず一人に対して一つの折りをくれました。これは隅切りの折りでございまして、隅のところがちょいちょいとこう切ってある。六寸というんですが、十八センチぐらいなんでしょうかな。それで中にお菓子が三つ入っております。羊羹が一本、今坂(いまざか)というお菓子、大福餅の大きいようなもんですが、それからもう一つは打物でございます。その上のところに紋がついておりましてその家の定紋でございますな。これはお菓子屋へ注文してそれをちゃんとつける。で、この三つのお菓子が入った折りをおのおのに頂戴をして帰ってくるという。それから後には切手になりました。五十銭、共通切手といって、ほうぼうのお菓子屋さんの名前がずうーと裏に印刷してある。そこへ持って行くと生菓子と取り替えてくれるというわけで……。それから一円になりましたが、もうそれ以後はそういうことがなくなり告別式ということになってしまいましたが……。お経なんぞア、まるっきり会葬者の末席の者はわかりませんで、部屋が違うんですから。そこでまア、お互いに雑談などをしている。ご親戚の全部、焼香がすむとこれが大勢そろって会葬者のところへお礼にくる。
「(両手をつき)今日はどうもご遠方のところを有難うございました。今日はありがとう存じました」これがすむと、「あア、じゃもう帰りましょう」てんで、ぞろぞろ出るというわけで……。
 それからもう一つ、強飯(おこわ)が出たことがあります。赤飯でございますね。これはお目出たい時にはあずきを使いますが、お葬式の時には黒豆を使う。小豆のかわりに黒豆が入っている。もちろん、おかずはちゃんとついております。がんもどきとか焼き豆腐、半ぺん、そんなものがちゃんとついている。折りのこともあれば、竹の皮へ包んだというものもある。これを会葬者へ出す……そりゃアそうでしょう。長時間あなた、歩いたり、待たされたりしているんですから、そりゃお腹も空いてきますから、これをいただいて食べなければ腹が減ってどうにもやり切れない、それがためにこの強飯というものを出したものです。

2008年9月19日金曜日

レーダーは電波法違反



28日、簡裁がどう判断
判決次第で控訴、上告
有罪か無罪か 八戸市内の道交法違反者
佐々木の倅が刺激してくれて、大昔の筆者の旧悪を思い出した、交通取締りが気に入らないと警察相手に裁判した記録を八戸図書館で探した。 
●昭和56年1月19日 デーリー東北新聞から
警察の交通取締りレーダーにキャッチされるスピード違反で検挙された八戸市内のドライバーが、「レーダーは電波法違反、したがって取締り自体が無効」と主張して八戸簡易裁判所(畑中英明裁判官係)で係争中だ。「違反した」「しない」の争いは時々あるが、取締り行為を問題にして法廷闘争に持ち込むケースは青森県では初めて。裁判の最大の焦点は、被告の主張する「電波法違反」に裁判所がどのような判断を示すかだ。もし違反となれば青森県警だけでなく全国に及ぼす影響も計り知れないほど大きく、自動車関連業界など関係者は裁判の行方に注目している。被告は裁判所の判断が電波法に触れられない場合には控訴、上告と徹底的に争う構えを見せている。
道交法違反に問われているのは八戸市沼館三丁目、保育所経営小川真被告(三七)。彼の言い分は昨年七月二十三日午前五時四十五分ごろ、三戸郡名川町斗賀上明戸の国道104号で、三戸警察署のレーダースピードメーターを使った交通取締りにあい、二十三キロオーバーの速度違反で捕まった。
彼は反則金納付を拒否したうえ、裁判所が出した罰金一万円の略式命令に不服を申し立て正式裁判を要求した。
公判は十一月十二日から始まった。小川被告は「私の道交法違反は認めるが、警察の取締りも違法なので無罪を主張する」として①反則切符(交通事件原票)を受け取っておらず、道交法第一三○条に定めた反則金の納付通知を受けない者の公訴を提起できず、本裁判自体が無効②取締り現場にレーダーの免許所持者がいたという物的証拠がなく、レーダーの正確さが疑問③レーダーには地方電波監理局長が発給する証票(免許状)を添付するよう定められているのにコピーを添付、公式な電波発射とは認められない④被疑者は取締り行為が正当に行われたとの確認をする権利があるのに、警察側はレーダー操作の免許証や警察手帳の提示を求めても応じず、無用なトラブルを生じているーなどを挙げている。
弁護士をつけず一人で争っている小川被告は「初めは裁判に持ち込もうという気持ちは全くなかった。しかし、取締り現場の警官に名前を尋ねても「そんな必要はない」「つべこべ言わずにサインしろ」などと言われたうえ「金を払う気のないやつに反則切符を渡す必要がない」と切符を渡されなかった。「警察の横暴を暴露するために徹底的に闘う」と憤りをみせる。
県警本部の井筒誠一交通部長は「警察手帳やレーダー操作免許証を提示しなければならないという法律上の義務はない。が、私服警官が身分を明らかにする必要があるときは、見せるよう指導している。レーダーの免許状については、使用本拠地が県警本部になっているので本部に保管してあり、レーダーにはコピーを備え付けている。反則切符が違反者に渡らないのは、違反者の方で受け取りを拒否する場合のときもある。裁判の結果待ちだが、今後はこれをまねしていろいろな主張をする違反者が出てくる恐れがある。交通事故が多発している折、県民の交通安全運動など社会正義にもマイナスの影響を及ぼし好ましくない」と話す。
十四日の求刑公判で小川被告は罰金一万円を求刑され、判決は来る二十八日に言い渡される予定で、八戸簡裁が小川被告の主張に対してどのような判断を下すか注目されている。
なお、小川被告と似たような裁判が東京簡裁で争われたことがある。首都高速道路でスピード違反をした運転者が、無人速度測定カメラ(通称オービスⅢ)に撮られ裁判で①プライバシーの一部としての肖像権を侵して顔写真を撮るのは憲法違反②装置の正確性に疑問―などと主張したが、同簡裁は昨年一月十四日、「他人の生命を奪いかねないスピード違反者に対し証拠保全のため撮影したものであり、違憲違法の疑いはない」として被告に求刑通り罰金五万円の有罪判決を言い渡している。
警官の手続きミス 八戸簡裁、レーダー使用の道交法違反摘発に判決
検察側の公訴棄却
争点電波法には触れず

●一月二十九日 デーリー東北新聞より
スピード違反で検挙された八戸市内のドライバーが「交通取締りのレーダーは電波法違反であり、取締り自体が無効」として争っていた道路交通法違反事件の判決公判(求刑罰金一万円)が二十八日午後、八戸簡易裁判所で開かれ、畑中英明裁判官は「取締り現場で、被告に反則事実の告知、通告をする交通事件原票を渡さなかったのは警察官の手続きミス」として公訴を棄却、被告の勝訴を言い渡した。なお、最大の争点とみられていた警察側の電波法違反には触れなかった。
勝訴したのは八戸市沼館三丁目、保育所経営小川真さん(三七)。小川さんは昨年七月二十三日午前五時四十五分ごろ、三戸郡名川町斗賀上明戸の国道104号で乗用車を時速六十三キロで運転中、三戸警察署のレーダースピードメーターで交通取締りにあい、二十三キロの速度違反で捕まった。その際、小川さんと警察の間で「レーダー免許状、操作免許を見せて欲しい」「見せる必要がない」などのやりとりがあった末、警察官が「お前には切符を渡さない」と反則者への通告手続きを怠った。このため小川さんは反則金納付を拒否したうえ、検察庁の納入告知書にも従わず、裁判所が出した罰金一万円の略式命令に不服を申し立て正式裁判を要求した。
小川さんは裁判で①反則切符の交付を求めても渡してもらえなかった②レーダーには地方電波監理局長が発給する証票(免許状)が添付されていない③レーダー操作の免許所有者が現場にいなかったーとして「警察の取締り行為そのものが違反」と主張していた。
畑中裁判官は判決理由のなかで「被告は交通事件原票への署名と押印を拒否したが、反則通知の受領を拒否したのではなく、警官が積極的に交付しなかったのは明らか」と、警官の手続きミスがあったとして公訴を棄却した。しかし、小川さんの主張を全面的に認めたわけではなく電波法違反には予想通りなんらの判断も示さなかった。
判決後、小川さんは「現場にレーダー操作の免許所持者がいなかったのは公判で明らかとなっており、電波法違反の追及は今後もしていく。具体的な方法は弁護士と相談する」と話している。
また小川さんは、反則金の納付通知を受けない者の公訴を提起できない(道交法第一○三条)のに起訴したとして去る十三日、青森地検八戸支部の大友信三副検事を職権乱用で同支部へ告訴しており、その処分の行方も注目を集めている。
三浦尉七地検八戸支部長は、判決に対するコメントを求めた報道陣に「何も言うことはない」と言及を避けた。
井筒精一県警交通部長の話 詳しい判決の内容を見ていないのでなんとも言えない。判決に従うか控訴するかは検察庁が決めること。スピード違反事件に対する処理も判決が確定してからだ。
この事件は弁護士が勝訴しただけで喜べと冷ややかで、検察も控訴せず一件落着。職権乱用の副検事は飛ばされ、検察官が筆者に詫びを入れて終了。それにつけてもきかない奴が筆者だ。雀百まで踊り忘れずで、棺桶片足突っ込んでいるのにいまでもきかないなァ。馬鹿は死ななきゃ直らない見本が筆者。筋金入りのゴンボホリはこれを言う。

2008年9月18日木曜日

名所発見・八戸市役所のまんじゅうふかし


酸ヶ湯のそばにまんじゅうふかしがある。蒸かし饅頭を売っているのかと思って行ったことがある。なんの婦人病に効果があるのでまんじゅうふかし。なるほどと笑った。
 これが八戸市役所にもあった。本館前の噴水の出る舟形の彫刻前、その石の腰掛がそれ。夏の太陽、秋の木漏れ日を受ける頃まで有効。
 たしかに熱いが、男が座ると何と呼ぶのか。にこたま焼きとでもいうのが正しいのか? 八戸名物、たこやきならぬタマ焼きが良いか?

八戸市役所、市民の目をあざむく特殊手当て 2

昨日の報に間違いあり。日額240円は税を課す業務に従事しない者がそれをした時だそうだ。人事課が提出した一覧表が読みにくいため間違い。
 市場監視業務手当て 中央卸売り市場で市場取引の監督、指導又は取締り業務に従事したとき。月額1700円。
 魚市場における監視業務に従事したとき 月額1100円
 これらの特殊勤務手当てを人事課は簿冊を作り管理しているという。この簿冊の開示を求めたので2週間以内には支払いの実情が見えるだろう。
 特殊手当ては全部で23ある。昨日のものと今日の市場監視手当ては平成21年度に廃止予定。さすがにまずいと思ったのだろう。市民の見えないところで勝手に支給するこれらの手当ては議会を通したものなのか、それとも人事課だけの判断なのか、ここも解明しなければならない。

2008年9月17日水曜日

八戸市役所、市民の目をあざむく特殊手当て 1

市役所に勤務すれば様々な仕事に従事するは自明の理(じめいのり・何らの証明を要せず、それ自身ですでに明白なこと)。ところが、この仕事にも長短(ちょうたん・よしあし)があるようで、その仕事につくと手当てが出る。
 収納等業務手当て 税の賦課に従事したとき貰えるもの。住民税課、資産税課、及び国保年金課の職員のうち主として市税の賦課に関する事務に従事する者並びに南郷区役所市民生活課の職員のうち主として市税の徴収又は賦課に関する事務に従事する者。月額二千円。
 これはどうしたことだ。こんな計算するだけの仕事に何で市民が手当てまで負担する必要がある? それをするのが仕事だろう。そんな当然なことにまで何で手当てを支給する必要があろう。
 八戸市役所は腐っている。税の賦課をするのが仕事の人間に、それがわずらわしい仕事だからとして手当てを払う。これはどういうことだ
たとえば行路死亡人(こうろしぼうにん・。面識のない他人。かかわりのない人で死亡した人、行き倒れ)の処置に従事した場合、これは支払うべきだ。これには従事一回に2900円支給。 こうした誰もしたくない仕事に従事した場合は至当(しとう・至極適当なこと)。
ところが先ほどの税を賦課する仕事に従事した人間に手当てを払ったが、賦課に従事しない人間には日額240円支払う。日額だから20日では4800円。すると同じ課にいながら、賦課に関わらない人間は何もせずに働く人間より多い額を受け取る。
どうなっているんだ。人事課は何でこんなわけの分からない手当てをくれるのか。市民の税をばらまいていないのか。ばらまき予算は不当だと世間に騒がれた小泉政権と同じ体質なのか。
市民は目が見えないのではない。隠れたところでコソコソやっているから眼につかない。こうした不正はどこかでやめるべきだ。「はちのへ今昔」は断固、この解明に当たる。しばらく、この稿は続く。

