2009年1月16日金曜日

港湾河川課、その場しのぎの根性ワル

八戸市会議員の親戚の土建屋が残土をあやまって崩し川をふさいだ。その浚渫に288万円を費やした。当然これは土建屋に請求。
 この事故は新聞にも載った。ところが景気後退で土建屋は青息吐息。従業員も減り一人だけでなんとか操業。これを助けろと「はちのへ今昔」は見るにみかねて提言したのは夏ごろ。
 草刈の仕事でも出し、少しづつでも返済してもらえ、そして適当なところで免除してやれ、その努力もせず、ただ、支払い命令書を出しても無い袖は振れない。
 すると、河川課は何と言った? この土建屋は指名業者じゃない。指名業者じゃないと仕事は出せない。「そんなことを言えば288万は戻らない。諸君らも戻す努力をしたかと問われるゾ、払え払えと叫んでも払いたくなく払わないのじゃない、払えないからだ、諸君らは電気を電力会社から止められた経験を持つか?近隣が点いていても自分の家だけ暗い、この貧乏経験を持つから気の毒な者の痛みを分かつべく努力するんだ、経験のない人間には痛みがわからない」
 「はちのへ今昔」はこの土建屋に会ったことも口をきいたこともない。貧乏人の苦衷がわかるからやるのだ。苛められた人間は苛めた者を忘れない。貧乏人の苦労は貧乏をしたことのない人間にはわからないものだ。
 兄だか弟の市議はこうした努力を役所にはいえない。言えば問われるだろう。我田引水と。「はちのへ今昔」は市議でも職員でもない。だから正論を吐く。これが耳に痛いから「はちのへ今昔」は悪く言われる。そんなことをいちいち気にしない。人の口は戸がたてられないとの俚諺もある。
 ところが、水辺の楽校に出した90万円の草刈を調べた。この代表者の動きに不審を抱いているからだ。そして幾つかの不明朗な事態も把握。今回港湾河川課の草刈委託も妙な動きを感じ調査。これは議会の議事録に田名部和義市議が高いとの発言があったことに起因。
 そもそもNPO法人が草刈委託を受けることに疑問を感じ、この法人は指名業者じゃなかろう?と訊いた。
● 指名業者です。ここに指名業者の通知があります。
これに疑問を持ち管財課に行き訊いた。
○指名業者には管財が認定しないとなれないのか
●そんなことはない。この文書にも書いてありますが、担当課でもできます。
○河川課、今管財で訊いて来たが、この指名通知は諸君のところで出したのじゃないか、なら、雪かきをこの土建屋に出してやれ、前に話しをした時は夏で草刈、今は冬で雪かきだ。出してやれ、助けてやれ。
●そんなことを言ってもモット困っている業者もいる。
○何処の誰だ、モット困っている業者は、それも助けるから言え
●黙る。
口先だけで「はちのへ今昔」を凹まそうとするな、週刊誌のような聞いた風を言うな。現実だけを直視しろ、解決しなければ288万の市民の金は戻らない。それも担当課がぼんやりしているからだ、税の滞納ならプロの収納課が動く、が、これは税じゃない、代執行の金だ、担当課がやる以外にない。これが世の中の仕組みだ。それをいいかげんにするは許せない。課長を呼べ。
 国から来た課長に厳重に申し入れ。夏にも課長を呼び出して同様なことを言った。月日だけ経過し何もならなかった。土建屋に指名通知を出し(これも形式主義)雪かきをさせ幾らか納入してもらわない限り決着はつかない。
 自分たちの都合のいいことには悪知恵は働かせるが、困窮者となると洟もひっかけないでは弱った者はますます困る。弱者救済、貧困絶滅が「はちのへ今昔」の魂だ。わかったか河川課。