2009年2月10日火曜日

市長目玉の協働の町づくりは構想は生かされたのか

行政の力には限りがある。だからこそ地域力を生かし住民のためになろう。これがお題目で小林市長は4年間、公民館を漫遊した。
 公民館と市役所を結ぶ大切な要員として地域担当職員を決定、その数37名。これら職員は行政と市民を結ぶ大事な使命を有する。当然、今回の断水事故にあたっても彼ら地域担当職員に集合命令がかかった。一月二日のことだ。これは三浦ひろし議員の質問に政策部長の高島氏がこたえた。しかし、これら職員が全員来たとの話も出ない。疑問に思い、昨二月九日協働の町づくり担当係長に開示を求めた。すると一月二日に協働の町づくりが地域担当職員に登庁を求めたが連絡のついた職員は二十二名、これは電話連絡による。しかしながら十五名については連絡がとれない。
 これらを督励し市内471町内会長宅に電話連絡をしてもらった。すると長根、是川一丁目南、桔梗野八区、多賀台3丁目の4町内は独居老人宅へ水を運んだの情報を得た。その他の地域で水の運搬がなされたかの確認はされていなかった。
 どうしてこの有益情報の収集に力を注がなかったか。これは協働の町づくりの係長の指示の甘さ。つまり、電話連絡をする際に、その地域はどうでしたか?との漠然たる情報収集を目的とした電話連絡手引きを配布したからだ。指令、命令者は現場担当官の後ろで、かれらのやりとりを聞き、次の手をこうずるべく、一挙手一投足を見守るべき。これが軍隊で言えば下士官の仕事、それを士官に伝え、手引きを改変するべきかを問いただす。何故ならば前方敵に異変ありなら、作戦は直ぐ変更しないと命にかかわる。
 市民の命を守るのが市役所の仕事。その前線に出て情報収集をするのが斥候の役目、それが地域担当職員の使命だ。それから有益な情報が得られはじめれば作戦要務令に基づき情報収集手段の変更をするべき。つまり、独居老人宅に積極的な支援が出来ているかの確認作業を急ぐべきであった。
 協働の町づくりは小林市長の四年間の総決算ともいうべき大事な仕事。前市長とは踏み出す足の位置が市民よりである。しかし、市長は水道企業団に貼り付いておられる。真剣に事態を解決しようの意思の現われだ。思わない言葉は人間の口からは出ない。日頃、常頃思い抱くことが言葉となって出る、体がそれを具現化するべく動く。しかし、大事な使命を持つ担当課がそれを補足できないでは人選の間違いだ。
 小林市長の頭の中と市役所職員の頭の中は同じでなくてはならない。同床異夢ではドウショウモナイ。大体、地域担当職員が登庁しない、できないでは何のための職員か? こう担当係長に訊くと危機管理体制の職員ではないという。なら、危機に役立たない組織が協働の町づくりと言えるのか? 市役所の働きだけではどうにもならなかった神戸の大震災の話を小林市長は出前、漫遊で語られなかったのか? 役所が万全であるならば、これは天国に一番近い町が八戸市だ。ところがそうではあるまい。市民の協力なくして市民生活の確保はない。平常ならば不平と不満ですむが、有事の際は憤懣と怨嗟の声に変わるのだ。怒号飛び交う中で市役所職員は呆然とするだけだ。そのときに市役所職員を声で励まし、事態沈静化に知恵を出すのが課長であり部長職だ。
 今回のわずか断水でもこのザマだ。連絡のとれなかった職員は何をしていたのか。さらに協働の町づくり職員は、彼らを二日以降は招集しなかった。断水で困っている市民の痛痒を蚊ほどにしか感じていないのだ。有事の組織がこの地域担当職員ではないと係長が言う。有事は超法規だ。ボクシングでは肘では打てない、膝では蹴れない、が、喧嘩は何でもありだ。持てる力を最大限に発揮するのを本分としないのか。それを問われているのサ。誰に? 市役所職員は市長に、市長は市民にだヨ。
 さらに、これら地域担当職員はほっとするメールに加入していたのか? 担当課は独自に同報システムを持っていたのか? ないとしたら、その構築は必要か不必要か、それを判断するのは誰? 自分たちの仕事だとの認識が欠如している。協働の町づくりも議会事務局も。議員は情報を欲していると夏坂議員が協議会で発言した。それに議会事務局は応える立場にないのか。それを防災の責任と転嫁していないのか。議員も真剣、議会事務局も必死。だからこそ前進するのではないのか? 議会事務局は単独の組織、それにはおのずと意味と意義に満ちている。防災安全室は市役所職員を動かす所、議会事務局は議員を動かす所、情報も独自に収集し独自に発信する。これが本来の独自行政だヨ。議員への情報同報システムの構築これが肝要。時代は変わった。万人が携帯情報システムを持つ時代だ。機は熟しているにも関わらず、それを見ようともしない、あるいは無視するでは現代社会に生息する価値すらない。明治初頭の日本人は三千万人しかいなかった。ところが今は一億三千二百六十万人もいる。世の中は様変わりしたヨ。ところがお役人根性は江戸の昔と少しも変わらず、協働の町づくりと同様に自分の手抜かりを他に転嫁してヨシは悪しだ。