2008年9月16日火曜日

水道企業団、北奥羽サービスと癒着






公営企業と私企業がもたれあうのを癒着と呼ぶ。水道企業団は北奥羽サービスに水道の使用量を検針させているが、その他の業務も依頼した。それも随意契約で。次第にこの問題も解明するが、この北奥羽サービスに市役所横、消防本部のある場所に無料で駐車させていた。これに苦情を申し入れした結果、九月一日から有料となった。
 八戸市役所職員は市営の立体駐車場使用で月額6300円支払う。北奥羽サービスは一台2000円だそうだ。契約書を見ていないのではっきりしたことは分からない。水道企業団の話だ。それにつけても安くないのか。実情を全く無視し、付近の駐車場価格からもかけはなれた安値だ。
 水道企業団には管理能力がない。こんな団体を運営する理事者側に問題がある。年間十億円の利益を上げてどこか狂いを生じたのだ。株式会社である北奥羽サービスに便宜を供与するのは問題。これに、妙な利益を与えれば事件になる。
 さて、この駐車場への入り口はどこ? それは市役所正門、ガードマンの立つ所。ここから車で入れるのは物資納入業者、公共の役に立つタクシー、駐輪場へ行く自転車、バイク、障害者の車。あとは市役所の公用車。すると、北奥羽サービスは公用車か? 私企業でしかない北奥羽サービスの車はガードマンが阻止しろ。車を乗り入れる資格がない。
 すると、これでどうなる? 俗に言う雪隠詰め。出口を北奥羽サービスは持っていない。消防本部側のコンクリート柵をブチ壊して駐車場入り口を確保しろ。規約で八戸市から北奥羽サービスに貸す土地を掠め取ったが、自分の土地の管理もできない。何でもかんでも八戸市役所にもたれるな。
 八戸市役所は八戸市民が運営を委託している。つまり八戸市民の為に働くのが市役所。同様に八戸市民の水道事業を委託されているのが水道企業団なのだ。それが、幾らか金を握り思い上がっていないか。
 儲かりすぎているなら、水道料金を引き下げよ。姑息な手段でいかにも利益が上がらないような、見せ掛けの策を弄するな。(さくをろうする・はかりごとを必要以上に用いる。これもオイオイ追求。資料はすでに我が掌中にあり。

2008年9月15日月曜日

南部一族と日蓮聖人

南部氏は清和源氏武田氏の分かれで、甲斐国南巨摩郡南部邑より興ったとされる。すなわち、新羅三郎義光の五世の孫にあたる加賀美次郎遠光の三男光行をもって祖とする。佐渡流罪を許された日蓮は1274(文永十一)年5月17日、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭、南部実長(さねなが)の招きにより身延山で8年を過ごすが、1282(弘安5)年9月8日、病を得、常陸に向かうも10月13日、途上の武蔵池上(現在の東京都大田区)にて61年の生涯を閉じた。南部一族は日蓮宗の熱心な信者。
これを落語家円生はこんなふうに伝えた。
日蓮宗というものをお広めになりましたのは申しあげるまでもなく日蓮聖人。安房の国長狭の郡小湊というところでお生まれになりました。お父ッつァんを貫名次郎庄司重忠、おッ母さんを梅菊御前と申し上げました。ある夜、日輪飛びきたって、これを呑むという夢を見て懐妊いたし、のちにお生まれになりましたのが日蓮聖人だという。昔は、この夢のお告げということをたいへん信用したもんだそうで、吉夢というものがある……。菅原道真公のおッ母さんは、梅の花を呑むという夢を見て懐妊をいたし、お生まれになりましたのが後の菅原道真公、天神様でございます。
 『慶安太平記』と申します……徳川幕府を覆そうとした由比正雪。この人のおッ母さんは剃刀を呑むという夢を見て由比正雪が生まれたといいますが……。家康のおじいさんは、是という字をにぎった夢をみた。これを占ってもらうと、こりゃまことに、たぐいまれな吉夢でございますという……、どういうわけかと聞いたら、是という字をのばすと、日の下の人と書く。それを握るというんですから、天下を握るべき豪傑が出来るにちがいないという。果たせるかな、そのお孫に家康という方が生まれました。天下を握るという、是の字をにぎったんですからこりゃアよかった。もし非の字でも握れば、非職になってしまったところで……。夢のお知らせというんですが日輪を呑んだというのはまことに雄大な夢でございます。あたくしの知ってる人で、七輪を呑んだ夢を見て火傷をした人がある。またこれもやはり噺家でございますが、狸と相撲をとった夢を見て……どうも変な夢を見たもんだてんで、当人も気にしてましたが、この人が睾丸炎という病いにかかりました。やっぱり夢のお告げというものはあるもんです。
 日蓮聖人がお生まれになりまして、幼名を善日麿と申し上げ、それから薬王丸となり、十八歳の時に髪を下ろしまして蓮長となった……。これから仏門に入り、一心に仏学を学んだ、ところがどうも、ご自分の腑におちない。そこである時は南都東大寺、あるいは叡山、諸方をまわりましていろいろ研究をしてみたが、どれも納得が出来ない。結局、世の中を救うにはどうしても法華経でなければいかんというので、旭の森において、南無妙法蓮華経という七字の題目を唱えました。
 この南無妙法蓮華経という文字は、みんな髭が生えておりますが、髭題目というんだそうです……。南無妙という字に髭があるが下の蓮華経というのもまた髭がある。真ん中の法の字は髭がない……どういう訳だといって聞いたら、法はくずす訳にはいかんというのであれだけはちゃんと文字を書きました。あとは全部、髭題目。
 このお宗旨に第一に帰依いたしましたのがご両親でございます。「子を見ること親に如かず」というが、まことにどうも偉いものですな、この宗旨に改宗をしようというので第一の信者になりました。おッ母さんの方へは妙蓮という法名を贈った。お父ッつァんの方は妙日……妙日ッたって、明日ッからじゃない、もうその日のうちにお題目を唱えました。
 これから、当時文化の中心地でございます鎌倉へ出て、これから辻説法というものをいたしました、今でいう街頭演説。ここでとうとうと、他宗を悪く言う、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊、他宗堕地獄、法華一人の成仏」と言った。さア、ほかの坊さんがこれを聞いて怒るまいことか……「日蓮てえ奴はとんでもねえ坊主だ。一泡ふかしてやろう」というので、これへのり込んで議論をしてみると、とうとうと説かれてぐうの音も出ない。どうにも仕方がないから、「あなたのお宗旨に改宗を致しましょう」というような訳で、日を追って盛んにはなりますが、一方また迫害も甚しく、大難は数ヵ度、小難は数知れずという、実に多難なご生涯でございました。「松葉ケ谷の御難」「小松原の御難」あるいは、「俎岩の御難」「竜の口の御難」というのもございますが……。ある日、松葉ケ谷の草庵で、弟子、檀徒の者をあつめて説教をしている……鎌倉の役人がおおぜい乗り込んでまいりまして壇上から聖人を引きずりおろし、有無を言わさず裸馬にのせて、これから竜の口の刑場へ曳こうという……途中鶴ヶ岡八幡宮の社前を通りかかりました。この時はるかに八幡宮を見上げた聖人、「如何に八幡菩薩、昔霊山に釈尊が法華経を説かれし時、十方の諸仏、多宝如来、三国の善神みな法華経の行者を守護せんと誓わせ給うたり。日蓮はいま、日本第一法華経の行者なり。しかも身に罪なくして今宵、頭を刎ねられんとす。我れ、頭を刎ねられなば、御身誓約に背きしことを教主釈尊に告げん。それを恐るるならば、疾く奇特の奇瑞を現わしたまえ」、はッたと、八幡宮をにらんだという……いやどうも、実にたいしたもんですねエ、人間でも堂々と神様に対して抗議を申し込む。「それじゃ君、約束がちがうじゃないか。いったい、君の責任はどうなるんだ」……立派なもんですねエ。そこへいくとあんまり立派でない抗議もある。
「おい。どうしたんだ。十六番だ…玉が出てこねえじゃねえか。しっかりしろい」なんてなことを言って……パチンコ屋の抗議なんてえのは、あまり立派なもんじゃないが……。
 竜の口に曳かれましたところには、いかめしく竹矢来が囲らしてあり、多くの弟子、檀徒の者はこれにすがって嗚咽の声、あるいは題目を唱え、打ち寄せる波の音、星の瞬きも、さながら日蓮の死を悲しむがごとく、しめやかなうちにもざわめいておりますが、聖人、少しも騒がず、静かに荒むしろの上に正座をいたしまして観音経を誦している。時刻来たれりというので、太刀を引き抜いてこれを振りかざしたときに「念彼観音力、刀尋段段壊」と、唱えると、この太刀が三つに折れたといいます。これを「太刀折れ御難」という……。鎌倉から急使がまいりまして、日蓮に死一等を減じて佐渡へ流罪という……これを「佐渡の御難」、あるいは「雪の御難」とも申しますが「われ生涯に、かほど辛きと思いしことはない」というねエ、「佐渡(さぞ)、つらかろう」てえくらいですから……。
 後、赦免になりまして、鎌倉へいったんお帰りになり、これから甲州身延山を開山しまして、これがご本山、ご入滅になりましたのは武州池上の庄、本門寺と申します、経宗の二カ寺というんだそうですが。関東の者は、わざわざ身延まで行かなくてもいいと言います、池上へお詣りをしたら、それで同じなんだといいますが、やっぱりお宗旨の方はご本山まで行かなければ、なにかどうもご利益が薄いように思いますが……。

2008年9月14日日曜日

あわれむべき「はちのへ今昔」被害者の会

被害者の会が彼らのブログに刑法の搾取の罪にあたると書いていたが、筆者は男を六十五年やってきたが、そんな刑罰を見たことが無い。世の中は広くなったが新種の刑罰まで捏造するな。
泌尿器科の佐々木一族の六法全書と世間一般の六法とは違うようだ。もうすこしマシな人間だと思い相手にしたが、知力の不足する人間とは口がきけない。寝言は寝てから言え。うわごとは病気になってから言え。
 佐々木の倅も若いのだから、死んだ気になって勉強しなおせ。いくらかマトモな人間になれよう。あまり藤川優里市議を中傷するなら、倅が何と言って市議に迫ったかを記す。「はちのへ今昔」は週刊大衆ではない。言われたくないことも世の中にはある。それを知ってて黙るも情けだ。その情けを無用と言うなら心を定めよ。竹箆返し(しっぺいがえし)、雉も鳴かずば撃たれまいの言葉もある。

講談・安藤昌益を八戸天聖寺で開催


日本の三大話芸に落語・講談・浪曲がある。この中で一番古いのが講談、徳川家康に太平記を読んで聞かせたとある。語り手は赤松法印、だから講談は太平記読みとも呼ばれた。浪曲は浪花節とも呼ばれ幕末に浪花屋伊助が始め、祭文(さいもん・祭祀の際、神前で奏する祝詞、それに節をつけて歌祭文)が起源、三味線を合い方とする。落語も幕末に日本橋の櫛職人三笑亭可楽を始めとする。
 その講談には宝井、一柳斉、神田、田辺などの派がある。講談界に宝井馬琴あり。五代目の馬琴は声を張った口調で、それが実に緊迫感があり筆者が聞いた中では秀逸。愛知県の産、入門五年で真打、修羅場物(軍談・ぐんだん、合戦物)を得手とした。講談は講釈師、軍談師などとも呼ばれる。
 落語家は仲間の講釈師を「講釈師見てきたような嘘をつき」、「講釈師詰まった時に三つ打ち」と張扇を叩きながら話をすすめる態を言った。講釈師も負けない「落語家は世相のアラで飯を食い」と評した。
 その宝井の中に女流講談家の琴桜がいる。これが安藤昌益に着目し安藤昌益発見伝を演ずる。それが、写真のもの。安藤昌益がNHKテレビで放映されたことがある。八戸市史編纂に多大な功績を残した三浦忠司氏が、安藤昌益国際シンポジウムを八戸で開催。井上ひさし等を集めたビッグイベントで、こんなスケールの大きなコンベンション(大会)をかつて、八戸で見たことがなかった。
 人の力の偉大さを三浦氏が見せた。この人が昌益資料館をつくる会に尽力。そこで宝井を呼んだ。
 時・十月五日 十三時半より
 所・天聖寺ホール
 木戸賃・千円
天聖寺は延享元年(一七四四)、安藤昌益が初めて彼の思想を語った場所。安藤は秋田の産、医師、八戸十三日町、山口茶舗の所に居住したと言う。大思想家「自然真営道」を著す。

