2009年1月28日水曜日

断水で判明した八戸市役所職員足軽以下2

一旦緩急あればおっとり刀で城に駆けつけるは武士の習い。ところが来なかった。それも部長級ですら。太平楽を決め込んで餅にキナコでもつけて食っていたのだろう。
 そもそも大将は床几に腰掛け動かない。これが大将の仕事、武田信玄は謙信の刃を座って受けるがそれだ。大将は言葉を発せずとも副将がそれをする。ところが八戸市の副市長は一人は年寄り、一人はヘナヘナじゃ、大将自らが動かずばなるまい。そのための副市長だが彼らは己が仕事を弁えていない。
 部長級に招集をかける。取水管の取替えに時間がかかることは判明している。給水は水道企業団に任せると防災計画にはあるが、肝心の水道企業団が機能していないのだから、断水していない水路の消火栓を開かせ、断水地区への給水をしなければならない。
 部によっては高齢者、障害者、外国人への断水の知らせ、給水場の案内、水の運搬などを敏速にしなければならない。乳幼児を抱える家庭にも搬送しなければならない。
 これらの命令を誰が出すのかも不明だ。防災室の課員は全員が出勤しなかった。産休一年経過の婦人、青森県から派遣された職員の出動を室長は命じなかった。これは怠慢。緊急用員として雇用しているのが防災室勤務者。その大事な力を発揮する場に、緊急全員集合をかけられない室長では情けない。
 副市長のする仕事は先ず弱者救済。水道復旧は市長に委ね副市長は給水に専念しなければならない。水道企業団は非常用にガンジャの水のペットボトルを三千本所有。この水は他県の非常用として二千本送付された実績を持つ。
 ところが水道企業団のボケはこの水を一本も市民に供給しなかった。他県の痛みを知り送るはすれど、八戸市民の痛みは屁ほどにしか感じていない。これは馬鹿野郎といわれても仕方がなかろう。水道企業団の職員はワンサワンサと白山台のお山に寄せても知恵がない知恵が。
 水道企業団のボケに知恵がなくとも八戸市の副市長二人に知恵があればいいが、これらも同様の腑抜けだ。肝心の指令、命令ができない。
 さて、ペットボトルの水に二人のお飾り副市長が気付かずとも市役所の幹部、つまり部長が気付けばいいが、もともと水道企業団は他団体の意識だから、汗も知恵も出そうとも思わない。そうした奴等よ。
 これは水道企業団が悪い。総務課長も水道企業団は他団体だからと平然。だから水道部を自分たちの所有だと主張。この話は昨年来、いやっと言う程書いてくれたが、毛ほども感じていない奴ばら。だからこうした咎めが出る。自分の主張ばかりして義務を果たさぬから言われるのだ。給与を三割削減しろ。それだけの働きをしていないのだから。
 副市長も、部長も気付かなくとも防災室長が気付くべき。その理由は防災室は防災倉庫を根城に持ち、千食の非常食と米を持つが水は持たない。水は水道企業団に頼っているから。が、非常食管理人としては水のペットボトル活用に思いが至らなければ何のための防災室か。
 この歯止めも利かなかった。そして一本の水も市民の手に渡ることはなかった。
 市民一人当たり三㍑を確保せよ、それを七日分と防災計画書に記載あり。されど三千本ではどうにもならん。規定通りなら525万本が必要だが、水道企業団は五百人分、それも一日だけしか準備していない。これは防災計画無視。
 自分たちの給料を貰うことは決して忘れない。が、市民のことは片隅にもない。これが役人の現状だ。それを嘆くは愚かだ。彼らはそうした人種なのだ。人の痛みは百年我慢できるが、自分の痛みは一日でも我慢できな手合い。
 こうした馬鹿さ加減に我々市民はもっと眼を向けなければならない。奴等はあてにならない。あてにならない奴等をあてにするには、働かせることだ。市民が監視するなかで愚行をさせないことだ。今回の人災断水の顛末を見届けることだ、通水したから良いではダメ。通水は当然のこと、何で断水したのか、その後の処理は正しかったのかの検証なくしては再発するぞ。
 ところが防災室はその検証がいまだに出来ていない。今回の事故で幸いだったのはボケ部長でも課長でもない、係長級で自発的に出勤した者たちがいた。
 これらがインターネットを利用し情報を発信するも、限定的。防災室はホットスルメール利用者4000人に情報送達、これが効いて一月には加入が千件あったそうだ。
 が、高齢者、障害者に情報は正しく伝わったのか? 東奥日報が書いた。外国人に情報が伝わらなかったと。それはそうだ、国際交流、男女参画課は一人も出てこなかったのだ。
 自発的に出る者もいる。知ってても来ない奴ばらもいる。一人一人の資質なのだ。言われて嫌々する者、言われずとも自発的に出る者、この差は大きい。嫌々するなら役人お辞めよ。
 続く