2009年2月28日土曜日

吉田契造翁の直言 小倉要一

昔の八戸漁業を明治時代に近代的なものにした人は何と言っても長谷川藤次郎氏であった。そして神田重雄、吉田契造の両氏がこれをつぎ、明治時代の基礎を築いた。魚問屋に生を受け一生を漁業に捧げ、その間幾多の失敗を重ね、水産会長として満州国まで進出し幾多の実績を上げた。吉田翁こそ現在生きておられる唯一の功労者であり先覚者である。現在、湊大沢の部落に加工業を営みながら静かにその余生を送っている翁を幾度か訪ね、持ち前の毒舌と慧眼な見通しと批判を聞いて私は八十七才とは思えぬ若さと情熱に打たれることたびたびであった。
ここに翁の批判の二、三を紹介する。
水産加工について
熊谷義雄氏が翁を訪ねたとき。
加工業は大企業ならともかく五十人や百人の従業員しかいないときは、社長自ら監督しなければ成り立たないものだ。いろいろな事業に手を出せば全部うまくはいかなくなる。一つ二つは潰れるのは当然だ。加工業はそのようにいろいろな問題がある。
昔は八戸では第一次産業だけを行えといったことがある。それは第二次産業は大きな資本を要するからだ。資本が大きくないと第二次産業は潰れてしまう。しかし、大きな資本を要しても、今は第二次産業を行う時だと言っている。あるとき、武和の主人が「かまぼこ、ちくわの材料となる魚を中央の人は八戸の業者より高く買い、加工して八戸のものより安く売る」と言ったが、中央では製造工賃が安いのは勿論、その販売網が完備しているので売り上げが良好なためである。
 鯨の缶詰でもマルハや日水は一般の人がドンドン買うが、一緒に八戸の缶詰を並べてもほとんど売れない。やはり、宣伝が不足している。八戸の魚加工業者は輸出より中央の製品を防ぐことが第一で、それをいくらかでもふせげれば上々。昔神田君が支那と貿易したいと言ってきたが、「君が本当にその気なら犬馬の労をとるが難しい問題だからよく考えろ」と言った。理由は注文がきても地元では在庫分しか応じられない。大坂や東京なら在庫がなくてもどんな大量注文にも応じられる。それは彼らは地方の問屋との連絡がとれているため、どんな大量注文でも期日に揃えられる。それには大資本が必要だが、八戸にはそれを用意できる人がいない。在庫を増やせば更に金が必要。
中央は情報が早いので有利な取引ができる。田舎にはうまい話は少ない。これは青森市と八戸市でも言える。青森は県都であり八戸より早耳である。材料は八戸の魚だから他の土地のチクワに負けぬ出来るはずだと始めた。出来上がったものは良心的な立派なものだったが、地元では売れなかった。むしろ粗製の安い物のほうが売れた。そこで中央に出そうとしたが、少量では取引対象にならず貨車一台分を焼かなければならない。しかし、その設備を持つほど資本がない。青森の沼田製が一本二銭、私(吉田翁)のが一本一銭八厘で品質では私の方が良質だと思うが、沼田製の方が良く売れた。やはり名前が物を言った。その後、白魚の缶詰を作るため秋田の業者がきた。八戸の白魚を八戸で缶詰にし、秋田のレッテルを貼り中央に出した。中央の下請けをする八戸製の缶詰も中央の業者レッテルで売ると良く売れるのは不思議だ。加工品の将来は困難那問題が沢山ある。故に大資本を擁して行わなければ対抗できない。小資本で出来るのは「するめ作り」くらいしかない。しかし将来発展性はある。
輸出について
満州国博覧会に知事代理で出席したとき、輸出方法を研究するためいろいろな人に会って意見を聞き、自らクーリーの部落を訪ね報告書を書いた。
「満州人は水産物と果物を好む。なるべく良くて高い物を売り込めば輸出は良い」
前に夏堀君が満州を視察した報告書では「満州人は生活程度が低いのでなるべく安い物を輸出すると良い」と反対の報告をした。夏堀君は表面だけ見て常識的に考えたのだろうが、私は業者として買う人と話したので私の意見が当を得ていると思う。上海総領事の村井氏も私の意見を支持してくれた。