2008年9月13日土曜日

不屈のうた 革命の道で 抗日パルチザンの感動の自伝 

金明花・著 在日本朝鮮青年同盟・編
 貧農の家に生まれた著者は、幼い頃から馬の尾毛を材料とした冠りを夜おそくまで編んで家計のたしにする。母は水がめを頭にのせて村々を売り歩き、ために髪の毛もほとんど技ける。十六の時、咸鏡北道鏡城郡に越し、家内で機織りをやるが、貧ゆえに売られゆく友達の姿に憤りを抱く。やがて二十歳で十人家族の長男李容徳に嫁ぎ、
 「朝鮮はなんとうるわしい国だろう…だがわれわれ朝鮮人は倭奴の鉄鎖にしばられ苦しみにあえいでいる…あいつらをわれわれの手で打ち倒すのだ」
 との夫の言に著者は深くうなずく。税金は重く、家計の苦しさから故郷を捨て、一家は満州・北間島延吉県鳳林洞に移る.
 しかし、「ここでも、地主の搾取は朝鮮とかわることなくひどかった」。夫はひそかに革命組織に入る。家には共産党支部の人達が出入りし、著者は同志達の話を聞きながら次第に社会矛盾の本質を理解するようになり、連絡、ビラ配布等の活動に参加してゆく。
 やがて婦女会、反帝同盟などに入って他村への宣伝工作に携わるようになるが、一九三二年はじめ、夫は逮捕され、延吉監獄に収容される。同年夏、著者は共産党に入党。だが同時期、著者は夫の弟二人と、夫を失うことになる。一人の弟は秘密通信文所持で反動団体員に殺され、一人は捜索にきた「討伐隊」に殺された。夫は一旦釈放されるが、再び逮捕され、竜井の日本領事館で壮烈な最期を遂げる。
 著者は同志に勧められて遊撃根拠地に入る。根拠地の住民たちは遊撃隊と一緒になって「討伐隊」と戦った。一九三三年四月、著者は延吉県遊撃隊に入隊し、武器をとって闘うことになる。しかし、最初は炊事班である。
 一緒になった若い女性隊員たちの経歴も著者のそれと似ていて、三十一歳の著者は「明花オモニ(おっかさん)」と慕われる。
 二十二歳の崔淑同志、彼女の夫は延吉監獄で拷問を受け、パルチザンの秘密を守るために舌をかみきって自決する。彼女の大胆な戦いぶりと崇高な同志愛。
金貞淑同志の諸種の革命任務への忠実性、類い稀な自己犠牲精神と敵に対する勇敢性。
 崔煕淑同志の夫はソウルの西大門刑務所に投獄される。彼女は重傷を負って敵手におちた時、
 「朝鮮はきっと解放されるだろう…おまえたちは祖国を裏切リ、侵略者日帝の走狗になりさがっているが、わたしたち共産党員と人民は日帝をうちくだき、どんなことがあっても祖国をとりもどすだろう」
 と叫ぶ。敵は彼女の両眼をくりぬき、心臓までもえぐりとった。
 著者は、敦化の大森林で、重傷を負った中国人同志の保護を受持ち、想像を絶する悪条件の中を超人的な献身性で七十七日間も持ちこたえ、任務を果した。日常はつつましやかで、万事に控え目な彼女たちの、鬼神をも哭かしむる戦いぶりは何に発しているのか。問うも愚かなことであろう。
 本書は「金日成元帥とともに」という一章を立て、新しい時代の民族解放闘争の中核・抗日遊撃隊の創設者金日成将軍の、革命情勢の節目節目における卓越した指導力と、隊員や大衆との人間味あふれる応対の一端を紹介している。隊員の侵略者日本に対する燃えたぎる憎悪は、金日成将軍の適切な指導がなかったならば、散発的な個人テロに終わり、民族解放と新社会建設の大業とは効果的には結び付かなかったであろう。
 著者は祖国解放後、延吉県鳳林洞を訪れ、息子と娘に再会する。十四年の歳月は娘をして容易には母の懐に飛び込ませない。真夜中、皆がひっそりと寝静まったフトンの中でそっとまさぐる娘の手をとらえ、母娘が抱擁する場面は実に感動的である。

2008年9月12日金曜日

環境政策課は市民の環境より自課の環境を整備せよ



昨日の汚い部屋に続き今日は環境政策課を指摘。写真の焼酎ボトル大五郎に見えるものは焼酎ではない。酒盛りをした形跡はないが、ここは地方記者室前、その記者室には大鍋がある。何か煮て食ったのかに、いや、ロウを煮たと返答。
 部屋に空きペットボトルを置く、それでも足らずに記者室の机に物を置いたのだろう。物を置くなの張り紙あり。地方記者を人扱いしていなのだ。これは役所の特性。タウン誌や週刊新聞は頭を低くして購読を願う。そんな弱い立場の人間に横柄にするのが役人。ある記者が嘆いた。課内に入り、課長の机に情報誌を置いた。すると「何か物でもなくなったか」とほざいた男がいたそうだ。「私はそんな人間じゃない、四十年も市役所を歩いているが、こんな侮辱を受けたことがない」と叫んだそうだ。
 弱い立場の人間を苛めるな。それが嫌さに、「はちのへ今昔」は公告もとらない、購読をも願わない。だから、平気で非をならす。「はちのへ今昔」は行政を批判すると言う。批判など一度もしたことがない、非難しているだけだ。

親をも売るのか水道企業団、広報に便乗し無賃配達2

前回、水道企業団に四百五十万請求しろと伝えたが、間違い、正しくは38455875円
八戸市役所が税金投入し広報配布の体制を整えた。それをタダで使ったのが水道企業団。そもそも広報は誰が配達する。それは行政委員八戸市内に491名おられる。これらの方は年間9千円のわずかな報酬で市の行政の手伝いをなさる。各戸に配布する広報は年間百五十円と微々たる金。それでも八戸市役所のために、行政が何をしているかを伝えるために配達をされる。雨の日も雪の日も。
ところが八戸市内の世帯数は73089、これに150円を掛けると10963350円。つまり八戸市は毎年、広報配達には15382350円かけている。
大雑把に千五百万、このシステムをタダで使うは極悪。半分の七百五十万、その五年分で〆て三千七百五十万は払わなければいけない。正確な数字は冒頭の三千八百四十万だがまけてやる。人の金だから太っ腹だ。
それにつけても次から次へと良く気がつくものだと我ながら呆れるが、実はこれには仕掛けがある。情報開示という法律が出来て、行政の透明性がはかられた。これで理事者側、つまり役人が何をしている、しようとしているかが見える。必要なら書きかけのメモまで開示させる。ここを上手に使うと役人のハラワタまで見える。しかし、膨大な書類、これにめげず、それを丹念に見ると、数字が光る、あるいは文言が光って見える。ここを調べろと。
だから「はちのへ今昔」は短時間に色々なことに気づく。そして、その本質を鋭く訊く。議員は票が欲しくて柔らかく聞くが、「はちのへ今昔」は売れない雑誌。何の遠慮も会釈もいらない。本質に迫るまで何度も鋭く訊く。だから、こうしたことが続々と出る。
間違いは正せばいい。間違いを改めることだ。どこかですこしづつ狂ってきた歪んできただけなのだ。それを今の管理者、理事者が直す以外にない。定年で追い出された当時の役人は何もできないのだ。
 

2008年9月11日木曜日

市役所を汚く使う課には部屋を貸さない


別館7階の男女共同参画課と区画整理課の間の整理ができない。名前は整理だが、どうなっているんだ。
ここはキャビネット置き場だそうだ。それにしても汚い。何回も同じことを言うが市役所は自分の家ではない。自宅はどんなに汚く使おうと苦情はいえない。が、市役所は市民がお貸ししている。汚くしか使用できない者には貸さない。
 職員は自覚を持て、朝は遅れる、タイムカードのないのを良い事とする風潮の延長上にこの汚い使い方がある。人事課長はなめられている、どうせ毎月、一日(ついたち)だけの声がけ運動だと。抜き打ちで朝立ってみろ。同じ顔ぶれが必ず遅刻してくる。なめているのだ。いきなりタイムカードが配備されても文句をたれるな。皆、職員自体が悪いのだ。
 人事課長も人の良いのもほどだ。出勤簿を課長席に置き、登庁したら判を押させろ、これも見てみぬふりをするんだ。課長もグルだから方法がない。究極は機械管理のタイムカード以外にはこうしたズルイ職員に効き目はない。
 目覚めよ、審判の日は近い。街頭に貼ってあったな。

南類家の歩行者道路が明確化


不法駐車で占拠された市有地、これが歩行者道路、市役所道路維持課に苦情を入れたのを記憶される人もいよう。
 さて、この度、この道路に看板がかかった。これで歩道に駐車する不届きな輩もでないだろうが、本当にここが歩行者道路でいいのかの疑問もある。ここは生協、ユニバース、伊吉書院、マクドナルド、ホーマックと立ち並ぶ中心商店街を凌駕(りょうが・他のものをしのいでその上に出ること)する勢い。そこに区画事業で決めた歩行者道路、当初はそれなりの意味合いもあろうが、時代は変り、今や八戸の一等地にならんとする場。 このままで良いかの検討もあろう。まア、それはそれとして、車歩道の区分が明確化したことは評価。

2008年9月10日水曜日

親をも売るのか水道企業団、広報に便乗し無賃配達


忘恩の徒の言葉がある。忘八(ぼうはち)ともいう。仁義礼智忠信孝悌(てい)の八つを失った者を指す。南総里見八犬伝がこれを柱として作られた。ご存知、滝沢馬琴の手になる。山東京伝の弟子、勧善懲悪物を得手とした戯作者、八十一まで長生き。芥川龍之介の作に晩年の馬琴を書いたものあり。これもいい出来だった。
 忘八は女郎屋の亭主をも指す。水道企業団は仁義礼智忠信孝悌を知らない。八戸市議会の部屋を無料で使い、それを払っていないことは前に記した。もともと八戸市が所有した税金投入の塊の水道事業を市民の知らないところで掠(かす)め取った。これ自体がとんでもないことだが、自分たちの議会を持つなら、自分たち水道企業団の中でしろ。あたかも、八戸市役所と関係があるような素振りをして、実は何の関係もないと、総務課長の下村氏はいう。水道企業団は他団体だと。他人が何で本人面して八戸市の議会の部屋を無断進入して、銭も一円も支払うことなくいまだに使用できるのか。議会事務局も事務局、これを積年見過ごすは愚の骨頂(ぐのこっちょう・この上なく愚かなこと)。八戸市もボケだが、それを良いこととして市役所に図々しく入り込む根性が汚い。
 議会事務局には五年さかのぼって請求するように伝達、するかしないかは市民が注視すればいい。
 さらに汚い手口を発見。それは「おらほの水」、これは水道企業団が八戸市役所の広報のように市民に配布するもの。この配布を長年無料で八戸市に依頼。
 これが発覚したのは町内に居られる行政委員の高齢化。年間百八十万円で、ボランティア的配布。ところが寄る年波で勘弁して欲しいの弁あり。そこで広報公聴グループが調査、出来ない、勘弁してくれと、もう少しがんばる地域が出た。出来る地域は行政委員に、できない地域はチラシ配布業者に頼んだ。
 ここで長年図々しく、この制度に一円も支払わず配布を願っていたのが汚い塊の水道企業団。こいつらはどういう神経なのだろう。市役所から土地建物、水道設備の一切を無償で盗んだだけでなく、立っている者は親でも使え、寝ている者なら病人までもコキ使えじゃ忘八のチャンピオン。これ以外のこんな汚いズルイ、カッコ悪いの3Kを知らない。
 八十二億円の水道料を得て、十五億円の利益を出しながら、一円の銭も払いたくないはどういう料簡なのだ。これこそ料簡違い(りょうけんちがい・心の持ち方が正道にはずれていること)という。水道企業団の長はお飾りの小林市長、理事者側の根性が汚い。その報告だけ受けて信実が見えるのか。
 市長は意気込みあれど、部下がヘイヘイ言うだけで動こうとしない。体に麻痺が進行している。担当課は水道企業団に請求しろ。水道企業団被害者の会を作り足並みを揃えろ。(「はちのへ今昔」被害者の会ってのもあった)
 五年にさかのぼり半分の九十万円、四百五十万円を請求しろ。かれらはふんだんに金を有しながら金の使い方を知らない。こういうのを守銭奴と呼ぶ。
水道企業団は請求されれば支払う用意があるとぬけぬけとほざく(他人がものを言うのをののしっていう語)。月夜に狼が吠えるがごとく、銭を払うと水道企業団がほざくからには徹底して請求の態度を貫け。水道企業団は他団体、八戸市役所とはなんの関わりもないのだ。

2008年9月9日火曜日

小林市長は飾り、嘘をつく理事者に担がれているだけ2

八戸市役所職員は多すぎて、自分が何をするかを理解できない。昨日掲載の交流センターがどの部署に属するかを見ると、これは総合政策部、ここに政策推進課、中心市街地活性化推進室、広報市民連携課、東京事務所がある。
 部長は高島司氏、次長が石黒一之氏、政策推進課は課長以下11名、交流センター建設は9名、広報市民連携課は17名、東京事務所3名の都合42名。石黒次長の下にサポートセンター掌握部署の市民協同グループがある。石黒氏は前は都市政策課長、広報市民連携課は違う部署に所属、役所の良くて悪い点は人事異動、全く知識の無い課に配属され、一から勉強、それも大きな交流センター建設の難問を抱える。
 為に46億円新規投入の事業に没頭は理解できるが、その程度の頭では絶えず変化する時代に立ち向かえない。昨日の議会質問で若武者三浦博司議員が、詳細設計を書かせている間に、H鋼材の値上がりは分かったはず、それらは業界誌等で把握できたのではないかとヤンワリ質問。問題の本質はここにこそある。
 役所は先送りをする体質、自分が担当していることも、どこか上の空。自分以外にこの事を推進、遂行できる者なしの気概にかける。無事定年を迎えたいという、やっとこ課長にお情け部長じゃ、役所の体質は変らずむしろ悪くなるだけ。大体二千人の大部隊が、隣の職員が何をしているかを知らない。
 もっと悪いのが石黒氏、自分の部下の市民協同グループが規定通りサポートセンターの指定管理募集を開始。これが交流センターとぶつかる事業なのは百も承知、二百も合点。ところが、全体へのめくばりができないから、これが走る。途中で「はちのへ今昔」に気づかれ、居直りだ。それが昨日の記述。
 自分の手足がどのように動くのかは、頭が決めるんだ。手足が決めるのではない。頭にそれを訊くと、頭にないことだけにオロオロ、ウロウロ、それは会議を開いたと吐いた自分の唾がふりかかっただけ。
 敵を撃退するなら、装備、防備を考えてやれ。将棋じゃないが自分の武器の駒が、相手に取られ、形勢逆転はよくあること、が、役人は信念を持って進む。信念は新年おめでとうと違う。これは以前に風張課長で使った古ギャグ。信念のカケラもないから風見鶏だ。
 課長も課長なら次長も次長だ。いいコンビだが、その上の高島って部長も頂けない。部下が何をしているかを知らないのも情けないゾ。
 これが交流センターの実情。彼らが市長の答弁書を書く、かいたのは恥。三年前の文言で今の時代を解説できるのか。役所はちあきなおみじゃない。この人は東京板橋の生まれ、名前二つを芸名にする苗字の無い歌手、昭和46年の喝采がメガヒット。吉田旺作詞、中村泰士作曲、あれは三年前 止めるあなた駅に残し、動きはじめた汽車にひとり飛び乗ったで、一躍実力歌手となる。
 市役所が三年前のサポートセンター開始当時のアンケートを交流センターに移動するために集めたような嘘をつくな。これは山口洋子作詞、平尾昌晃作曲、昭和49年150万枚売れた、中条きよしの歌、折れた煙草の吸いがらであなたの嘘がわかるのよ…女があとから泣けるよな哀しい嘘のつける人で役所が嘘をつくな。間違いは間違い、訂正すればいい。それを無理押し、ゴリ押しするところに問題が発生。市長は経緯を知らぬから答弁書通りに読む。読ませたあなたが悪いのよ、市民があとから泣けるよな、苦しいうそをつかせる人。
 税金を無駄に使うな、一人でも交流センターに来て欲しいのが実情。それなら、交流センターにサポートセンターを持ち込むべきだが、どこかこの「はちのへ今昔」の
論理に間違いがあるか。

