2009年1月29日木曜日

断水で判明した八戸市役所職員足軽以下3

八戸には市会議員が36人いる。これらが断水でペットボトル一本、耳の聞こえない人、眼のみえない人、高齢者独居老人の家に運んだのか。
 選挙の時は誰でもお願いしますだ。お願いした以上、それに応えなければならない。健常者はよいとしても障害者、高齢者は給水場から水を自宅に運ぶも大変。それは誰が考えても同じだ。一般市民は何処に高齢者がいる、障害者がいるのかを知らない。
 知るのは役所だ。その役所を意のままに動かすは市長の仕事であり議員の仕事だ。議員は担当課長に水を運びたいので住所を知らせろといえる。個人情報うんぬんと役人はぬかすが、非常時は超法規だ。難儀をする人間を助けるのが市議の仕事だ。
 この議員に情報を提供する課がある。それが貧弱な座布団バッチを偉そうに胸に付ける議会事務局。ここに15人の職員がいて、何もせずに正月を目いっぱい満喫して登庁だ。これらは人間以下。誰も登庁しなかったは防災室が開示したリストで明々白々。役所の仕事は記録をつけることだから、何でも隠そう見せないはできない仕組みになっている。
 議会事務局は議員全員に携帯電話でメールを同報する仕組みを持っていない。刻々と変化する断水情報を正しく伝える義務はないのか。議員に情報を正しく伝えなければ議会運営はできない。と、同様に非常時の情報伝達手段の構築すら議会事務局は考えていないのだ。己の職分を何と考えるのだ。それらは市長の仕事と考えるのだろうか。タワケ!
 議員が存分に動けるように情報を流すのは防災室の仕事か? そうではあるまい。それは議会事務局の仕事なのだ。日頃、議員に同調しまるで幇間のように駄法螺に相槌を打つのが議会事務局の仕事ではない。もっと真剣に己が仕事の根源を探れ。人生は短い、まして仕事をできる時間は極限られている。さらに、市役所職員の場合は慣れたころに異動だ。
 物事の本質はなにか? 自分の仕事を先達はどうこなしたのか、更に改革、改変ができないかを問われているのだが、議会事務局のボケにはそれが判らぬ。頭数はいてもカボチャばかりだ。時代は変化し同じ時間は二度はない。その機微を感じ機に臨み変に応ずる柔軟な態度がとれるのかが問われるが、今の山内局長には無理。知恵がない。人に感謝する心もない。全てを当たり前だと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかなで、事故、事件への議員伝達方法を講じない。そもそも、電話で連絡する手段もあるが、一人も登庁せずしてどうやってそれが出来る?
 議員は勝手に情報収集せよが議会事務局の仕事か? そうではあるまい。市民一人ひとりは言葉に出さぬが断水時に議員が何をしたかを知っている。何も出来ない議員ばかりなら定数を半分にすることだ。18人でも議会は何も痛痒を感じない。市民のために動けない議員はいらないのだ。
 水道企業団に消防は出向いた。何かあったら電話くださいと帰った。そして消防も消防団もペットボトルを市民に配給しなかった。こいつらも知恵がない。頭は帽子をかぶるところだとしか考えていない。こんな消防長、消防団長でいいのか。機能しないだろう。ペットボトルを議員の一人が考えついたとしても、その運搬をどうするの疑問が出る。
 消防署員の半分を割く、消防団にそれを実施するなどの知恵を誰も持たない、持てないはマズイ。市長にも副市長にも知恵がない、水道企業団は全くない、防災室はペットボトルの存在すら知らないでは弱者はどうすれば救済されるのか。
 神戸のような大地震が発生したとき、消防に専念するのが消防署、人命救助に専念するのが消防団の色分けが出来ているのか? 今回の断水でもポンプ車でも水は搬送できる。しかし、それを実施しなかった。飲料水ではない、便所用に使ってくださいと説明しながら給水もできたはずだ。こんなことは素人の「はちのへ今昔」でも気付くが消防指令は無能ばかりなのか、それともしたくなかったのか?
 市民は信頼している。必ず役所が助けてくれると。しかしながらこれが現状なのだ。高い給料を貰う部長は糞ばかり、会計管理者は市長のそばで応急処置を施す水道企業団職員、あるいは情報伝達に必死な市役所職員に弁当を支給せよと市長に耳うちしたのか。銭の番人は財布の有り高を市長に告げ、職員の士気を鼓舞するために財布の銭を投げ出すのだ。市長からの暖房カイロだ、市長からの弁当だにどれほど勇気が出、そして活力が生まれるだろうか。ところが間抜け金庫番の出納室長はこれまた15人の兵隊を有しながら動かなかった。
 戦をすれば銭がかかるは誰でも知っている。市長は3日、四日の両日を水道企業団に宿泊。それでも出納室は動かない。兵糧を考えるのは誰の仕事だ? 財政部長か? ここも動きが悪かったが、財政の仕事ではあるまい。やはり出納室の仕事だ。つまり市役所は雁首ばかり揃えているが、市長の片腕になる人材に欠けている。
 市長選挙が今年の10月にあるが、四年かけても小林市長は職員から尊敬を得ていないのだろう。市長は演技で泊まりこんだと思っているのだろう。そうかも知らぬ、が、そうであっても職員諸君は市民のために汗を流すべきではなかったのか。
 水道企業団は飲料水の確保、一日3㍑を七日分確保しなければならない。市役所職員は水道企業団の味方でないことははっきりした。それも日頃の水道企業団職員の高慢による。誰を恨むこともない己がいたらぬを悟れ。
 一旦緩急あれば水道企業団だけで処理はできない。市役所の総合力を発揮しなければ処理はできない。マニュアルがと小林市長は叫んでいたが、己が信ずる八戸市役所職員はやる気がない。ごく一部の職員が自発的に出ただけだ。
 今回の断水は正月早々、これが夏場でなくて良かった。物が腐る、不衛生な状態が出現しただろう。小林市長は今回を教訓とし、市役所職員は動かないものと知り、動かす方法を構築することだ。議会事務局も正しい迅速な情報を議員に伝えることだ。さもないと、議員たちから総スカンを食うハメになる。
 平時にヘラヘラしている議員連も、有事の対応如何では失職する立場に追い込まれる。諸君らは市役所の監視員だと思い込んでいるが、市民に監視されているを忘れるな。もっとも議員は半分でいいいは「はちのへ今昔」の主張だ。不用なものはいらないのだ。その他の部署についても苦情を言いたいが今回はこれで一応終りにする。はりきれヨ、市役所職員たち。