シナのクーリーは一日の賃金が十五銭から二十銭。二銭の栗のかゆを食べている。炭坑夫でも三十銭、一枚一円の「するめ」は三日も飯が食えない値段だ。安いイカが一枚一円にもなるのは関税、船賃、梱包などの経費のため。日本で安くても外国では高くなる。外国製品を買えるのは中国の金持ちだけ。中国の金持ちはケタはずれの裕福で、どんなに高い物でも買える。彼らが好むものは「なまこ」「あわび」「かに」等で、これら高級品を送れば売れる。だから高い物を売れというのだ。
今後輸出するにしても、中央とは競争できない。産地で作った「コンブ」の方が大阪のコンブ(大阪は産地ではない)よりより外国へ出すと安くて品質も良いとなる。だから、最高級品を作るか大商社と連携するかしかない。
役人について
八戸の水産界が今日まで発展したのは水産業者が行政をしたからであり、陸奥湾業者が衰微したのは県の役人が水産業を指導したからだ。役人はいまでこそ四年は勤めるようになったが、昔は一年か二年で移動した。だから県の役人に県民性や漁業がわかるはずがない。そんな役人が行政をするのだから衰微する。県民性も知らずに水産経済策をたてられるか。それをたててくれと言う方が無理だ。援助をしてくれというのが正しい。策をたてるのは我々県民だ。それを援助し実施するのが県の仕事だ。
県庁の役人が我々を指導すると言ったとき「我々は御免こうむる。貴方たちは漁業で生きるのではなく給料で生きている。その知識は本で学び、耳で聞いたもので、汗水垂らして体で覚えたものではない」と断った。
役人は当面の問題を上手に処理できればいい。その能力があるかないかが良い役人かダメ役人かである。表面だけしか撫でていない。百年の計など建てられるはずもない。
役人は宴会が好きだ。料理屋に出入りすることで県の情勢がわかるのか。視察と言って役人や議員がたくさんの県民の税金を使って旅行するが、四、五日その地でご馳走になっただけで、実状などわかるはずもない。そんなのはパンフレットや文書、資料を送付してもらえばわかる。県民の税金をそんなものに使わず水産界の補助金にするべき。
役人はよく威張ると言う。それは長年勤務し位が上がっただけで、本人が偉くなったのではない。頭やナリが良くなったから偉いと勝手に思いこむが、本当に偉いのは心の良い人だ。
漁法について
昔から漁業をみていると、魚は次第に散って利口になっていく。昔、鯨も群をなして前沖を泳いでいたが、今は鯨どころか姿もみえない。鰹も鮪も同じである。利口になって網にもかからなくなった。イワシのごとき小さい魚を除いて、網での漁業は次第に姿を消すだろう。最後に残るのは釣り。はえなわでも一本釣りでも魚をうまく騙す漁業が勝ちとなる。それにはもっと研究をしなければならない。しかし先覚者はその時代には受け入れられないものだ。後になって判るものだ。故に水産会長は全部没落した。長谷川さん、神田さん、中村栄吉さん、そしてこの私(吉田翁)だ。正しくないことをした連中は財をなし威張っているが、これらの人もやがては没落する。本家が没落し分家が栄え、やがて本家のようになって没落する。これが漁業界の姿だ。そこに世の中のおもしろさがある。いつも本家だけが栄えるのではなく、正しいものが栄えるのでもない。それだけなら面白くもおかしくもない。変化があるからこそ面白いのだ。
現在の八戸漁業界を見ると、市場問題にせよ、イカ釣りの問題にせよ、神田さんのような人をまとめる人格者がいないのが欠点だ。「熊谷は偉い男だが才たけて徳足らず」だし、秋山皐二郎は人は良いが中央に出ていき、他を押し出す迫力と貫禄が足りない。熊谷君は最近だいぶ考えているようだが、「儲けるために政治に出るのは間違いだ、私財を県民のために捨てる気持ちでなければダメだ」と言ってやった。
八戸沖は昔から魚の通過駅で停車駅ではないと言われている。日本海よりの魚、南へ下る魚、北海より南下する魚全てがここ八戸沖を通っている。そのために八戸はこれら通過点の近いか遠いかによって漁、不漁が変わり、この魚をうまく補足するのが漁業の眼目であった。その反面、定置の底魚、鯖、イワシ等定遊魚は、八戸沖はあまり適していない。沿岸漁業はよほど資源の保護をしないと根絶するおそれがある。将来は沖合を通る魚を大規模に調査し、これを捕らえる方向に変わるだろう。