2008年9月8日月曜日

小林市長は飾り、嘘をつく理事者に担がれているだけ


九月八日市議会定例会で民主党の三浦博司氏がまちづくり行政について質問。根城の総合福祉会館内に市民活動サポートセンターがあり、指定管理制度で年間六百万円を投入し百八十団体を擁する。
 過去三年間の成果がこれで、投入した税金は千八百万円、つまり一団体に対し十万円の税金を投入したことになる。このサポートセンターの指定管理が切れ、今度は五年間の契約が新規の受託者と結ばれる。ところが予想だにしなかった三日町の交流センターが浮上。
 都市政策課が長年弘前大の教授に有料で街中を分析してもらい続けた。これが、曲者で大した案も出さず、沈香(じんこう)も焚たかず屁へもひらず(特によいところもなければ悪いところもなく、平々凡々であることにいう)で経年、ここで出た案は市民参加型の街づくりが必要。これをまとめたのが課長の石黒一之氏、今は交流センターを推進する政策部次長、これが注意人物。都市政策課から人数を率いて中心市街地活性化推進室に風張知子氏を室長に、一人だけ前田晃氏が秘書課から移動し、これらが交流センター建設部隊。
 つまり、交流センターの基本は名前の如く市民の交流拠点。ここが出来れば誰しも根城のサポートセンターが移動すると考える
 ところが石黒氏はどういう訳か、これを失念、指摘されると、交流センターにも同じ物を作って何処が悪いと筆者に噛み付いた
○9月5日までサポートセンターの指定管理を募集している。交流センターが出来たら移動してもらうと応募者に伝えろ。同じ物が二つあると市民がどちらに行けばいいか迷う。
●いいじゃないですか好きな方にいけば。
○ 税金の無駄だろう
●必要な税金は使えばいい。
○ それは間違いだ、部長に訊く
●失礼じゃないか、私が答えているのに。
○ 市民の税金を無駄にするな。
●今日は部長はいない。こんなやりとりが数回あり、結局、石黒氏は担当諸課と調整し、八月三十日(土)午前八時に電話してきた。
指定管理者とは毎年一度協定書を交わす、その中に移動の文言を入れるがどうか

○ それでよかろう。
ここで考えた。役人は文書にして出さない。自分たちは要求するが、言葉だけで逃げきろうと考えるもんだ。石黒氏も腹黒で同じことをするなと、議会で質問してもらい担保にすると人事課長に協定書の担保を伝達。
色々なやりとりの中で、石黒氏のようなめちゃくちゃな論理を吐く人物がいてもいいと評価したから、人事課長に下駄を預けた瞬間があった。それ故、人事課長の登場。
 ところが、今日の議会で三浦議員の質問に、協定書の話も出ず、三日町の交流センターに行くかもしれない行かないかも知れないの市長の弁
 市長は飾りか? 理事者は正確に事態を告げなくていいのか。三浦市議は五年間走ると三千万円かかる、三日町の交流センターにすればどうかと丁寧な質問を繰り返すが聞く耳を持たない。三千万が小額と思えば、二つあってもいいの発言になろうが、同じように二つの部屋に人員を配備し輪転機、パソコン、電話、コピーをそろえる必要があるのか。一つで足りるだろう。
 市長は役人作成のメモを読む。そこにはサポートセンターは資料を作成する市民にとっては駐車場がある根城が便利、集会するには三日町が便利との発言。これはサポートセンターが立ち上がる三年前の論議。交流センターが出来たらどうするの論議はサポートセンター利用者にされていない。
 石黒次長は交流センターが出来るので会議を開いて決定したと明言。じゃ、それは何時、会議録は?の筆者の質問に部屋をウロウロ、挙句、資料を三十分探しても見つけられない。おかしいな、あるはずだが…。ないのは会議をしていないということだ、と筆者に気合を入れられた。してもいないことを平然と言う。二つあって何処が悪いというなら、石黒氏の給与でそれを支弁しろ。
 市民の税金は無駄に使うものではない。無駄を無駄と知って使うなら個人の給与から支弁しろ。
 このように国も八戸市も首長は役人のいいかげん答弁書を代読。気の毒なものだ
 それにつけても三浦博司市議は言葉は丁寧、誠実な喋りで前途が楽しみな弱冠三十、見事な若武者。

JRは民間会社、八戸市は随意契約で便宜供与は不届き


各課の随意契約を調査中、その中からこれは看過できないものを掲載。
道路建設課が6457万の随契をなした。当初は7266万。なんでこんな契約がなされたかを追求。JRが昔国鉄と呼ばれ、日本全国に鉄道網が敷かれた。明治五年の新橋・品川間がその始まり。蜂須賀侯爵らが出資した日本鉄道株式会社が明治24年に東北線を上野・青森間に開通。その余材を使い、明治27年八戸線が登場。
 私鉄を官営として国鉄が誕生。ここが野球軍を所持、それが1949年の国鉄スワローズ。名投手金田正一を擁した。金田は18歳で阪神戦でノーヒット・ノーランの記録を樹立、後年もこの若年記録は破られない。立教からプロへすすんだ長島茂雄を四打席連続三振に討ち取る。彼のドロップを打ち崩す選手はまれ。奪三振3509は当時の世界記録。国鉄は金田だけが凄く、他は弱体。登板すれど敗戦投手の金田は女性たちの母性本能をくすぐった。甘いマスクで倅に俳優が出た。JRが稼いでいた頃、それから職員がブラ下がり、赤字に転落し国鉄分割。そして株式会社へと転身。
 何故、八戸市が一民間会社のJRと随契を結んだのか。これを調べると道路法の第三十一条が根拠だと道路建設課が呈示。そこには当該鉄道事業者と交差する道路の所有者は協議しろと記してある。
 問題の線路をまたぐ橋は八戸駅から下田に向かう線路上の「東北本線八戸駅構内八戸通こ線橋改築に係る詳細設計」。これに6457万円を支払った。
 随契でなく競争入札が原理原則。何故だの問いに道路法が出てきた。これには罰則はないが、協定は結ぶべき。その協定には工事の施工方法及び費用とあり、これを随契だと八戸市は勝手な判断。しなけらばならないとは記していない。
 この契約は橋の設計、設計には測量もある。これを随契としたため、JRの指定会社が実施。八戸にも立派に20余社が測量の看板を掲げる。同様、橋の設計を行う会社もあまたある。これらに仕事が出ず、何でJRごときに仕事を出すのか。出すなら出すで、自分たち道路建設課は設計書(発注すると概算この程度になるの試算)を作れ。それも投げて自分で幾らかかるの計算もしない。それが本当に市民のためなのか。
 面倒な仕事は避ける逃げるでは、太宰治が人間失格の中で引用したひきがえるの詩と同じだ。
ゆくてを塞ぐ邪魔な石をひきがえるは廻って通る。
 天下の赤字会社国鉄の残党、JRがやることに間違いがないと、盲従するのも一方法、しかし、それに間違いがないのか、もっと安く確実に作成できないかを、市民は担当課が精魂こめてしていると信ずるから、必死で税金を負担している。景気後退で市民の所得は減ったが、税は変わらぬどころか上昇。これで市民に生きろと言えるのか。
 が、市役所職員の給料は減らず三社大祭の職員互助会の山車まで全額税金で出した。不埒(ふらち・法にはずれていること。道にそむいていること。ふとどき。不法)以外の何物でもない。こうした職員が二千人もいる。何を仕出かしのかかさっぱり判らぬ。だから、今日も市役所に行く。こうした仕事は議員諸君の仕事だ。だが、彼らはあてにならない。調査権があるにも関わらず、一票が欲しくて追求できない。情けないものだ。
 八戸市内にも堂々税金を払い技術優秀な企業が幾つもある。それらに仕事を廻すことを考えよ。市民が潤ってこそ税金も入る。ところが、自分は仕事をしたくない、給料は一円でも多いほうがいい。これじゃ泥棒と何処が違う、泥棒はパクられれば刑務所のリスクあり。役人は何もしなくとも職を失う気遣いもないじゃ、泥棒より悪くないのか? 街の中でこんな看板を見る。悔い改めよ、審判の日は近い、市役所職員はこの警句を自分のこととして受け取れ。
 この橋の建設には15億円かかるという。これに待ったをかけろ。地元企業にも仕事を分けろ。この努力なしに市民は税を払いたくない。
 今までやってきたので、ついそのまま出したというなら、悔い改めよだ。間違いに気づいて過ちを改める、改めないことを過ちという。
 建設業界はこの問題を注視しろ。仕事はまだまだある。が、諸君は気がつかないだけ。

