2009年4月4日土曜日

東北電力の白鳥送電線激突防止策


八戸の白鳥保護会が要請していた白鳥への対策を電力が実施。八戸には二河川あり、一つは新井田川、もう一つが馬淵川。新井田川には平成十九年度は三線の送電線系統の一線に実施。
 高圧送電線に黒・赤・黄色のリングをはめ込んだ。電線劣化など定期的な修理・交換の機を狙って実施するだけに、少々ならず時間が必要。
 また、馬淵川には十系統の高圧線があり、その一線に実施。白鳥に高圧電線があるゾの白鳥同士の警戒の声で知らすことができればいい。しかし、その言葉を誰も知らない。
 先日、成田空港で飛行機が突風にあおられ滑走路に激突、爆発炎上を映像の時代の現今に生きる我々は目撃することになる。しかし、どれほど時代が進んでも、白鳥の警戒の声を高圧電線付近で拡声器で流すことはできない。
 遅遅と進まぬように思える東北電力の、電線にリングをはめて警戒を促す方法しかない。この料金とて、白鳥に請求することもかなわない。白鳥の保護会とて、それを支弁することはできなかろう。結句、こうした料金負担は需要家である我々が少しずつ負担するのサ。
 世の中とはそうしたものなのだ。世の中を良くするとはこうしたことを指す。出来る人は応分の負担をする。できない人も幾分かの負担をいやいやでもする。こうした方策を編み出すのが制度とか体制なのだ。
 ランプの時代が終え電気の時代に突入。この電力も初期は零細な規模。八戸も造り酒屋の八右衛門が明治43年満州視察団に参加しウラジオストックで電燈を見た。八戸でもこれが必要だと、木内俊郎らと明治44年に八戸水力電気を創設。青森電灯明治30年開業、弘前電灯明治34年に遅れること十年。新井田川の水力を利用した。
 日本全国各地に電燈ブームが湧き上がった。群雄割拠の時代だった。福沢諭吉の女婿が桃介、これは若くして結核になり、病臥するところへ訪ねてきたのが後年電力の鬼と呼ばれるようになる松永安左衛門、同じ慶応で学んだ。福沢桃介は旧姓を岩崎、埼玉県川越の産、気が多く色々事業に手を伸ばすがどれも失敗ばかり、電気事業に関係するようになったのは明治41年、八戸の八右衛門と同じようなもの、この、桃介の話を少し続ける。明治20年春、慶応の運動会でライオンの図柄をシャツに染め抜き、傲然とグランドに立つ、一人の学生。同席していた福沢の妻や、娘のふさも、その学生に眼が釘付け。その男こそ岩崎桃助、眉目秀麗の若者に娘のふさが惚れ込んだ。この学生の素性を調べてみると、抜群の成績、素行に問題なし。それで話が決まった。
松永は長崎の産、慶応に入学し福沢と机を並べる。親が死んで稼業を継ぐべく帰郷するも、そこで収まる器ではなく、桃介の力で日銀に入行。ところが一年ともたない。桃介と共に神戸、大阪で材木や石炭を販売するが、ことごとく失敗。その相談に結核で病臥する桃介を訪ねた。これからは電燈だと、桃介の言葉に松永も納得。明治42年に桃介の力で福岡の市電の設立に参加、福岡・博多間を走る福博電気軌道だ。翌年、九州電気を設立し、いよいよ電力界に雄飛する。電力勃興の頃だ。また、話す機会があれば、どうして松永が電力の鬼と呼ばれるようになったかを教える。
桃介は大正8年に木曽川水系に賤母発電所を築き、次々に発電所を興し電力王と呼ばれた。この男はオッペケペ節の川上音次郎の中古妻、貞奴を迎え、福沢家からは追い出されるなど数奇な人生を送った。
電力は盛りを過ぎた。地球は石油を呑み過ぎたのサ。太陽光などを利用せんと、八戸の火力の地に太陽パネルを並べるなどの愚作をぬかすが、これとてもどこまで本気か眉に唾だヨ。
トイレ無きマンションと呼ばれる原子力のカス。これの最終処分場は青森県だ。違うと知事は叫ぶが、声高に叫ぶのはポーズで坊主の説教とどれほど違う?
腹を決めて貯蔵に尽力しないと、いいかげんな中間貯蔵では地震の被害も甚大になろう。本格的な埋蔵を計画し、間もなく再燃する原油高騰、昨年ほどの勢いはないが、またぞろ頭を悩ますときが来る。安心安全、便利で低廉を願うなら原子力も視野にいれないと困るときが必ずくる。
遠来の白鳥の保護、激突防止策も東北電力は少しずつではあるが実施している。