2008年9月7日日曜日

日本の話芸 古典落語 人情話 2

「関取千両幟」
ところが勝っていけない相撲がありまして、やはり大阪相撲で江戸へきて十日間全勝。ところが誰一人、ひいきにするというお客様がない。何になりましてもごひいきは大切でございます。お相撲さんなぞはいただくお給金よりはご祝儀の方が大変なもので、初めて太刀山を倒しましたのが大正五年でございますね、夏場所八日目に東の小結だった栃木山という人がこの天下無敵の太刀山を倒した…。いやどうも、国技館が割れるような騒ぎで、負けないというものを負かした…栃木山が部屋へ帰って来たら背中へ百円札がべたべた貼ってあった。今の百円じゃありません。大正時代ですから…そうですね、今のお金に換算したら十万円ぐらいの価値があろうという、そいつがべたべた、背中へ貼りつけてあったんですから…。あたくしも相撲とりになりゃよかったと思った…なったって弱いんじゃしょうがない。栃木山という人が太刀山を破った…その翌年の春場所でございます。これは十日目結び、西の正大関でございました大錦卯一郎という大阪の出身、この人にまた太刀山がやぶれましたんで…。二番負けたというので、とうとう太刀山という人は引退をしてしまいました。本来は横綱というのは負けちゃいけないんだそうです。天下無敵、日の下開山というんですから負けるべきもんじゃない、勝って当り前なんです。だけども今そんな事を言ってた日にゃ横綱になったらすぐに引返しなくちゃならない。場所数もふえているし致し方もございませんが…。
 大錦が勝ちました時にその後後会のかたが大変よろこんで、
 「今日はよくやってくれた。お前にほうびとしてこれをあげるからお父ッつァんに何か好きなものを買っておやり」
 というので小切手を一枚くれた。これが三万円あったそうです。大正時代の三万円ですから、何か買ってやれッてんですが、いろいろ考えたが買いようがない。神戸に六甲山という山がある、あの下へ地所を買いまして隠居所を建てました。地所ぐるみ三万円で立派に出来ましたものでしょう。これを大錦のお父ッつァんへ贈り物にしたという…。わずか一番でそういう事がある。
 ところが十日間の全勝というんですが、誰一人ひいきにするお客様がない。あア、俺は江戸の水には合わんのかと…関取が淋しそうに…腕組みをしている。表から家の中の様子をしきりに覗いている乞食がいる…。
「おい、何じゃ乞食が表でうろうろしているようじゃ。銭をやって早う去なしてしまえ」
「はい。…おこもさん、関取が銭をくれるからこれを持って早う通っとくれ」
「ありがとうございます。あっしやァ銭ァ欲しくはねえんで…お宅の関取にちょいと会わしてもらいてえが、会ってもらえるかどうか…聞いてみておもらい申してえんで」
 「(弟子親方に)何じゃ、銭はいらんが親方にちょっとでも会わしてくれといいますが…」
 「うん? わしに会いたい…(入り口ヘ出て来た態で)おこもさん、こっちイ…いやア、遠慮はいらんで入っとくれ。…わしに何ぞ、用でもあるのか」
 「どうも…わざわざお呼び立てをしてすみませんが折入って頼みがあるんで聞いてもらえましょうかね」
 「出来ることなら聞いてあげるが…」
 「実はね、あっしや関取がひいきなんでねえ」
 「何じゃ」
 「(テレ隠しに笑って)ヘッヘッヘこんな事を言やァこのやろう、気でも違ってやんだろう、天下の力士を乞食の分際でひいきとはとんでもねえ奴だと、腹ァ立てるかも知れねえがまア…何といっていいか、好きでたまらねえから、こういうのをひいきというんじゃねえかと思うんですが…。乞食がどうなるもんじゃねえが、あっしが持って来て食ってもらいてえものがある。こんな汚ねえものは食えねえとごみためへ放り込まれりゃアそれッきりだから、先イお聞き申してから持ってこようかと思うんですが、いかがでござんしょう」
「わしがひいきじゃで下さるものがある…折角の思召し、快よう頂戴をいたします」
「えッ?(意外という面持)食っておくんなさる…そいつァ有難えなどうも…じゃ、今すぐ持ってくるから待っておくンねえ」
 表へ出て行きましたが…お蕎麦を持ってきた。
 蕎麦というものは大変縁起のいいもの。商いをしてまとまりました時には祝いに蕎麦でも食べようという。手を打つ、手打ちそばという。それから晦日に蕎麦を食べると金がのびるという…晦日そばというものを今でもずいぶん召し上がる方がありますが。どういうわけで晦日にそばを食べると金がのびるんだろうと…ある方に聞いてみたらそうじゃないんだそうです。金箔屋さんで金を打って伸ばしている、隣の家で味噌汁をこしらえて、その味噌の香がぷーんとしてくるともう、どう叩いても金が伸びなくなる。そういう時に、そば粉を火の中へくべると味噌の香りを消して元のように金がとんとん伸びて行く。だから味噌の香を消すには蕎麦粉で消して金を伸ばすといったんだそうで…。それを晦日にそばを食べると金が伸びるんだなんてんで…。
(箸を持ち蕎麦を食う形)「どうも、いくら食ったって伸びやしねえや」なんてんで、愚痴をこぼしているのがある。そば屋には一定の器があるが、そんなものは乞食には貸しませんから竹の皮へそばを包んでもらい、ふちの欠けたきたない茶碗へだしを入れて、
「どうもお待ちどうさまでございます。へえ、これァね、(茶碗を差し出し)あっしの器でこんな汚ねえが、蕎麦屋でようく洗ってもらったんで。心ばかりのもんでどうかひとつ、関取に食っていただきてえんで…」
 「折角の思召し…頂戴いたします。(振り向いて)野郎、箸を持ってこい」
 取り的から箸を取り寄せ、竹の皮包みを引き寄せて、ふちの欠けた汚ない茶碗で関取がさもうまそうにこの蕎麦を食べている。天下の力士にご馳走をする乞食はさぞ愉快でしょう…。
 「(にこにこ嬉しそうに)ありがてえなどうも…関取、お前さん、食っておくんなすったね」
 「おこもさん、恥ずかしいがわしは、江戸へ来てひいきのお客さんは一人もない。わしのような者でもひいきじゃといって頂戴したのは、あんたの蕎麦がはじめて…。大名がたの前で山海の珍味をいただくより、心からくだされた一杯のそばは実に美味い。大名衆でもおこもさんでも、ひいきという二字に変りはござりません。大阪へ去んで、江戸のお乞食さんまでにごひいきになったといえばわしの鼻が高い…どうぞこの上とも、末永うひいきにしておくれ」
 嬉し涙を瞼に浮かべて両手をついたから、
 「あッ、まァまァ、関取、手をあげておくんなさい…よく言っておくんなすった。さぞ心持ちが悪かったろうが、今、口直しをあげるから、ちょいッと待っておくんなさい。おうッ(遠くの人へ手を叩き呼ぶ)甚太、熊、留…」
 「どうした、食ったか…」
 「あとで話をするから、持ち込め」
 どかどか…運んでまいりました酒肴、そうこうするうちに今の乞食がすっかり早変りをし、
 「関取、あっしゃアね、魚河岸の新井屋てえもんで…。上方見物に行ってお前さんを見たんだ。あア、いい関取がいるな、江戸へ来なすったらいいと思っていた…今度、江戸ィ来たという話だからしるし物の一つもこせえてあげようと思ったんだが、何しろここンところは、目の回るように忙しいんでその折りがなかった…すると、仲間の寄り合いでお前さんの話が出て、『どういうわけかあの関取は相撲は強いが人気が無え。乞食がそばを持ってッて食うか』…十人が九人といいてえが、十人が食わねえ…あっしゃ一人、食うと言ったんだ。『もし食ったらどうする』『魚河岸がそろってひいきにしてやる』てえから、『よし、それじゃ俺が一役買って出よう』ツてんで…こんな茶番をしたわけなんだが…、天下の力士を乞食の分際でひいきだとはとんでもねえ、この馬鹿野郎奴と、つまみ出されてもしょうがねえのを、大名衆でもお乞食さんでもひいきという二字に変りはねえといわれたら…その宿無しは嬉しいだろうねえ。お前さん、聞きやァ上方へ帰るてえ話だが…いやァいけねえ、お前はんが帰るといっても、今度は魚河岸が帰さねえ。どうか江戸へとどまって十分にはたらいておくれ。これは今の口直しだよ」
 と持ち込んだ酒肴…。これが動機になって、たいへん江戸で人気を得ました。
 大阪の天下茶屋に安養寺という尼寺がございますがここに墓がある。池田から出ました人で稲川重五郎。
  相撲とりを夫に持てば
  江戸長崎やくにぐにを…
 とさわりでおなじみの『関取千両幟』。あの浄瑠璃に出ます稲川というのはこの人をモデルに書きましたもので…。
 関西相撲の逸話でございます。

2008年9月6日土曜日

ユニバース南類家店の垂れ流し


県内一番と称されるユニバースはますます拡大の一途をたどり、弘前の倒産スーパーを買い取ったとか。大きくするばかりが能じゃない。市民に迷惑をかけないのも仕事だ。
 八戸市南類家店はクーラーから出る水処理が悪く、敷地から歩道、そして車道にまで水が溢れている。これについて苦情を言うも聞き流し、何度も水を垂れ流しにする。かかる行為は看過できないとユニバース本部に苦情を言うも、何の返事も返答、回答もない。本日も最後の夏の抵抗で暑く、ユニバース南類家店からまたも水が漏れ始めている。
 歩道を歩く者の身にもなれ、車道から水をあびせられた洗濯代はユニバースが持つのか。どうも本部総務課の対応が最悪、拡大路線ばかりが仕事じゃない、寄せ集めの人材じゃ、末端まで神経が行き届かない。悟れ。

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日本の話芸 古典落語 人情話 1

「はちのへ今昔」被害者の会が、筆者の話を連載というが、筆に力がないと、読者をつなぎ止められない。さらに、難しいのがノンフィクション。徹底した調査が必要。時間と金がかかる。ところが、小説は楽、花魁、職人、めおとの三つの題をまとめるだけで一話できる。常現寺のおいらん道中の話で、大筋の花魁が分かれば、後は枝葉だけ。
落語で難しいのは人情話、落語にはいい話が沢山あるが、昨今の若者はそれを知らない。落語に造詣(ぞうけい・学問または技芸に深く達していること)の深い人には「はちのへ今昔」もやきが廻ったの叱責もあろうが、辛抱していただきたい。落語と言えば笑点での座布団ぶんどり合戦しか知らないむきもある。ご寛容のほど。
「紺屋高尾」
花魁で、最高の位にいるのを太夫と申しまして、中でも有名なのは高尾太夫で十一代まであったらしいんですが、とりわけ、初代の、花魁道中の時、自分の生んだ子を乳母に抱かせて一緒に練り歩いたという子持高尾、仙台萩で有名な伊建綱宗が通ったという仙台高尾、それにこのお話に出て参ります紺屋高尾、この三人がよく知られております。
 神田紺屋町で奉公人が十五人、手広くやっている藍屋吉兵衛という染物屋がございます。ここに永年奉公している久蔵という男が寝込み医者を呼びます。
「お前の病気は恋煩いだ。それも相手は素人じゃない。入り山形に二ツ星、いま全盛の三浦屋の高尾に想いをかけた。どうだ当ったろう」
「へえ……あっしやア両親に早く死に別れやしてね、身寄りってえなア、千佳の竹の塚の在にいる伯父だけでして。で、その伯父にゃア子供がねえんで、あっしを可愛がってくれましてね。前前から、年期があけたら家で引き取るからって言ってたんす。あっしもそろそろ帰ろうかと思って友達にそういったら、『お前は二十六にもなるってえのに、吉原に一度も行ってねえが、田舎イ引っ込んじまったら一生知らずに済んじまう、俺が連れてってやる』ってえから、『俺ア以前から、あんなとこイ行って悪い病気でもしょったら生涯取返しがつかねえ。決して吉原に足入れんなっていわれてるから厭だ』っていったら『花魁道中見物するだけならべつに間違えはねえ、かえっていいみやげ話になる』ってんで、無理に引っ張っていかれちまった。すると凄い美人で『ああいう花魁なら、死んでもいいから盃が貰いてえ』っていったら、友達が笑いやがって『馬鹿アいやがれ。ありゃア病気しょい込む気遣えはねえが、大名道具っていって、てめ えにや盃どころか傍へも寄れねえ』そこで錦絵を買って眺めてました」
「ハハハ、表向き見識を売ってはいるが、売り物に買い物、金さえ出せば自由になるよ」
「幾らで?」
「そうだな、初回で、どうしても十両だろうな」
「先生、あっしの給金は月一分で」
「そうか、年で三両か……、お前三年の辛抱は出来るかい? そうか、それならば九両を溜めなさい。そしたら花魁に逢わしてあげる……なあに、一両ぐらいなら、あたしが足してもいい……ああ、身請でもされない限り、廓にいなくなることはない。もしさようなことになっても、何とかしてお前に逢わしてやるから、その気になって一生懸命働きなさい」
 病は気から、薬は気やすめ、薬を飲むってえとたちまち全快いたしました。さア金を残そうってんで、一生懸命働いておりますうちに、丸三年がたち、四年目に入った二月。
 「親方、なんぞご用で」
 「ああ、ちょっと話があるんだ。まアそこイ坐れ……俺がゆうべ帳面調べたら、お前の給金が残らず俺の方の預りンなってて、三年分で九両溜まってる。そこでだ、お前が辛棒した骨折りとして、俺から一両ここイ包んどいた。これをお前にやる。これでお前の金は十両ンなったんだ。判ったな?」
 「へえ、さいですか、十両ンなったんすか。じゃア、十両出しておくんなさい」
「なんだ、手ェ出しやがって、確かに十両はてめえの金だ。で、あと三年辛棒したら、合せて二十両ンなる。そしたら俺が店を持たして、鉄漿(おはぐろ)つけた女房を貰ってやるから、紺の暖簾下げて、『親方、これを染めてくださいまし』『ようがす、あさっておいでなさい』かなんか、てめえがいえるようになる。それまで預っといてやるから、一生懸命やれよ」
 「親方、三年前にあっしが患った、その時、お医者が金ェ溜めて高尾を買う気ンなりやァ治るってんで、その通りィしたら治った。で、金が溜まったんで高尾を買うんで十両くれ」
「そうかい。なぜそれを先ィいわねえんだ。三百文女郎買うってんなら渡せねえが、大名道具となりやァ話ァ別だ、なア……三年分の給金で一夜の栄華を買うてなァいい度胸だ。……気に入った。よして金ェ渡してやろう」
「さいですか。じゃア今夜出掛けるんで」
 とにかく身綺麗にしなくちゃァいけないってんで、床屋や湯へやりまして、女房のおみつにいいつけ、荒物から履物にいたるまで、仕度をさせます。やがて久蔵が戻りますってえと、着替えをさせ、十両の金を持たせまして、先ずはお玉が池の先生のところへ、先生がお茶屋ィ行って話しますってえと、三浦屋へ聞き合わしてくれた。と、客がいま何かの都合で急に帰ったんで、花魁があいているという。
 早々に茶屋を引き上げまして三浦屋に送りこまれます。玄関には三浦屋の主人、四郎左衛門が出迎えまして、久蔵は花魁の部屋へ通される。先生の方は、ここまで来れば用はございません、お茶屋に引き返えす。
 ただきょときょと見廻しているだけで、ぽオ。となっちまった。と、番頭新造というものがそこィ入って来まして、
「お大尽、御寝(ぎょし)なりまし」
「ぎょしなりまし? なんです?」
「寝なまし」
「ねなまし? はアはア……どちらイ寝なます?」
「どうぞあれへ」
 見ると、高さ四、五尺はあろうかという絹の夜具が敷いてある。どうやって上ろうかってんで思案にくれておりますってえと、そこへ禿に手を曳かれた高尾が入ってまいりました。
 ここで引付けの盃や煙管のやりとりなどがございます。さて、いよいよお引けってえことになりまして、高尾と久蔵の二人だけとなります。
「主はよう来なんした。今度はいつ来てくんなます?」
 いつ来るかっていわれても、いくら紺屋の職人だって、あさってたァいえません。べそをかいたと思ったら、泣き出した。驚いたのァ高尾太夫。この人ア、四代目とも五代目ともいわれておりますが、高尾を継いだ中でも一番美しく、生まれも良く、才媛で、しかも素直でやさしいという、申し分ない人でございましたそうで、
「どうしなんした? おなかでも痛うざますか」
「へえ、いえ、そうじゃねえんで。今度来られるなア、三年経ってからなんでして、それを思うと」
「三年? なんぞ仔細がありなんすか? わちきに聞かせてくんなまし」
「へえ……実ァあっしァ紺屋の職人でござんして、三年前に花魁を見染めてからってえものは、仕事が手につかねえ、だが花魁にやァ、傍にも寄れねえっていわれたんで、いっそ死んじまおうと思ったら、あっしを今日ここィ連れてきてくれた、お玉が池の先生が、十両金ェ拵えたらきっと逢わしてやるからっていってくれたんで、お恥ずかしいが、あっしァ一年で三両しきゃ取れねえ。だが、花魁に逢えるんならってんで、三年間、ビタ一文使わねえで、ようやく九両溜った。そこイ親方が、よく辛抱したってんで一両くれたんで。親方はそん時、あと三年辛抱したら暖簾分けてやるって、いったんすが、それで溜めたんじゃねえっていったら、じゃア行って来いって。あっしが着物がねえってんで、着物から帯から、親方がまだ履いてねえ履物と、切り立ての褌、それに金入れまで、そっくり貸してくれたんで、こうしてお目にかかることが出来たんす。また来るにゃア三年稼がなくっちゃなりません、いや、稼ぐなア辛抱出来る                   ですが、そのうちにやア花魁がここィ居なくなりャ二度とお眼にかかれねえ、それを思うと悲しくってつい泣いてしめェやした」
 これを聞きました高尾、源平藤橘……四姓の人と枕をかわすいやしい身というのに、三年も想いつめてくれる情の深さに涙しまして、こういう実のある人につれ添っていたなら、生涯見捨てられることはなかろうと、
 「主、それは本当ざますか。わちきは来年の二月十五日に年期があけるんでざます。もし、わちきのようなものでも、女房にしてくださんすなら、主のところへたずねて行きたいんす」
 「へっ? 花魁が? あっしのかみさんに?」
 「拝みんす。どうかわちきを女房にしてくんなまし」
 「あ、ありがとうごぜえやす」
 「それなら、二度とここへ来てはなりんせん。今夜の勘定は、わちきがよいようにしておきまほう。主の持って来なんした十両は、親方の仰言るようにしなさんし」
 その夜は、馴染並みの扱いを受けまして、また逢うまでの形見の品を貰い、大門口まで送って貰いまして、意気鷹揚と店へ帰ってまいりました。
 それからまた真っ黒なって働きますうちに、その年も暮れ、翌年の二月十五日。
 吉兵衛の店先へ新しい四手駕籠がぴたりっと停まって、中から出てまいりましたなァ、髪をしっとりと丸髷に結い上げ、眉は剃ってうっすら青く形だけを残し、お召納戸に黒紋付姿の高尾太夫でございます。
 親方にしとやかに挨拶する口もとには、もう鉄漿をつけまして、
 「これはどうぞ久蔵さまへのおみやげでございます」
 と、花魁の方から持参金。
 ちょうど大伝馬町に手頃な店があるのを見つけた親方は、早速暖簾を分けてやりまして、高尾もまた、久蔵と、仲睦まじく、末長く暮らしたということで、紺屋高尾として後世までその名が残りました。
 まことに人の運命は計り知れないという、紺屋高尾の一席でございます。

2008年9月5日金曜日

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達10

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる と詠んだのは石川啄木、この歌は八戸の蕪島海水浴場だと主張し、世の啄木研究家を揺すぶったのが、共産党元市議の岩織政美氏。
 この人が困った人に手を差し伸べた。元々困民救済を叫んだ無産政党の一つ、公明党も同様、社会の底辺の人々の声を代弁した。岩織市議は右翼が市議会議場にビラを投げ入れた平成五年の事件の前から、この前田氏の困窮ぶりを議会で指摘。
 それは平成三年十二月定例会、この議事録は八戸市のホームページで市議会に入り、記録から参照、詳細検索で岩織市議で出る。かなり突っ込んだ話が見える。
 が、紳士の追及はこの先に伸びなかった。平成四年は岩織氏は、前田問題、言い換えればひばりの里事件について追求していない。故人となられた前田氏から訊く術はないが、この決着を右翼に頼んだのだろう。そして右翼の出番、その街宣車が市役所駐車場にあるのを目撃した岩織氏が、何で中里市長が右翼ごときと市役所で会う必要があるのかと追求。
 これに腹を立てて議場にビラが撒かれた。岩織氏の追及も右翼の行動も、同じ前田氏の救済であったが、手段方法に右翼と紳士の違いがあった。
 結句、右翼はこのひばりの里事件で一億円の現金を得る。前田氏にその一部が渡った話を聞かない。
 この稿で一応、ひばりの里事件を休むが、佐々木の倅が再度刺激してくれれば、佐々木医師がアワジケイコを連れて右翼に街宣車をやめて欲しいと懇願した記録、滝沢章次県議と藤川友信の会話記録、前田氏が平成四年にイトーヨーカドー前で撒いたチラシ、佐々木桂一が台湾女性と結婚すると騙したとして、台湾警察からパスポートを取り上げられ、日本から五千万円送金させ、ようよう帰国できたなどのチラシ等々、存命する関係者からの録取などを公開する。滝沢県議に藤川友信は秘書として雇用されるも、色目を津島雄二に使い、当時、中選挙区制度で、八戸の事務所で働かせて欲しいと、一説では滝沢県議の後援会名簿を持って鞍替え。
 藤川は昭和五十八年の市議選で落ちるが、昭和62年4月26日に2663票で当選、順位は十九番目、経歴には代議士秘書。
昭和63年9月6日に社会福祉法人愛桂会設立

当初前田氏は善光会という社福を作ろうと考える。軽費老人ホームだけにすれば医師免許を持った人物の協力は不要だが、前田氏の構想には中間施設があった。
 これは入院患者が家に戻る前に、中間でリハビリ等介護を受けるもの。これに医師が必要。前田氏が当初予定した医師が断ってきたため、佐々木桂一の出番となった。一年間だけ理事長をさせてくれとの佐々木からの希望を入れたのが間違い。
 どうも自分が考えたものと違うものだと、再度、老人施設を作ろうと計画。前田氏の敷地は広大。その構想に八戸市も五千万円程度の補助が出るはず、それがこじれて岩織氏に追及された。
 ひばりの里事件と発展したのは、前田氏が名目だけの副施設長では自分の構想は実現できないと、土地を担保に金を借りた。それが八戸ガス興業社長の馬渡就氏、担保の土地がひばりの里へ通じる道路面で騒動が起きた。八戸ガス興業はこの土地を封鎖するとひばりの里に通告。ひばりの里へ入れない。これは佐々木桂一も困った。これを追求したのが岩織氏で平成三年の議事録にある。この土地を勿論、馬渡氏はひばりの里に買わせる。(広大な敷地は動画参照)
平成元年11月に中里信男氏が市長就任。ひばりの里の理事を開設当初から平成三年まで勤める。岩織氏に厳しく追及されるもノラリクラリ。この男が建てた箱物行政が今の八戸のガンになっている。
平成二年、津島雄二が厚生大臣就任。
平成三年藤川友信2785票、市議当選、十四番、ひばりの里理事、同12月、中里市長、ひばりの里理事辞任
平成七年、藤川友信、3295票市議当選、五番
平成十一年藤川友信、3605票、市議当選、三番
平成13年11月中里市長辞任
平成十五年、県議選、6140票落選
平成十九年 県議選 落選
これについて、
八戸市会議員藤川ゆり後援会会長で八戸市民オンブスマン副代表の佐々木聡と申します。記事に出ている藤川市議の父、藤川友信は世間で私の事を共産主義者呼ばわりしていますがそれは2回も人の金を使ってビリで落選している彼の無知によるところが大きいです。本当に単純で紅衛兵みたいなもので(笑)
それは2回も人の金を使ってビリで落選
とはどういう意味なのだろうか。藤川友信は現在もひばりの里の役員をしている。倅の知らないところで佐々木桂一とはつながりが深いのだろう。それが世代交代で倅と、優里市議の関係にもつれた。親子二代ともなれば、言うに言えない執念、妄念、怨念があるのか。
 藤川友信の県議落選も、盟友中里信男氏との関係がこじれ、押してくれるはずが中里が立てた人物が当選と、思惑が外れたの評も聞こえる。思惑と越中ふんどしは先から外れるのたとえもある。ひばりの里は昭和63年の資産2億5千万、これが平成20年に13億五千万円に膨れた。増やした側の得意顔、とられた者の泣きっ面。人生は勝者のためにあるのか、いや、そうではなかろう。
 困民救済は政治の仕事、が、それに真剣に加担する、あるいは、加担したのは共産党と公明党だけだ。岩織氏は貧困家庭で育ち、日東化学に勤務、優秀な若者に日東は自前の高校を作り教育。そこで岩織氏は学んだ。そして共産党員として政治に参加。少数だけに堂々の論陣は張れどかなわぬことも多かった、が、氏なかりせば、このひばりの里事件も解明の緒にもつかなかった。やはり、彼は偉大な足跡を残した隠れた人材。

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2008年9月4日木曜日

八戸二十八日町 錦座

ギッシリと詰めかけた一千余の観客がヤンヤの拍手かっさいをもって迎えるうちドン帳がスルスルと上がるや当代最高の人気役者中村吉衛門、大谷友衛門(いずれも先代)らがズラリとキラ星のごとく居並び満揚水をうったように静まり返えるうち吉衛門の澄んだ口上が三階客席まで響いていった。錦座のコケラ落としは有名をはせ、ファンは青森、盛岡からも乗り込んできたものだった。
 綿座というのは現在の東宝映画館の前身で大正十三年の八戸大火後、町内の実業家西村喜助さんの手によって建てられたものだが、その前は明治四十年ごろにできた「当り座」が八戸ただ一つの芝居小屋として、娯楽機関の役目を果たしていた。立ち見席をふくめて千数百人を収容でき、花道、廻り舞台、奈落の設備が完備された綿座は役者たちにも東北最高の劇場とほめられた。錦座がまだ当り座といっていた大正四年の冬、コタツ火の不仕末から当時人気の市川荒次郎一座が火災にあい、このために八人の焼死者を出した。のちに一座は供養興行をうったが大慈寺にはいまも八人の供養塔が残っている。また綿座は集会場のなかった八戸にとってたびたび演説会場などにも使われ無産党の運動家や社会主義者がよく「政談演説大会」と銘うって開いたものだが、弁士が「諸君」といっただけで臨監(りんかん・その場に臨んで、監督・監視をすること)中の巡査が「弁士、中止」とストップをかけて検束したものだった。
 芝居はしょっちゅうかかっていたものではなく、たまに一座が来ようものならたいへんな前宣伝で「顔見せ」と称し、役者巡が先頭にノボリをおし立てて人力車に分乗し、タイコをたたきながら市中をねり歩いたものだが、美男の人気役者に娘たちが瞳を輝かすといった古きよき時代ではあった。
◎ 編集部 当たり座の火事は図書館郷土資料室マイクロフィルム大正四年奥南新報、一月二月に収録
◎ 西村喜助の詳細な資料はイワトクビル社長が所有
本文記録はデーリー東北新聞社刊「町内風土記」から

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達9

平成 5年 9月 定例会-09月14日
岩織政美市議の会議録 最終 
ですから、ゼネコン癒着の問題であっても、仙台市長でああいう不祥事があって、贈収賄事件を問われて、逮捕されて問題になったハザマ以下四社を指名停止処分にしているんじゃないですか。しかし、これは市の発注工事には関係ないですよ、その問題に関する限りは。しかし、市は、建設省なり、各地方自治体の対応を見て市もそういう対応をとった。この限りでは正しい。しかし、これは、信用度の問題について言えば、市の発注工事には関係ない。しかし、これは信用度を著しく損ねた行為でしょう。ですから、指名停止処分をしたでしょう。なぜ小幡建設に対しては同じような判断対応ができないんですか。そこには何かできないという具体的な根拠はありますか。それを述べていただきたい。 とりあえず以上についてお願いします。
市長(中里信男君)
(前略)それから、ひばりの里の理事として、これは先ほども申し上げたんですが、市長就任と同時に辞任をいたしたいという旨を申し入れて、わかりましたと、こういうことを言われておるわけです。ところが、事務手続上に相手側の方でおくれたということがあって、途中で申しわけないということも言っておったんですが、そういうことでおくれたということで、私は、その辞任を申し入れて、わかりましたということで辞任しておるものだ、このような判断をいたしております。 それから、その小幡建設と、ひばりの里の受注、発注の関係、これには全く私は参画もしていないし、わからないわけであります。そういう中で、その受注者と発注者の中で、三千万円がどうしたこうしたと、それで差し押さえをかけたというような事情等については、これは申し上げられる何ものも持っていないのでございます。それぞれの立場でお話し合いがなされたものでしょうと思っております。 そういうようなことからいたしまして、私は補助金の計上についても、地元に長年願ってまいりましたケアハウス実現のために成功してもらいたい。こういう市の重点施策にも入っておるわけでございますから、それを進めてまいった、こういう経緯でございます。 あとは部長の方からお答えします。
財政部長(村手聡君)信用度という点について御答弁申し上げます。 先ほどの答弁の中で、市の事業ということで信用度を図るということを申し上げたわけでございますけれども、これは、いわゆる事実関係について、市にとって判明しているもので判断するということでございます。 贈収賄事件につきましては、市の公共工事の発注に対して非常に影響があるものでございますから、ハザマ等四社につきましては、指名停止処分ということをさせていただいておるわけでございますけれども、これにつきましては、当事者間の債権債務の問題でございます。そしてまた、公判中であり、また第一審でも小幡建設は勝訴しているところでございます。事実関係が非常にはっきりしない状況でございまして、それによって信用度を図るということは、なかなか難しいことだというふうに理解しております。
三十四番(岩織政美君)あとわずかですね。 今の再答弁で、さらにまた指摘しなければなりません。ほかにもあるんですが、そちらはもうカットしまして──市長、平成三年十一月まで就任したことについて、私は辞任を申し入れしてあったが、事務手続上のおくれで平成三年十一月まで時間が延びた、こういう答弁ですね。そこで新たな疑問は、正規の法人組織、理事会は必ず理事会の議事録を県に出すんです。そこには必ず理事の全員の連署、署名があるでしょう、捺印があるでしょう。恐らくこの時点では、辞任までは市長の判こが使われているはずなんですよ。使われていないと市長は首を振る。問題は、事実はほとんど理事会は開かれていない、こう言わざるを得ないです。ですから、市長は三千万円についても、私は何も知らない。だれも教えないからと言えば、そうでしょう。理事会でこういう問題が全然議題にならないというのはない。 市長、これはもう一点質問しますが、前田勇氏の理事解任の理事会の議決には、市長は理事としてどのようにかかわったんですか。これを答弁してください。 前田勇氏が解任された根拠は三つありまして、一つは忠実義務違反、これはケアハウスを設置した行動が勝手なものだから、けしからぬということです。私は、これは根拠は薄いと思います。次、背任行為、三千万円問題、全く個人間の問題を法人組織に責任をかぶせようとしたから背任行為だ。私はこれも間違っていると思う。唯一、前田勇氏が失点として指摘されて抗議できないのは、さきの議会で私が取り上げた、ひばりの里通路封鎖問題です。これについて前田勇氏は、みずから八戸ガス興業の馬渡就氏に同意を与えたために、この責任を問われた。私は、これはやむを得ないことだと思う。申し開きのできない、ただ一つの例だと思う。しかし、他の二項目について、これは正当な根拠とは言えない理由で、副施設長を解職され、理事を解任されているんです。そして九万平米の土地を失う。一切の収入源を絶たれ、すべての財産を失って、数千万円の借金を背負って生活に苦しんでいるのが、今の前田勇氏の実態なんですよ。その直後のきっかけは、今言ったように、ひばりの里理事会の解職、解任決議なんです。それに当時市長がまだ在任中ですから、どういう会話でしたか。大事なことです。それを一つお願いします。 それから、財政部長が答弁したから財政部長に聞かなきゃならないんですが、事実関係が判明しているものについてだけ判断しておる。信用度の問題について、小幡の問題については事実関係が判明していないからという、暗にそういうことになるわけですね。今一回で答弁が終わるからやむを得ないんですが、財政部長、私の質問を受けて、どういう調査、どこまでどのように突っ込んで調査しましたか。小幡建設、当事者の前田勇氏、両方から事情聴取しましたか。それとも、それはやらないで、どうせ岩織議員の言うのは、適当にあしらっていればよい。これは、事実関係はわからないから、裁判で係争中の問題はどうにでもなる。そういう判断でおさめたんじゃないですか。もう一度答弁してください。これでもう時間はないですね、終わりですね。 以上です。
市長(中里信男君)理事会の件でございますが、先ほど申し上げたように、市長就任と同時に辞意を表明し、それを了解しておるわけですから、当然私に理事会の案内が来るわけがございません。したがいまして、前田勇氏を解任の件について判こを押している事実はございません。そういう経過でございます。
財政部長(村手聡君)信用度のお話でございますけれども、小幡建設の問題でございますが、ただいま裁判、係争中の事犯でございます。それにつきましては、裁判の判断があった時点で判断しようというふうに考えておる次第でございます。

2008年9月3日水曜日

小中野常現寺に来たおいらん道中解説三遊亭圓生噺

三遊亭圓生 って落語家がいた。博学な人。六歳で義太夫語り、十歳で噺家になった。自分が自分がという性格が災いし、落語協会の長に選ばれないことに腹を立て脱退、弟子の円楽が忠義を尽くし共に出て苦労。寄席が呼ばないので自前の寄席を造り、借金を抱え込んで心労。日本人の良さを示した。その圓生の博学から、花魁道中を拾う。
吉原にあるいろいろな慣習というのは花魁の道中でございます。現在は錦絵とかあるいは歌舞伎で見るよりほかにいたしかたがございませんが、髪を立兵庫、あるいは横兵庫という、それへかんざしを後光のようにさしまして、金糸銀糸で縫いをとったしかけをはおり、黒塗りの高い三歯のぽっくりで、内外八文字という::おっそろしくどうも複雑な歩き方をして、両側のお茶屋ではこれに合わして、清掻(すががき・江戸吉原で、遊女が張見世はりみせに出る時に弾く三味線の曲。見世清掻)という三味線を弾きまして花魁道中をするという。これがもう、仲の町張りといって、吉原では最上等の花魁でございます。それからここでは廓の言葉というものを皆つかいます。これを一名まほう言葉ともいう……。「ああしまほう」「こうしまほう」。あるいは「そうでありんす」「そうざんす」「そうざます」なんという……。どういうわけでそんな言葉を使ったのかというと、吉原の花魁が残らず江戸子というわけにはそれアいきませんよ。何しろ三千人という数の中ですから、丹波の国のへっころ谷なんというところから花魁が出てくる…どうもその、訛りがとび出しては具合が悪い。これをかくすために廓の言葉を用いました。
「ぬしは酔いなんしたによって、もう寝なまし」
 なんてえと、たいへん色っぽくなる。
 「駄目だよ、お前。酒べえくん飲んで、俺アまだまわすあるだでよ、眼玉くッ潰してくン寝ろよ、この野郎」
 なんて、どうも花魁から「この野郎」なんて言われては色気もなんにもない。そこでああいう言葉を考えたんでしょうが…。
 『吉原細見』というのがありまして、これは吉原の案内記でございましょうね。何という楼にはこれこれの名前の遊女がいるという事を明細に記してある。年は何歳とか、前科何犯とか…
それから名前のあたまンところへ印がついている。山型とかあるいは星とか、いろいろあります。
あれは花魁の位取りだそうです。入り山型に二つ星というのが、これはもう最上等の花魁……そういうのが申し上げたような花魁道中をいたします。
 さてそういう花魁がいくらぐらいで買えたのかというと、まア時代によりまして物価はいろいろ違いますが、玉代というものが昼三といいますから、昼間だけで三分とられたといいます。三分というのは一両の四分の三、これア高いものです。そういう花魁には、みな新造というものがつきます。新造というのは花魁の候補生みたいなもので禿(かむろ)だちといいます。
ま、禿になるのは十歳ぐらいの年からでしょう。十六くらいになると年頃になってきたというので、これから新造というものになる。いろいろ花魁の教養をつんでもうこれならばという見定めがつきますと、器量のいいのを花魁に仕立てる。もちろんこれは、名だたる花魁の妹分というので後見役になりまして突き出しというので太夫になる……。ですからそのいい花魁にはみんな新造がついている。これも振袖新造、留袖新造、番頭新造とありました。
(新造・しんぞう、しんぞ共・遊里で、「おいらん」と呼ばれる姉女郎に付属する若い遊女の称。出世して座敷持・部屋持となるものもあり、新造のまま終るものもあった)
振袖新造・江戸時代、禿かぶろから新造に出てまだ部屋持とならず、振袖を着ている若い遊女
番頭新造・江戸新吉原の遊郭で、上位の遊女の諸事世話をする新造の位の女郎。普通の年若い新造とは違って、世事に長じた年輩の女郎

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達8

平成 5年 9月 定例会-09月14日
岩織政美市議の会議録 続続
中里市長答弁続
次に、O建設の信用度について、これは、市の指名業者である小幡建設工業株式会社の信用度はどのようなものか。また指名業者として適格か、こういう内容でありました。 小幡建設工業株式会社の受注施行状況は、平成三年度におきまして、八戸新都市下水道築造工事五工区でございます。第十処理分区下水道築造工事三工区、南部山公園コミュニティ施設排水設備工事、下長二丁目地内下水道築造工事一工区です。平成四年度は、類家三丁目下水道築造工事二工区、日計ヶ丘小学校排水管布設工事二工区、田面木都市下水路築造工事三工区、旭ケ丘団地市営住宅第二種耐火三階建て本棟建築工事等を受注しております。このいずれの工事においても適正に施行されており、指名業者として適格性を欠くものとは認識していないところでございます。 以上です。
三十四番(岩織政美君)
(前略)ひばりの里問題で再質問します。 今の市長の答弁で、市長の言ったことが、そのまま私のメモで間違っていなければ──一つは、市長は平成三年十一月に辞任した、述べたと私はメモしました。もしこれが、このとおりであれば、満二年間、在任したことになるわけですね。この平成三年十一月、このとおりであればですよ、市長──この間に起きた問題と市長は一体どういうかかわりが出てくるのかということになるわけです。あくまで理事としての中里信男です。 小幡建設がケアハウス予定地を仮差し押さえ命令を出させたのが、平成三年八月二十七日です。そして同日──これも私の疑問になるわけですが、全く同じ八月二十七日に内容証明付の三千万円返済催告書を初めて前田勇氏に送っているんです。この時間的な経過を考えれば、私は、先に仮差し押さえの手続をしてから内容証明を送っただろうと見ざるを得ないんです。事実は違うかもわかりませんが、一歩下がっても全く同じ時間に、こういうことをしている。ということは、内容証明で送ったというのは、この手始めですから、それまでは、小幡建設はそこまで考えておらなかったんです。私はそう推察する。 しかし、先ほど言ったように、大手ゼネコンのT建設が入ってきて、当初ケアハウスの本棟工事を請け負うだろうと思っておったら、それができなくなったということで、それであれば重ねての三千万円の問題がふいになるということで、急遽予定地の仮差し押さえ設定の手続をした。しかし、それだけではだめなので、催促したという事実がなければならないんですから、内容証明の返済催告を前田勇氏に送った。そこで、その書類を同時につくった、私は、こう見る。こういうことがあるわけですが、一つは、先ほど来言ったように、市長が平成三年十一月まで在任であれば、当然このときも理事であったわけです。そうすれば、私は、その前にやめておったんじゃないかというふうに今の時点まで思っておったわけですから、もし平成三年十一月末まで在任したとあれば、市長は二つの意味で責任があったわけです。 議会に対して四千百十万円の補助金を提案して、議決させておって、それが壊れる事態になって、市長の先ほどの答弁では、行政は個人の借金問題については関与することはないから、何もしませんでしたという答弁が一つ、私はこれは間違っていると思いますが、まずそれが一つ。もう一つは、理事中里信男として、これは、なぜ私はここで言うかと言えば、この三千万円に絡む仮差し押さえに至った責任を前田勇氏は問われて、理事解任、解職になっているんですから、当然理事である中里信男個人も、その理事会の検討にあずかっていたことになるんです。どうして仮差し押さえになったのか。もちろんそれは、ひばりの里以降ではないですよ。以降ではないけれども、しかし、そのことが理事の一メンバーである前田勇氏がやったことについて、理事会が後で責任をとっているわけですから、それに対して、理事に在任であれば、当然それについて一理事として意見を述べる機会はあったことになるわけです。このことについて、市長はどう思うのか。 行政として介入をすべきではないと判断した。これについて述べます。 これは、県の秋田谷当時生活福祉部長の対応と違うんです、市長。議事録で示します。当時、この問題があった日、平成三年の、差し押さえが市から報告を受けた後の県の所管の常任委員会、野沢剛委員がこの問題を触れて、取り上げているんです。その中で、秋田谷生活福祉部長は、こう述べている。前段は省略しますが、「新聞の報道にもあるとおり、建設予定地が仮差し押さえ処分になっているが、このことは、最近に至り、市の報告によりわかり、直ちに法人設立代表者に仮差し押さえ処分の解除について指導しているが」、こうあるんです。もちろんこれは前田勇氏のことを指していると思うんですが、県は、このように指導しているんですよ。しかし、市は関与すべきじゃないということで何もしなかった。私は、これは正しくないと言わざるを得ない。 重ねて私の見解を述べるならば、四千百十万円を議会が信頼して議決したんですよ。ケアハウスができる、いいことだろうということで。しかし、仮差し押さえという事実を突きつけられて、これは空中分解する。市長、補正予算をそんなに軽々に議会に出して、はい、失敗したから引っ込めますということをするべきなんですか。私は、そうじゃないと思うんです。 名誉市民の提案の問題もそうです。突如提案して、思うようにいかなければ引っ込めて撤回する。私は、いいかげんなやり方だと言われても、仕方がないんじゃないかと思いますよ。四千百十万円を議会が議決したということは、理事者の対応を信頼して、理解して受けとめて、それを認めたわけです。私も賛成したんです。 しかし、それが予測しない不祥の事態になって使えなくなったから、返上になりました。これは、年度末の決算でそうなったわけでしょう。なぜ四千百十万円を一たん計上して議決したものが、無為になるのかということについて、市長は責任を持って議会に答弁しなきゃならないんですよ。そうじゃないですか。そうすれば、そういう事態を回避するために理事者として全面的に全力を注いで、打開のために努力すべきじゃないですか。市が補助金を出していない、全く民間の工事であれば別ですよ。国、県にあわせて、市が応分の補助金を設定したんですから。それが壊れても、市は知らぬ。四千百十万円使えなくなったから、これは返上させていただきます。私は、ここにも中里市政のやり方のまずさがあると思うんです。一面で言えば、市民に対して、不十分な行政の対応をしている。議会に対しても不十分な提案をして、不十分な経緯でもって責任逃れをするんじゃないか。どうして県が指導しておるという立場をとっているとき、市ができないんですか。このことについてももう一度答弁を願います。 それからもう一点、信用度の問題です。市長が今述べた信用度は、あくまで市が発注させた工事のできばえについての信用度だけで終わりました。それ以外のことは触れません。しかし、信用度というのはそんなものですか、業者の信用度は。私は、そういうものだということは、今までうかがったことはありません。市の発注工事であろうと、民間の工事であろうと、健全な業務を遂行しているということが前提になっているんじゃないですか。

2008年9月2日火曜日

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達7

平成 5年 9月 定例会-09月14日
岩織政美市議の会議録 続
第四点、O建設の信用度について。 八戸市の請負工事等の競争入札参加者の資格に関する規則の第八条、指名競争入札の参加資格者の規定では、第一に信用度を掲げ、これに留意して指名しなければならないとしております。ひばりの里問題から是川ケアハウス問題に関して、直接業者としてかかわってきた小幡建設は、六月定例議会でも触れたように、三千万円の貸借問題で前田勇氏を訴訟に持ち込み、八戸地裁での第一審判決では、前田勇氏が破れ、なお、係争中であります。 詳細に述べる時間はありませんが、前田氏の抗弁内容は別として、第一審法廷での小幡建設社長の陳述記録を客観的に受けとめてみて、その内容と経過について事実に基づかないと思われる表現、明らかに事実を曲げている表現、不自然な対応と思われる表現があり、訴訟争点の一つである、ひばりの里建築工事代金四億九千八百万円の見積もり根拠に重大な虚偽があるのではないかと思われるのであります。 例えば平成四年十二月七日付、小幡正宣本人調書で、裁判官の質問に、こう答えています。「本件工事代金の最初の見積もり額は五億円近い金額で、それよりも安いということはありませんでした。それに対して、愛桂会から高いのでまけるようにと言われたので、二千万円近い値引きをして四億七千万円前後になりました。ところが、現地に行ってみたら他の業者の行った基礎工事が不十分で、くい打ち等の工事が必要だったので見積もりをし直しました。そうして出た金額が四億九千八百万円です」。 このわずか六行の陳述に対して指摘しなければならない点は、第一に、前田勇氏が当初小幡建設と話し合った工事費は四億五千万円であって、五億円という金額ではなかったこと。第二に、小幡建設が、ひばりの里建設に関して前田勇氏に貸した三千万円の返済見込みが明確でない中で、法人組織が善光会から愛桂会にかわったとしても、施設運営当事者となる愛桂会に対して三千万円の返済問題について全く話し合うことなく、二千万円近い値引きだけを承諾しているという理解できないやりとりであること。第三に、直接増額の根拠となっているところの「現地に行ってみたら他の業者の行った基礎工事が不十分で」云々について、まず、ここで言う他の業者とはだれのことか。造成工事を施行した業者は二名であるが、基礎工事ではないし、小幡建設から造成工事の仕上がりについて、当時何らの問い合わせもなかったことは明らかである。基礎工事を施行した他の業者とは存在しないと言わざるを得ないのである。次に、現地に行ってみたら地盤の軟弱さがわかったので、くい打ちが必要で、見積もり直しをしたということは、当初の見積書を作成するに際して、現地を知らないままに積算をしたということになります。 岩沢測量の作成した当該地の図面が手渡されてあり、それを見れば造成工事後の仕様が明白であります。その図面によれば、傾斜面を切り土と盛り土で平地にしたもので、盛り土面積は、ひばりの里建屋の半分を占めるほどの割合であることが明らかであり、これを知らずに工事見積書を作成したとすれば、全く理解のできない、ずさんな見積もりと言わねばなりませんし、業者たる資格を問われます。逆に、承知していて作成したとすれば、この陳述は虚偽の陳述であり、重大な責任が生じてまいります。 他の陳述でも、事実をわざと曲げているところもありますが、それは割愛するとして、この三千万円に関して、四億五千万円の工事代金に含まれるという覚書も、領収証も存在しないままに返済を迫られた前田勇氏は、次に是川ケアハウス建設を具体化する中で、再度小幡建設に発注して三千万円の返済を解決しようとしたところ、横からゼネコンのT建設が介入し、小幡建設が除かれる事態となったために、小幡建設が仮差し押さえを行い、是川ケアハウスの挫折に至らしめたのであります。 これらの経過を見るとき、多額の借金とともに、ひばりの里用地と合わせて、合計九万八百七十平米の土地全部を失う羽目に追いやられた一市民、前田勇氏の苦境に対して、これに大きくかかわり、事実に基づかない法廷陳述で糊塗しようとする小幡建設のあり方は、当市の指名競争入札参加資格の信用度を著しく損なっているものと指摘せざるを得ません。よって、同業者の指名入札参加について、しかるべき措置をとることを求めるものでありますが、市長の見解はいかがでありますか、明快な答弁を求めます。 以上で質問を終わります。 〔三十四番岩織政美君降壇〕(拍手)
市長(中里信男 君)岩織議員にお答えを申し上げます。(中略)
次に、ひばりの里問題でございます。市長の理事就任、辞任の経過、だれからどのように勧められ、就任したのか。また辞任の経過はどうか、こういうことであります。 要介護老人の家庭復帰を支援する中間施設である老人保健施設を設置したいとして、当時の社会福祉法人愛桂会の理事長佐々木先生、副理事長前田勇氏から理事就任の懇請がありました。そこで、老健施設は、お年寄りの面倒を見てくれるありがたい施設でございますので、私で何か役立つことでもあればという心境で、六十三年八月、理事をお受けいたしました。その後、平成元年十一月、市長就任に伴いまして、その時点で、私のこれまで関係してきた各種団体、会社等の役員をすべて辞任したい旨の意思をそれぞれに要請をいたしました。法人愛桂会理事辞任も同様でありましたが、法人側の事務手続が遅延し、書類上は平成三年十月の辞任となったものであります。 なお、その間、二度にわたり、ひばりの里の事務長より手続が遅延しておって申しわけない旨の釈明も受けておりました。 次に、是川ケアハウス問題での市の対応について、助役等を出張させて直接国に働きかけさせるに至ったその理由、経過及びそのときの厚生大臣の対応はどうであったか。また、地元小幡建設の仮差し押さえが判明したケアハウス計画が挫折することが明白になった時点で、小幡建設に対して打開のための努力を市として行ったのかどうか、こういう内容でございました。 助役の出張につきましては、平成三年十二月定例議会の一般質問で私から、また決算特別委員会で関係部長等から岩織議員にいろいろ御答弁申し上げているところであります。ケアハウスは、長年にわたり、市民待望の施設であることから、その実現を図るため、重点事業に取り上げている特別養護老人ホームの整備、長生園改築にあわせて、助役、福祉課長を上京させ、厚生省大臣官房老人保健福祉部長に会って陳情させたところでございます。 小幡建設の仮差し押さえについては、当事者間の債権債務の問題でございまして、行政が関与すべきことではないと理解をいたしております。したがいまして、関与いたしませんでした。 次に、右翼問題でございます。六月定例会で傍聴人から背任横領という言葉が発せられたが、その後、市長はどのように対応したのかという内容でございました。 市政を論ずる神聖な議場内において、傍聴人からあのような暴言が発せられたことについては、お互いの名誉にかかわることでもありまして、強い義憤を覚えたところであります。検討の上、しかるべく対応してまいりたいと答弁いたしたところでありました。手段として名誉棄損の告訴も考えられましたが、あのような多人数で騒然たる中、事実無根の暴言を発した相手を正確に特定することは困難なこともありましたが、議場の秩序を乱し、会議を妨害し、事実無根の暴言を吐いたことは、警察当局も事実関係を知っており、傍聴人の一人を逮捕に踏み切り、送検されたという経緯がありましたので、私は告訴することを見合わせてまいったのであります。そして六月定例会最終日に閉会のあいさつの中で、議会並びに本職を冒涜し、市民の皆様に不安を与えたことは、まことに遺憾である旨を表明したところであります。 さらに右翼問題につきまして、右翼が選挙に向けて来るというんだが、それを来ないようにするために金で解決しておるのではないか。二億円にも及ぶと聞いておるというニュアンスの御発言であります。(「そうは言っていません」と呼ぶ者あり)もしそう言うておりませんでしたら、二億円という話も出ましたし、私は、一切そのことには関知いたしておりません。そう申し上げておきます。 続

2008年9月1日月曜日

藤川優里市議のよわった、困った、日和下駄のオンブズ達6

平成 5年 9月 定例会-09月14日
三十四番(岩織政美 君)一九九三年九月定例議会に当たり、日本共産党議員団を代表して質問を行います。(中略)
最後に、ひばりの里等問題について質問します。 さきの六月定例議会において右翼団体の街宣行動と議会妨害が大きく注目されたのでありますが、そのとき問題とされたのが、ひばりの里問題であったのであります。これに関連して、私は中里市長に対して、ひばりの里の元理事としての「中里信男個人ならいざ知らず」と述べ、公職である市長と個人の立場の違いについて触れたところであり、今回は、改めて元理事としての経緯について質問いたします。 御承知のごとく、ひばりの里は、元来、前田勇氏が、みずから福祉施設をつくり、老人福祉事業の一環として社会に寄与したいとの発起により、計画を進めたものであり、善光会という社会福祉法人組織も内定し、メンバーも確定して県の内示も受けてあり、その一員としては、元八戸市民生部長であった故品田裕教氏も加わっておったのであります。ところが、佐々木泌尿器科院長の理事長就任が内定するに伴い、愛桂会なる名称に変更され、理事メンバーもほとんどかえられ、前田勇氏が副施設長・理事という実権の伴わない役職につけられ、その後、解職、解任させられたのであります。 この新たな法人組織、愛桂会の理事として、中里市長あなたも当初から一定期間、就任していたのでありますが、その就任に至る経過及び市長当選後に辞任するまでの経過について、まず明らかにしていただきたい。 第二点、是川ケアハウス問題での市の対応であります。これに関しては、平成二年十二月定例議会と同決算特別委員会で取り上げてきたのでありますが、改めて触れてまいります。 ひばりの里が実現しながら、みずから実権の伴わない一理事としての立場に置かれ、悩みながらも当初から描いていた福祉総合施設構想の一つである軽費老人ホーム、これには薬草園、農園、花壇、ゲートボール場なども付随して考えられていたものの、具体化に着手し、是川ケアハウスとして申請手続を進め、厚生省の補助対象として決定され、市の補助金四千百十万円も平成三年九月補正で議決されるという状況にまで進んでおったところ、巷間に政治家、企業などの疑惑を指摘する文書が配布されたのであります。そして私の調査により、ケアハウス設立予定地に仮差し押さえが設定されていること、過少面積に分割登記されていることが判明、これによりケアハウス建設が不可能となったことは既に各位御承知のとおりであります。 このケアハウス建設をめぐる一連の経過の中で、市が直接かかわったのは県への書類手続等でありますが、それ以上に大きい動きであったのは、平成二年八月二十七日と二十八日に、須藤助役が市担当課長を連れて、当時の津島雄二厚生大臣を訪ね、是川ケアハウスの計画承認を直接要請し、内諾を得てきたこと。さらにその結果を持って、是川ケアハウスの立地に渋っていた県当局に対して、強く採択を迫ってきたという事実であります。そのとき、市内の他団体から同様にケアハウス建設の要望と陳情が出され、競合していたことは御承知のとおりであります。 そこで質問ですが、市長が須藤助役らを出張させて直接国に働きかけをさせるに至った、その理由と経過はいかなるものであったのか。そのときの厚生大臣の対応も含めて明確に示していただきたい。 また、地元小幡建設の仮差し押さえが判明し、ケアハウス計画が挫折することが明白となった時点で、佐々木泌尿器科院長とも親しいと言われている小幡建設に対して、打開のための努力を市として行ったのかどうか。それとも全く打開の努力をしなかったのかどうか、これも明確に示していただきたい。 第三点、右翼問題と市長の対応であります。 六月定例議会の折、不当な行政介入を行い、議会審議の妨害行為を行った右翼団体天聲連合会は秋にも来ると言っていたのでありますが、目下のところ、その動きは見えないままであります。 当時、中里市長は議会傍聴席にいた右翼集団から、背任横領罪だという言葉を投げつけられ、これに関する私の質問に対して、背任横領──「これは名誉にもかかわる問題でございます。したがいまして、このことについては当局ともいろいろ詰めてまいりたい。その上で対応してまいりたい、こう考えております」と答弁しておりました。 十月市長選を前にして、この九月定例議会は中里市長にとり、最も重要な議会の一つであろうと思われますが、目下、右翼団体が見えていないということは、何らかの和解、妥協の交渉でもあったのかと推測されるところであります。そして、これは中里市長が御存じかどうか。私に聞こえていることは、ひばりの里問題に関して、攻撃の対象とされてきた当事者と右翼集団の間で、金銭を介在させての和解のための話し合いがなされているということ、その金額も二億円程度から三億円と言われ、その間に某政治家も関与しているということであります。このことが事実かどうか確定できませんが、私なりの複数の情報では一致しておりますので、根拠のない話ではなかろうし、現に右翼団体の行動が静まっていることは、そのことを裏書きしているのであろうとも推察されます。 さて、その当事者間の話し合いはそれとして、中里市長みずから右翼のビラに名を挙げられ、背任横領罪と公の場で叫ばれたことに対するみずからの対応については、その後どのようなものであったのか、改めて示していただきたい。